月面基地開拓史
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ギャラガ大百科 005 『Galaga -Demons of Death-(NES版)』編

 

 

海外版のファミコンであるNES(Nintendo Entertaiment System)用の『Galaga -Demons of Death-』は日本から3年も遅れて、1988年9月に発売された。海外の販売はバンダイが担っているためパッケージにはバンダイのロゴがある。17年後の2005年にナムコとバンダイが合併するなんて、このころは誰も夢にも思わなかった。

 

Galagaのロゴは独特の書体で"死の悪魔"などという物騒なサブタイトル付き。パッケージアートのギャラガ機(?)も特有のデザインで原作のアーケード版の意匠はどこにも見られないが、中身はファミコン版のギャラガのまんまだ。

タイトル画面のコピーライト(とTM)は原作の1981年と当該ソフト発売の1988年が併記。

バンダイがニンテンドーアメリカのライセンス許諾を受けてNESソフトとして販売してる旨も表記されている。

 

現物は未入手なのでネットから拾った画像だが、欧州版も同じくバンダイが販売しているが、ロゴがアーケード版準拠になっていてサブタイトルもついていない。

タイトル画面には1988年の表記があるので、北米版とほぼ同じタイミングで出たと思われる。

 

ゲーム内容的には日本のファミコン版と同一。

設定項目は全て固定で、変更するオプションメニュー等は無い。

3機スタートで、エクステンドは初回3万、2回目7万、以降7万毎というアーケード版には存在しない組み合わせ。

難易度も変更不可で基本的には【RANK A】を踏襲しているが、ステージ18の編隊構成時にも弾を撃ってくる。

ギャラガ大百科 004 『ギャラガ (ファミコン版)』編

 

ファミコン用の『ギャラガ』はナムコットシリーズの05番のナンバリングとして1985年2月に発売された。MSX版からは約8か月遅れたが、MSX版よりもROMカセットの容量は1.5倍になり、ゲーム用に特化されたファミコン本体の性能と相まってよりアーケード版に近い雰囲気にまとめあげられている。

 

 

ナムコットブランドのファミコンソフトは途中(N0.18スカイキッドまで)でナンバリングを止め、外箱も紙製のものからプラスチック製のハードケースに仕様を変更した。その後にナンバリング時代のタイトルのいくつかを再販した際もROMカセットのラベル等も新規に作り直した。ギャラガもその内の一つ。

パッケージングだけが替わっており、中身のソフト部分に変更は見られない。

 

ファミコンディスクシステムとしても1990年6月に販売された。こちらはユーザーが持参したゲームディスクに玩具店等の店頭に設置されたディスクライターで500円で上書きするという仕組みの"書き換え専用ソフト"。(当然、元々収録されていたソフトは消去される。)

 

 ←ROMカセット版

 ←ディスクシステム版

タイトルロゴは単色のグラフィックではあるが、アーケード版の筐体ロゴに近いものが表示される。

コピーライト表記は、アーケード版オリジナルの1981年と並んで、それぞれの発売年であるROMカセット版が1985年、ディスクシステム版が1990年と併記されている。

 

MSX版までは単色であった各キャラクターもアーケード版とほぼ同じ配色となっている。やはり、ファミコンは当時のゲームハードウェアとして一歩抜きんでた性能だったんだなと思い知る。

 

とは言えアーケード程の発色数はなく、カラーパレットの都合でオガワムシ(サソリ)がザコと同じ配色だったり、面数表示用のフラッグが黄色っぽい等の違和感が・・・。

設定項目は全て固定で、変更するオプションメニュー等は無い。

3機スタートで、エクステンドはなぜか初回3万、2回目7万、以降7万毎というアーケード版には存在しない組み合わせだ。

 

難易度も変更不可。ギャラガの出現パターンから判断すると基本的には【RANK A】を踏襲しているっぽい。

ただ、ステージ18の編隊構成時にも弾を撃ってくることを確認した。

  アーケード版のステージ2→ 

ステージ2の第一波も他ステージと同じ、"左ザコ右ゴエイ"に直っている。

 

 

背景の星は赤青黄緑のドットが点滅しながら流れる。アーケード版はランダムに配置されているのだが、ファミコン版ではバックグランドに描かれた星がスクロールする仕組み。なお赤色の星はオリオン座と北斗七星っぽい並びになっている。この2つの星座が、この形のまま見えているということは、この戦場は地球のすぐ近くなのか?

 

チャレンジングステージもアーケード版と同じパターン攻略が通じるので安心。

リザルト画面も出るが、ネームエントリー機能は無くこの時点でアーケード版で2位~5位の時のネームエントリー曲が鳴っている。たとえハイスコアであっても1位の曲は流れないのが残念!

もう1つMSX版より勝れた点としては、2プレイヤーに対応していること。ファミコン本体が標準で2コントローラーを装備していたのでこの形になったのだろう。アーケード版と同様に1機やられる毎にプレイヤーチェンジする仕様だ。アーケード版のテーブル筐体では座ったままで画面の方が反転したので当時も友人と2Pでのハイスコア対戦をしたものだったが、アップライト筐体では席の交代が煩わしくて2Pモードはあまりプレイしなかった記憶がある。

 

同じ年に『ギャラガ』は国産パソコンのPC-9801、FM-7、MZ-1500、X1といった機種に移植されていくのだが、どれもカクカク感は否めない出来で、一番安いファミコン版が一番アーケード版に近い挙動をするという下剋上状態が長く続くのだった・・・。

アーケード版を遜色のない家庭用ゲーム移植版の登場は、1995年のプレイステーション用『ナムコミュージアムVol.1』の登場を待たねばならず、なんと10年後までオアズケとなるのだった!

ギャラガ大百科 003 『ナムコミュージアム Vol.1 (PS)』編

  

最初の「ナムコミュージアム」はPlaystation版として1995年11月22日発売された。「ギャラガ」は「パックマン」らと並んでVol.1に収録されており、さすがにナムコの"顔"である。制作はナウプロダクション。

廉価版(PlayStation the Best)は1999年10月28日に発売、こちらは統一デザインとして元のジャケットから一回り小さくなっているのでコレクションで通常版と廉価版が混ざると見栄えが悪くなってしまうのが難点だ。

 

なお、欧州版(PAL版)のジャケットは地色付き、北米版はL字型に黒枠が付く。Vol.1に関してはタイトルやゲーム内での文字表記が英語になるだけでゲーム部分に差異はない。(※Vol.2のみ日本版の「キューティQ」が「スーパーパックマン」に差し代わっている。)

通常版、廉価版ともにPlaystation3の後方互換に対応しており、CD-ROMをそのまま動作させることが可能である、2013年12月18日には、「ゲームアーカイブス」としてのダウンロード販売が開始された。これはプレイステーション 3だけではなく、PSPとPlayStation Vita上でも動作が可能だ。

 

 

初代PSでは画面の解像度が足りないので、TVサイズの横画面にアーケードゲームの縦画面はそのまま映せない。

そのため、ノーマルモード(通常設定)ではファミコン版と同様にスコアや残機表示等を右側の画面に逃がすレイアウトとなっている。コピーライト表記は、アーケード版の1981年に加えて、本ソフトの発売年である1995年を列記。

ファミコン版も頑張ってはいたが、アーケードとほぼ同様の手触りの"家庭用移植"が実現するのに14年も掛かったことは感慨深い。

 

オプションでパノラマモードを選ぶと左右にベゼル風の飾りが付き、スコアと残機の表示も上下に配置されて無理やりアーケード風の1画面に納まる。しかし、敵編隊との距離間が近く窮屈に見えるのはあまり変わらない。とは言え、これがある意味スタンダードになり、この後しばらく「ナムコミュージアム」シリーズでのギャラガの画面に採用され続けるのだった。

 

そして、"縦画面モード"。マニア待望のアーケード版とほぼ同比率の画面でのプレイが可能になる。

「家庭用TVを縦にして使うのはやめて!」とデカデカと注意されるが、横置きTV(特に当時主流のブラウン管)は無理やり縦にして使うとモニター故障どころか最悪火事になるケースがあるのはマジな話。

 
インチキなダミー動画でお茶を濁しているテストパターン画面ではあるが、一応難易度設定は【RANK A】(=EASY)と読み取れる。10面編隊構成時に敵が弾を撃ってこない"おなじみのパターン"であり、デフォルトで3機スタート、エクステンド2万/7万/7万毎の日本国内ナムコ版の基本中の基本だ。家庭用移植の決定版がいきなり最初から登場した感のあった当時の印象は20年余過ぎてもそのままだ。
 

ファイター数とボーナスエクステンドはオリジナルのアーケード版と同じバリエーションでの変更が可能。

しかしながら難易度は【RANK A】のまま変更ができず非常に残念。せっかくオプション画面でディップスイッチの描写があるのに当該のスイッチ部分はON/OFFしても"使用しない"の表示のままで変化がない。(家庭用に関係の無いクレジット設定も同様に未使用扱い。)

このソフトのスペシャルな点はタイトルどおりに博物館の体裁をとっているところ。後に様々な機種で「~ミュージアム」と名の付くソフトが発売されるのだが、ゲーム本体だけでなく関連のデータを収蔵品として閲覧できるようになっているのは、この初期シリーズだけ。

 

 

筐体に貼られていたインストラクションカードや販売用パンフレット(チラシ)、アップライト筐体の天板(マーキー)やベゼル(アートワーク)まで見ることができ、博物館(ミュージアム)というコンセプトが生きている。

しかしながら、当時最新だったPSの解像度でも今みるとキビシイので、是非とも最新ハードで「ナムコミュージアム」という名で過去のナムコ作品をオムニバス収録したソフトが出るときには、高精細の画像データを収録して欲しいものだ。

 

そして、さらにミュージアム内を進むと・・・。

宇宙船(ギャラクシアン3のドラグーン内部なのか?)を模したスペースにアップライト筐体が鎮座している!(前に立つとゲームプレイ化)

 

当然ながら筐体はナムコ製の日本国内版のルックス。ネット上でよく見る海外版(ミッドウェイ製)とはデザインが違うのだ!背面のべニヤ合板を黒く塗装した感じもテクスチャーで雰囲気出ててよいw

 

   

なお、気になって北米版を確認したが、収蔵品は日本版と変わらなかった。namco製筐体がMIDWAY製筐体にすげ替わっていたりはしなかった。あくまで「NAMCO MUSEUM」であって「MIDWAY MUSEUM」ではないので当然と言えば当然か。

シーン切替毎に右下のパックマンが掲示する看板も英語に直ってた!

文字に合わせて微妙に看板がデカくなってるw

ギャラガ大百科 002 『Galaga (アーケード北米版)』編

 

 

 

アーケード版の『ギャラガ』は北米にて1981年10月に『Galaga』としてリリースされた。日本版と1ヶ月しか差がないので、おそらくソフトウェア(プログラム部分)は少し前に完成していて基板や筐体等のハードウェア部分は日本と北米でそれぞれ並行で開発していたのものと思われる。

 

販売はMIDWAY(ミッドウェイ)社。親会社であるBally(バリー)社とともに元はピンボールマシンの大手メーカーであった。

ビデオゲーム参入直後は日本メーカーの内では特にタイトーと懇意にして相互にタイトルのライセンス許諾をしあっていたが、タイトーがスペースインベーダーのヒット後に北米に自社系列の販売会社を設立したため、タイトーのライセンス中心からナムコのライセンス中心へと方針を変更し、「ギャラクシアン」「パックマン」「ラリーX」に続いてのリリースとなった。

 

   

     (右はnamco製の日本版)

『(c) 1981 MIDWAY MFG.CO.』の白文字が表示されているのが、MIDWAY版。MFG.は"Manufacturing"の略で当時は"Midway Manufacturing"が正式社名であった。

筐体のマーキー部には"LICENSED FROM namco LTD."とナムコからのライセンス品であると明記されてはいるが、文字が小さいので大多数のアーケードキッズ(アメリカンゲーセン小僧)は、長らくギャラガとパックマンが日本製であるとは気づいていなかったらしい。

  

 

マニュアルのDIPスィッチ表にはデフォルト設定値の記載が見当たらないが、日本版と同じで【RANK A】、3機スタート、ボーナスエクステンドは2万/7万/以降7万毎だったという説が多いようだ。

 

そしてMIDWAY版最大の特徴は、このサブボード「RAPID FIRE P.C.」が最初から付属していること。

その名のとおりの連射基板で、工場出荷時から機能するようになっていて、"不要なときはコネクタを差し替えろ"とマニュアル上に記載されている。パックマンにもゲーム全体のスピードをアップさせる改造基板があり、MIDWAY社が自ら扱っていたようなので、"ナムコのライセンスをそのまま使うのではなく独自機能を盛ってもよい"という契約だったのかも知れない。(それが同じ年に「Ms.パックマン」を生み出し後年の因縁に続くとはこの時点では誰も予測できていない。)

そして、あまり知られていないもう1つの特長が、"自機マシマシ(?)"モード。

通常だと日本版と同じく"1コイン投入→1Pスタートでデフォルト3機持ちでの1Pプレイ、2コイン投入→2Pスタートでデフォルト3機ずつ持ちの2P交代プレイ"が始まるのだが、DIPスイッチの変更で"2コイン投入→2Pスタートでデフォルト7機での1Pプレイが可能になるのだ。「倍の金を出すんで倍のファイターよこせ。ついでにオマケも1機よこせ!」という、乱暴なやり口w

ただ、実際にこのモードで稼働させていたアーケードがどれくらいあったかは分からない。

ギャラガ大百科 001 『ギャラガ (アーケード日本版)』編

 

   

アーケード版の『ギャラガ』は1981年9月のリリースであり、これがオリジナルかつ歴史の始まり。

   

当時のナムコは既に『ギャラクシアン』、『パックマン』、『ニューラリーX』等を立て続けにリリースしており、「面白いゲームを作るメーカー」としてゲーセン小僧なら誰でも知っている存在だった。

そんなナムコが満を持して『ギャラクシアン』の続編を投入してきたことを我々ゲーセン小僧は熱烈に歓迎し、たちまち『敵機に攫われた自機を取り戻すことでデュアルファイター化する』アイデア(+戦略性)と『神秘的なリバーブの効いたBGM』の虜になってしまったのだった。

  

『(c) 1981 NAMCO LTD.』の白文字が表示されているのが、オリジナルのナムコ基板である証拠。

当時は「ギャラック」だの「ギャンダ」だのコピー品もあちこちで見かけた。内容の方は「ギャラガ」のまるまるコピーであったようで、「ギャラクシアン」のコピー品に見られたゲーム性の改変(ボスが大量に降ってくる等)は無かった様子。

 

デフォルト設定は、3機スタート、ボーナスエクステンドは2万/7万/以降7万毎。 

大概はどこのゲーセンでもデフォルト設定のまま運用していた様だが、店によってはたまにエクステンドが2万/8万/以降8万毎の"やや辛い"トコロや3万/10万/10万毎設定の"超辛い"トコロもあったり。

  

そして難易度設定のデフォルトは【RANK A】。電源投入時のテストパターンを凝視していると最後の爆発音の寸前に一瞬だけディップスイッチの設定内容一覧が上下逆さまに表示されるがその中段に見切れる。

   

テストモードで起動すると正位置で表示されて、この画面で止まる。元々の説明書には難易度変更についての記載がなく、DIPスイッチの1と2は"常にOFF"という指示がされていたのだが、実際はこの2つを切り替えることでRANK A~RANK Dまでの4段階の難易度の切替えが可能になる。具体的には、各ステージでのギャラガの編隊飛行のパターンの出現順が変わり、ギャラガの挙動も浅い面のうちからのスピードアップと編隊構成時に落下する敵と敵弾が多くなる。(AがEASY側、DがHARDEST)

各面スタートしてから編隊を構成する時の出現隊列のパターンは基本3つ。第2波以降が両サイドから同時に出現(Aパターン)、左→右の順に2列で出現する(Bパターン)、左→右の順に1列で出現する(Cパターン)。なぜか2面のみ2列のザコとゴエイの位置が逆になっていることに気づいたのでこれをB’パターンとする。

チャレンジングステージの直前の面が、編隊構成時に敵が弾を撃ってこない"サービス面"となる場合がある(上の表で"タマナシ"と表記)。前述のとおり、設定変更がデフォルト設定のままの【RANK A】での運用が多かった日本では、「ギャラガの10面は1面と同じで編隊完成までの間は敵が攻撃してこない」と記憶している人も多いのではないだろうか。

 

 

  

当時の自分がとっていた戦法は、『なるべくシングルファイターで粘って自機1機あたりの獲得スコアを稼ぐ』というもの。デュアルファイターの火力は魅力だが、高次面では敵弾及び敵機の体当たりを避け切れないことと、デュアル中に1機死ぬともう1機も続け様に死にがちというリスクを回避するという考え方だ。ただチャレンジングステージでのパーフェクトも取りたいので要所のチャレンジングステージの直前でデュアルファイター化するなどの方策を取った。

 

まぁ、好きであることとウマイということは得てして両立しないわけで、まさに下手の横好き!

調子よくいったときに30面越えられるかどうかのあたり。(全盛期には50面到達したこともあるにはあるのだが・・・。)

  

今の時代ならメモリーバックアップは当たり前だが、当時のゲーム機にはそんな機能は無いので電源OFFすればハイスコアはリセットされてしまう、必然的なデイリーランキングなので潔い。海外のMIDWAY版には改造基板のキットで、電池でハイスコア保持するようなものもあったらしいケド、日本国内では見かけなかった。

 

ちなみに自分が所有しているこの基板は、まさに中学生時代に通っていた『ゲームセンター ゴリラ』で稼働していた現物なのだ。

20歳の時に『ゴリラ』を経営していた遊戯機器レンタル業の会社でバイトすることになり譲り受けたもの。いや、正確に言うと「売ってくれませんか?」と倉庫状態になっていたゲーセン跡地の事務所に飛び込んだ流れでバイトが決まったのだった。

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