少しの間、アメブロでひとりになってみました



ブログをなぜ書きたいと思ったか?


誰に向けて書きたいと思ったか?



最初の頃の熱い想いを思い出してみました





思い出せました





私は、今のままなら「ものみの塔」は、なくならないといけないと思っています


ものみの塔は、エアバッグの開かない車を作って売っている会社のようなものです


エアバッグが“付いていない”と言って売っているのではありません


エアバッグが“付いている”と言いながら“実際は開かない車”を作り続け、売り続けているのです



とんでもないことではないでしょうか



...これについては、ある人は心配故に、こう言うかも知れません


「多くの従業員が夢を掛け、人生を掛けて、長年この会社で車を作って売ってきた...今さら真実を明かしてショックを与え、どうにかなったら責任は取れるのか?」



(でも、その車...エアバッグが開かないんですよ?)



さらに、こんなふうに言う人もあるかもしれません


「あの人たちは会社の人間関係が全てなのだ、年取った今それを失ったら、どうやって今後の孤独に耐えられるのか」



(でも、その車、エアバッグが開かないんですよ⁉︎)



実際、宣伝を信じて全てを投げ打ち車を買って家族全員乗り込んだにも関わらず、エアバッグが開かず(※1975年問題など他多数)大けがをし、人生を棒に振った被害者が事故の後遺症に未だ、苦しんでいる場合があるのです


大けがで済まず、亡くなった人もいるかも知れない




開かなかったエアバッグ
公表されず、謝罪もない




そしてこの“自動車会社”の看過できない隠された実態に気付いた工員、メカニック、セールスマン達の訴えは全てひねり潰され、彼らは次々にクビにされていっている


この状態がリアルに現在続いているのが


...悲しいかな、私達が関係してきた、ものみの塔なのです



このまま続くって、いいんでしょうか?



さて、前回の記事で予告したことですが、近い将来、もし組織の嘘がバレだし漏れ出し、動揺が始まったとしても、ショックを和らげるためにできることがあると思っています


エホバの証人です、聖書をうまく使ったら励ませる「はず」なのです


組織崩壊がもし始まっても

「時と予見し得ない事はすべての人に」

の聖句から、この「すべての人」には当然エホバの証人も含まれる、ということを思い出させてあげることができます

また、

「すべての慰めの神」

は、「すべて」、あらゆる悲しみやいかなるショックからでも私達を強め、立ち直らせてくださることが可能であることも振り返れます


それでもやはり動揺されたなら、

「これまでさんざん、野外の人にこの聖句で証言してきたじゃない!そんなあなたがこの言葉に信仰を持てないの?」

そう言って、かつての自分の雄々しい証言姿を思い出してもらい、強めてあげられるかもしれません

また、培ってきたこのコミュニティは、それを望む人のために維持しようと思えば有志が集まってできるだろうし、孤独になることはなく、みんなと共にこの試練は乗り越えられると伝えられるかもしれません

さらに、組織は仮に無くなっても「聖書」や「神」が無くなるわけではない、そのまま信仰を持てば良い、ということも思い出させてあげられます


そしてこの機会の...最も嬉しいこと


...これまで長い不遇の時代を耐えつつ組織の実態を訴えてきた、でも出るに出られず苦悩してきた多くの人たちが名誉を回復し、晴れて自由になれるのです



以上のことから私は、組織が仮に崩壊しても、本人と周りの人の協力・高い意識次第でその挫折から立ち直ることはできるということ、また当人が望まれるなら引き続き聖書への信仰を保って強く生きていくことは、十分可能だと思っています



...何がキッカケでどうなるか分かりません



いつでも応援しています!
































エホバの証人問題に関し、マスコミへの働きかけが始まっています

今までも個人的になされてきたと思いますが、今回、海外での虐待裁判等の報道を実態の周知のために用い、この潮目を捉えて、私は「上手い」と思いました

海外のものであってもこの動向を、新しい事へと奮い立たせるモチベーションにされた点もです

色々なタイミングで何かを仕掛けることは意味があり、何かをしたら、何かは残ります

関係者の意識にも変化が生じます

いつまでも同じ状態で「どうせ無理」と言っているわけにはいきません

...みんな年取って、このまま終わってしまう!

それに今後、どんな拍子に思わぬレベルで本当に物事が動き始めないとも限りません

事実を知った多くの人が今「最高〜に!」ストレスを抱えた状態で組織に留まっているのですから


また、ブログで告知しなくとも、個人的に動いておられる方々もおられる事でしょう


...以前名古屋の姉妹殺害の事件があった時、友人の会衆(※名古屋ではない)にマスコミから「行かせてもらうかも知れない」との旨の連絡があったそうです

それに伴いその会衆では、全員ではなく一部の成員(開拓者だけだったと記憶しています)にマスコミが来たらどうするか指導の様なものがあり、「もしかしたらそっちの会衆でもそういうのがあるかも」と私も聞かされましたが、こちらでは有りませんでした(あってもうちの会衆では成員に知らされなかっただけかも知れません)

私は当時その事件のニュース映像を見ながら録画し、後からGoogle Mapsで確認しましたが、王国会館もシッカリ映っていて(※『エホバの証人の王国会館』の看板は、私の見た映像では見えない様に配慮されていました)、駐車場に来た信者数人にリポーターがインタビューしていました

私の周りの多くの現役信者もあのニュースを見て知っていて、奉仕中話題にもなりましたが、それ程大きな事として“怖がる”“驚く”等の様子は見られませんでした

ただ、仲間の数人は事を重大視し始め、後に組織への見方を転換される(いわゆる“覚醒”)に至った人もいるのです!

何かが、何かを、仲間の心に残したのです

ちなみに、長老からの事件についての言及は一切ありませんでした

『事件に触れるな』と組織から御達しでもあったのでしょうか

また『ものみの塔』『エホバの証人』との名称が報道で流される事は、自分の見た限りではありませんでしたが、その事件では姉妹は全くの被害者だった為、またここが『日本』だった為、敢えて取り上げられなかったのかも知れません

...同様の事件が起こる度に認められる非常に残念な現実としては、せっかくものみの塔に関する報道に接しても、エホバの証人コミュニティでは全体として「この体制下では悲惨な事は仕方がない」と、特に自分に直接関係なければ深く考えず早目に“スルー”する雰囲気があります

事の重大さを「自分で」感じ取る「感度」について、私はエホバの証人は、集合体として、余りにも酷いレベルにいると思っています

それで、今後もし隠されていた多くの『ものみの塔の事実』が信者側にいよいよ漏れ出し聞こえ始めても、その事を、憂慮すべき重大な問題として「自分で」感じ取り、意味する所をとらえる事が出来るのか?という心配が生じます

現状を考えると、今のままだと全員は難しいかも知れません


...


...


「全員」は



ですが「何割か」の人は正しく反応されるのではないでしょうか?



...今後キッカケがあり、殆どの人がこれまで知る機会を「全く」持てなかった、また「ただの一度たりとも」知らされて来なかった組織の裏の取り引きや、ものみの塔教団がいかに『俗』であるかの事実を大量の人が知ったなら...



何にも起こらない訳がないでしょう



このブログを読んで下さっている、あなたも、あなたも、あなた様も...


知った事実に反応され、その結果、絶対アカン私の様な『エホバ辞め人(エホバヤメジン)』のこちらのブログに訪問下さっているのだと思います


次回、いよいよ組織の嘘が漏れ出しバレ出し、動揺が始まった時に出来る事について書きたいと思います



それでは、また


※追記

以下に、ブログにしてはいませんでしたが、お知らせしておきたいと思うことがありましたので少し追記いたします

●断絶後、他会衆の知り合いのひとりの長老(私がなぜ辞めたかを知りたがってくれていたという人)に「私の出した断絶届を見てほしい」と、人を介して申し出ましたら「ぜひ」「読ませて欲しい」との返事をもらいました

断絶届に書いたような事実をもし彼が知らないなら、今回見せることにより、そういった事実に一度でも触れるきっかけになればと考えました

その後、会う約束をするに至り、仲介者を立て実際に会い、断絶届を見せ、率直に質問をし、話し合いをしました

本来なら、無関係の長老が断絶届を見ることはできず、また見ようとすべきではないということでしたが、彼はいろいろと思うところがあり、聖書と照らし合わせ考慮した結果、勇気を持って来てくれました


ちなみに私の断絶届は、別の長老に聞きましたら、会衆の、鍵の有る引き出し(ロッカーのようなもの)に管理され入っているようです

話し合いの内容詳細は今書けませんが、そういう長老が現役の中に、実際にいて活動しています


今回の追記は以上です
また思うところが出てきましたら、さらに追記いたします


※さらに追記


この組織の実態についての、私がこれまで持っていた印象は

【死人に口なし】
(辞めた人間は相手にされず、言い分も聞かれず、何の発言の機会も持つことができない)

あるいは、

【死人にしか、口なし】
(辞めなければ到底、事実であっても口にはできない)

そんな、残念な感じでした

ですが今、私はこんな慣用句を作ります

【死人にこそ、口あり】
(辞めたからこそ、今や話せる)


より積極的に...


























去年末、私は『覚醒のきっかけ、ある兄弟の場合』(2016年12月11日付)と、『続・覚醒のきっかけ、ある兄弟の場合』(2016年12月18日付)という二つの記事をアップしましたが、その後その元兄弟と再び話す機会がありました

参考になる部分もあると思いますのでまた記事にしておきます

(※この元兄弟は、去年断絶した人です)


元兄弟「こないだの(※自分達の会話の)ブログ読んだけどホンマすごいな、感心するわ!」

私「何が?」

元兄弟「いや、話した事よく覚えてるなぁ...!(笑)録音してるのかと思うくらい」

私「え!してへんよ!」

元兄弟「分かってる(笑)でもホンマすごいわ」

私「関心ある事やと焼き付いて覚えるんかな」

元兄弟「それに、あんな普通の会話が一つの記事になるもんやな...」

私「なるなる!真面目に信じてきた人が、どんなキッカケで『あれ?』ってなったか、この情報が役に立つ人いると思うよ」


...またこの元兄弟、十数年も前、ある事を呟いた場面があったのですが、私その事を最近になって思い出し、以下の様に質問してみました


私「...昔、研究記事かなんかで『エホバの証人は誰もが活発な奉仕者です』みたいな事が書いてあったの読んで、『活発じゃない人もいるし、こんなん書いてあるけど実際は違う』って私に言ってたん、覚えてる?」

元兄弟「それ自体は覚えてへんけど、言ってたと思うわ。そんなんやったらいっぱい有ったで、『みんなが一致している』っていうのも実際と違うと思ってたし、そんな違和感挙げたらキリ無い」

私「そうやな」

元兄弟「...でも前も言ったけど、書いてあるのは理想の形で、もし到達出来てないなら自分の会衆とか自分の努力が足りてないんやろう、だからそれを埋めていくのが求められているんやろうって、良い方に考えてしまってた」

私「あぁ、分かる...」


真面目な人のエホバの証人“あるある”です


...話は少しそれますが、この元兄弟のところに先日、ある非信者のご主人さん(※家族が熱心で本当に困っている人)から、仕事中に着信があったそうです

元兄弟は、

「もしかして間違い電話かも?掛け直すのはやめとこう(※ご主人さんの信者家族が、携帯に表示された自分の名前を見たらマズイ)」と考えて、取り敢えず放っておいたと...

でもまた着信があり、やはり間違いではなく「会って話がしたい」と言ってこられ、今度会うことになったそうです

また、私も二月に人と会う予定があります



...今、違和感を感じて来た幾人もの人たちが事実を知り、


「あの感覚は正しかった!」


との確証を得、ある人は失っていた自尊心まで取り戻し、次々組織から離れて行っています


...最初離れるのは『心』


...それから、実際の『身』


協会がどう足掻こうが、“善玉菌”は密かに増殖し、もはや見つけて根絶することは不可能になって来ています


このセリフ、「私が」言います


「あきらめないでください!」



また書きます























本年も、どうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m


(いきなりですが、続きです)


前回書きましたが、「研究」は続いていました

Rさんは質問をたくさんして下さり、ご自身の考えを色々話して下さいましたので、資料は一度にたくさんの節は進めず、ちょっとずつ...ちょっとずつ...という感じでした

かと言って、全然進まないからどうしようということはなく、その時はそれで量はこなせなくとも十分充実していました

Rさんはいつも「私はこう思うんだけど...」と深く考えられた黙想の結果を披露して下さいました

私は、Rさんが聖書の教え(※実際はエホバの証人の教え)を納得し受け入れられるのは、その時の「Rさんの発想の自由度」からして(少なくともすぐには)難しいと感じました

そして、それで良いんじゃないか...と思っていました

本当に愛を求める人であるなら、エホバが必ず最終的に引き寄せられると信じていました

同時に、かと言ってRさんは果たしてエホバの証人の枠に収まる人だろうか?とも感じるようになっていました

...私はRさんの独創性や深い愛を、「突飛な事を言う変わった人」と誤解されたくなかったので、研究参加に誰かを誘いたいと思った事はありませんでした



...ちょっと脱線ですが、エホバの証人の宣教は、結局のところ「バプテスマを受けさせてナンボ」です



巡回訪問・大会などの際、

「終わりが近いです!研究生が進歩出来るよう効果的に司会しましょう!バプテスマを先延ばしにする理由は何ですか?命がかかっているのです!」

その様に、一見親切なもっともらしい言い方で、進歩的でないとされる研究生をさっさと切るよう教えられることさえあるのがエホバの証人です

この方針、会衆単位では「終わりが来る前に人を助けたい!だから急ごう!」との誠実な思いで当てはめようとしている方が殆どだと思います

エホバの証人としてバプテスマを受け幸福になる人々も確かにおられるでしょうが、同時にこの宗教団体には、不幸な境遇の人々を量産し続けているという「歴史上の不動の負の事実」が抱き合わせで存在する事を無視する事は出来ません

その「黒歴史積み上げ真っ最中」のものみの塔組織が、司会者に研究・バプテスマへの早めの進歩を促している動機は、研究生に人生の幸福を得て貰いたいと「純粋に」願うものではなく、短期間に司会者の生産性を上げさせるのに効果的かつ必要だったからだと今更ながら気付くのです

生物には成長する過程の「生理」というものがあり、上層部からのこの手の「煽る励まし」は、それを無視して個々人を見ない、機械的で本当に愚かしい、哀しい手法だと私は感じます


(本題に戻ります)


...さて、そんなこんなで月日が経ち、季節は春から秋になっていました


研究するようになってから、Rさんにはそれまで有ったという「導きの声」が聴こえなくなっていましたが、その「聴こえない状態」は持続していました


ところが


ある平日の夜の研究の日...こんなことがありました

私は夜7時頃Rさん宅に到着しました

玄関扉のところから「こんばんは」と中に向かって挨拶したところ

「はーい、上がって!」

いつもの居間からRさんの声が聴こえて来ます

(手が離せないのかな)

そう思い、上がらせて頂き、居間に入ると...



(ワッ!ゲッ!)




Rさんが、超大作と言える程の凄い「デカイ」絵を、手足やその辺り一帯を絵の具だらけに汚しながら描いておられるのです!

抽象画の様で、黒や青、赤も使われていて、下から上に炎が燃え上がってトグロ?を巻いている様な、黒っぽい、もの凄く激しいものでした

しかも、描いておられる大きな大きな縦長の“キャンバス”...よく見ると、扉...⁉︎

部屋の入り口の襖扉(ふすまとびら)を外したものだと言われるではありませんか!



(芸術が...!)



(爆発している...!)



(※私関西人ですから)内心そう思いましたが、そうでも思わないと、ハッキリ言って、無茶苦茶「怖かった」です

「凄い...岡本太郎かと思った!どうされたんですか⁉︎」

とにかく聴いてみました

Rさん「描くように、って言うのがいきなり来てね」


(うわ...)


ちなみに、漫画家さんシリーズで書いている「インスピレーション」がどういうものなのか、本当にそういう「声」が全て外部から降って来るという意味なのか、それともクリエイターの方々や他の幾人かの方々に内在する「その人自身の声」なのか、分かりません


(聴こえるのが戻って来たのか...⁉︎)


その時は当然サタンだと思いましたので、その日の「研究」は頭の中で必死に祈りながらでした


...それからです、次の研究の日、更にこんな出来事が


Rさんが、私が伺うなりすぐ、数日前にあったというある出来事を話し始められました

数日前のその日、Rさんの子どもさん(小さな男の子の方)が急に見当たらなくなってしまったとのこと

さっきまで一緒に歩いていたのに急にいなくなり、慌てて大声で名前を呼んで探し始めたところ、エホバを思い出し、必死でエホバにお願いしたが、子どもは一向に出てこない

泣きながら、お願いしながら何十分も歩き回ったそうです

そうしていると、フッと

(〇〇(※仏教の...)を唱えたら、子どもは出て来る)

と聴こえてきたので、それを唱えたら子どもが瞬時に現われたと...

子どもにこのまま会えなかったら、気が狂うかと思ったと...

そして、私にこう言われたのです

「〇〇さん、エホバは、絵を描くときも、子どもがいなくなった時も、私を助けてくれなかった。〇〇さんと出会う前も、本当に辛い事があった時に助けてくれたのは全部別のものだった。」

...結局、自分が必要とした時に、「エホバは居なかった」と言われるのです

そして突然の発表

「エホバじゃない方が良い事をしてくれるから、エホバじゃない方へ行く」

...そうなんです、Rさんはここでいきなり、研究をやめられる宣言をされたのです!



...本当にショックでした



ですが、研究を続けるように説得する事を、その時の私はしようとは思いませんでした



記事の前の方で書きましたが、最終的にRさんはエホバの証人の枠内に収まるような人ではないかも、とどこかで感じていました

ただ、『神によってはすべての事が可能』という事があるので、何でもそうですが、Rさんの最終結果は自分には「絶対に」予測は出来ないとは思っていました

聖書の事を愛情深く知らせ続けて行けば、必ず最後はどうにかなると信じていましたが、どうにかなる前に研究そのものが終わってしまいました


「大事なのは、愛」


...この日、Rさんと最後の話を終えてからお宅を出、自分の車を停めていた離れた場所まで歩いて戻る道中、最初の頃言われたRさんのこの綺麗な言葉を思い出し、涙が出て来て止まりませんでした


...『しあわせを求めて“研究をやめた”元漫画家』の方のお話...

これで終わったら、普通の話です

続きがあります


研究をやめられ、Rさん宅にお訪ねしなくなってしばらく後、ある時気付くとRさん宅は取り壊されていて、どなたかの新築のお宅に建て替わっていました


それから5〜6年くらい経った頃です


ある日、私は家で新聞を読んでいました

子どもの作文や詩が数点、選ばれて載せられているページに目が行きました



(......)



(あ!)



(◎ちゃんか⁉︎)



(そうや!)



珍しい姓名、そして年齢...Rさんの娘さんの名前が!あの子で間違いありません!住んでいる市町村名も載っています

(今〇〇市にいるのか...!)

隣の、そのまた隣の市です、遠くはありません

作文が掲載されていましたので、急いで読み始めます

ご家族の事が書かれています!

お父さんの仕事の事も書いてあり、当時お聴きしていたままのようです

...お父さんが優しいと書いてあり、家族のために頑張って働いてくれていると感謝しています

家族でみんな仲良くしている様子が書かれていました!


(...良かった!嬉しいな!)


その日の奉仕の時に、組んでいた姉妹に新聞記事の事を話しました


...『しあわせを求めて“研究をやめた”元漫画家』の方のお話...

ここで終わっても普通の話です

続きがあります!


それから更に数年後のある日、私は「同じ」新聞をめくっていました

読者のお便りのページを読もうとした時です


(...あ!)


(Rさんやっ!!)


なんと今度はRさんの名前での投稿です!珍しい姓名、年齢、数年前に作文の載ってたRさんの子どもさんと同じ〇〇市との記載!

はやる気持ちで読み始めます!

内容は、Rさんが、子どもさんの成長を喜んでおられるというもの

私の知る、研究中走り回っていたあの小さな男の子が、その記事によると、もう中学生になっていました...!

Rさんのその記事には

「息子が自分を墓参りに行こうと誘ってくれた...先祖を思う気持ちを持つ子どもに成長してくれて、本当に嬉しい...」

そんな事が書かれていました

(御墓参りって事は、エホバの事はやってないんやな!)

(みんな仲良く暮らしてるんやな!)

ご家族がお元気そうであったことが本当に嬉しく、一気に懐かしく、楽しい思い出でいっぱいになりました

(ちなみにその新聞記事の件も、その日の奉仕の友である主婦の姉妹にお話ししてみましたが、「反応薄」で拍子抜けでした)


さて


...私たちが協会から“植え込まれる”認識通り、

エホバの証人以外の家族は一致せず、最終的に不幸になるというのなら...

研究をやめた人はエホバに見放され、将来的に祝福されないというのなら...

エホバを退けたRさんご一家がこのまま幸せに行く事は絶対にあり得ず、この後とてつもなく恐ろしい不幸に次々見舞われ、最後、牛にでも食われて生涯を終えなければ「つじつま」が合わないことになりますが、いかがざんしょ?





また書きます









































































(前回からの続きです)


元漫画家Rさんとの研究は、そのような印象的な出だしでスタートしました

Rさんには勤め人のご主人さんと、二人の可愛い小さなお子さん(女の子、男の子)がおられました

研究は、エホバの証人の“常識”(※一般的には非常識)である、ご主人さんがお仕事で不在の時に私がお伺いする、というパターンで行う事になりました

ご主人さんの仕事が変則的なので、それに合わせてRさんが私を呼んでくださる曜日と時間帯も毎回変わり、「週末の日中」の事もあれば、「平日の夜7時から」という事もありました

平日夜の場合、私は仕事から帰ってすぐの余裕のない流れになるので

「ご飯食べずに来たらいいよ、一緒に食べよう」

と言って下さり、お言葉に甘えてRさんの家庭料理を子ども達もみんなで一緒に頂き、その後研究、という形をとっていました

「研究」ですが、資料は『知識』『永遠に生きる』などを使いました


(...動機はどうあれ、ものみの塔というカルト組織による「真の意図」の隠された資料を使い、人の生き方を変えようとしていた事を考えると、現役時代は本当に責任重大な恐ろしい事をしていたと思います)


資料の内容が少し進むたび、Rさんはその点に関しての「ご自身の考え」をまず語られ、度々「本筋」から脱線しましたので、一回につき1ページ、場合によっては半ページも進まないことも度々ありました

Rさんは、人に軽率に迎合する事のない方でした

かと言ってひねくれたり皮肉めいたところがある訳では無く、とても正直な方で、一緒にいてその自然さが私にはとても心地好く、「Rさん」という方と知り合う事は本当にいい経験となりました

また、Rさんは最初の出会いで言われたように「愛というもの」について、日頃から自分なりに深く考えてこられたとの事で、「こうだと思う、ああだと思う」と、よく真顔で、真剣に語って下さいました

家庭ではご家族のため、手間のかかるものでも何でも手作りされたり、また子どもさんについては、いつでも自由に飛んだり跳ねたり研究中でもテーブルの周りで好きに遊ばせ、とにかく元気に伸び伸び育てておられました

Rさんが私の前で小さなお子さん二人を叱っておられた場面を、結局私は一回も見ませんでした

...また、興味深かったのですが、漫画家を辞めた理由についてRさんは、

「その時の編集者から『あなたの漫画にはいい人物ばかりが出てくる、悪い性向の人物をもっと登場させてもらわないと』と言われ、自分には描けなかったから」

とおっしゃっていました

...そんなRさんとの「研究」の場面で、印象深く思い出す事があります

それは、Rさんが、旧約聖書に出てくる『呪い』という言葉をすごく怖がっておられたという事でした

「『呪い』という言葉自体が怖い、引っかかる、なんでこんな気味の悪い言葉が出てくるのか?」

と言われるのです

私は当時、自分なりに調べて説明を尽くしましたが、

「この言葉はとにかく嫌だ」

とのことで、不快に感じられるところはそのうち分かってもらえるだろうから取り敢えず飛ばす、ということで収めました


さて、Rさんという方は本当に器用で、作られる食事は全てことごとく美味しく、他にも手作業をされたら何でも仕上がりが綺麗で、手芸で小物などを作り玄関先で売ってもおられました

「大抵何をやっても上手に出来る」

と、自慢せずご自分でも言われていました

...そんなRさんに、私はある事を聞いてみたくなり、お尋ねしてみました

それは、

「クリエイティブなお仕事をされている方は、よく『アイデアが降りてくる』と告白されることがあるが、Rさんにもそういう感覚があるか?」

という質問でした

...答えはなんと、

「いつもある」

でした

漫画を描くときも、イラストも、モノを作る時も、そういう感覚があり、「どうやったら上手に出来るか声が聴こえて教えてくれる」と言われるのです

エホバ教の熱心な信者だった私は

(声!やっぱり悪霊の力か⁉︎)

当然、即座にそう連想しました

でも同時に、ちょっとよぎったのは、

(Rさんは、それでイラスト描けてるのか...)

(上手く絵が描けて、お金が貰えたら、普通「有り難い」と思うやんな)

(良いイラストとか漫画描いても、悪霊って言われたら普通...)

(...そのうち学ぶ事になるけど悲しいな)

(でも、それが罠や、Rさんもサタンに関わったらアカンし!)

そのような事を思いました

...この、

「サタンが人にインスピレーションを与えて、物事を一時的に上手く行わせる」

こういった類の内容を、多くのJW関係者の方は耳にされたことがあると思います

私の研究生時代や、バプテスマ後すぐの頃、周囲の姉妹達に

「サタンは特に若い人達をエホバから引き離すため、魅力的な芸能や音楽を通して罠を仕掛けてくる」

「作家に働き掛けて、エホバの証人に害になる歌やアニメを作らせ夢中にさせる」

そういう話を聞かされたことが何度もありました

...姉妹達がよく言っていたのが、とあるプロの人気女性ミュージシャンや、超有名漫画家の方などが、

「自分は作品を生み出す際、霊感(インスピレーション)を受けている」

と公言している、という話題でした

当人(※その一流のアーティスト・作家の方達)が、テレビやラジオ、その他で自らそう語っていたということでしたが、私はその内容を見聞きしてはいませんので、真偽の程は分かりません

とは言え私もサタンは実在者だと信じていましたから、その話が本当なら、当然そういう事はあり得るだろうと考えていました

...実は研究を進めていくうちに

「研究に来て貰うようになってから、声が聴こえる事が少なくなった」

とRさんご自身がおっしゃるようになっていました

そして、そのうち遂に

「全く声が聴こえ無くなった」

と言われたのです

こういう場合、普通なら司会者は

(エホバの良い霊が勝ってサタンが逃げ去った!)

と喜ぶ事でしょう

ですがその時一瞬、私はこんなことを思っ(てしまっ)たんです

(Rさんが絵が描けなくなって、収入が無くなってしまったら?)

...エホバの証人的には、これは不信仰、不謹慎、近視眼的な考え方です

もちろん長い目で見たら、

「エホバの道を選べば最終的に全てが上手くいく」

「一時的に物質を失ってもエホバはその人の事を喜ばれ、助けられる」

それがエホバの証人の考え方です

その事を自分も本気で信じ、またそうであるからこそ、生活を実際に変えて来ました

ですが、こと「人の」生活を変えさせてしまう事については心の奥底では怖れがありました

そういう怖れが浮かぶ時には、自分が実際にそれまでに経験した導き、会衆の兄弟姉妹達の祝福の実例、大会の励みになる経験、聖書中の出来事などの、「試練を乗り越えエホバを選んで最終的に本当に良かった」というあまたの例を思い出す事で、その手の怖れはこの信仰による人助けの実践上「無用な事」だとして、心の隅へ払うようにしてしまっていたのだと思います

...そんなこんなで毎週一回の「研究」は続きました

Rさんとはたくさん話し合い、Rさんは聖書について受け入れられる部分はご自身で受け入れられ、一方ご自分の考えを変えられない部分については「そのままで良いです」という感じで私はお伝えしてやっていましたので、考えが違うところがあっても二人が“決裂”するという事はありませんでした

個人的には、研究に関係のないところで「生き方の違う友人同士」として、刺激し合える意味ある時間を楽しく共有出来た部分があったので、友情関係が上手くいっていたのだと思っています


Rさんとは四月に出会い、十月になっていました

...そしてこの十月に、ある変わった出来事があり、Rさんはそれを機に、研究をスパッと辞められる事になったのです




...年内に書き終えたかったですが

うぅっ...

持ち越しますm(_ _)m!




【ご挨拶】

アメブロの皆さま、今年は大変お世話になりました

また、お名前を知らない、読みに来てくださった全ての皆さま、本当にありがとうございました

今こうして精神が穏やかでいられるのは、ブログという媒体を通し、たくさんの理解者の方々・共感者の方々と繋がる機会を持たせて頂いたおかげが大きいと、心より感謝しています


本当にありがとうございました


覚醒から脱塔に絡んで約二年程、色々大きな事があり、もう自分の一生でこれ以上インパクトのある事はそうそうないだろう、と思っています


それ程の事でした


この宗教に関わって誠実に苦悩されている方々が、今どれほど苦しい状況におられるか、経験した自分はいつも想像しています


...皆さま、どうぞ、お体を大切になさって下さい


体調を崩しておられる方は、どうぞ今以上に、崩されませんように...


とにかく少しでも早く、今より少しでもラクになられるように、いつも心から願っています!


本当にありがとうございました