(前回からの続きです)


元漫画家Rさんとの研究は、そのような印象的な出だしでスタートしました

Rさんには勤め人のご主人さんと、二人の可愛い小さなお子さん(女の子、男の子)がおられました

研究は、エホバの証人の“常識”(※一般的には非常識)である、ご主人さんがお仕事で不在の時に私がお伺いする、というパターンで行う事になりました

ご主人さんの仕事が変則的なので、それに合わせてRさんが私を呼んでくださる曜日と時間帯も毎回変わり、「週末の日中」の事もあれば、「平日の夜7時から」という事もありました

平日夜の場合、私は仕事から帰ってすぐの余裕のない流れになるので

「ご飯食べずに来たらいいよ、一緒に食べよう」

と言って下さり、お言葉に甘えてRさんの家庭料理を子ども達もみんなで一緒に頂き、その後研究、という形をとっていました

「研究」ですが、資料は『知識』『永遠に生きる』などを使いました


(...動機はどうあれ、ものみの塔というカルト組織による「真の意図」の隠された資料を使い、人の生き方を変えようとしていた事を考えると、現役時代は本当に責任重大な恐ろしい事をしていたと思います)


資料の内容が少し進むたび、Rさんはその点に関しての「ご自身の考え」をまず語られ、度々「本筋」から脱線しましたので、一回につき1ページ、場合によっては半ページも進まないことも度々ありました

Rさんは、人に軽率に迎合する事のない方でした

かと言ってひねくれたり皮肉めいたところがある訳では無く、とても正直な方で、一緒にいてその自然さが私にはとても心地好く、「Rさん」という方と知り合う事は本当にいい経験となりました

また、Rさんは最初の出会いで言われたように「愛というもの」について、日頃から自分なりに深く考えてこられたとの事で、「こうだと思う、ああだと思う」と、よく真顔で、真剣に語って下さいました

家庭ではご家族のため、手間のかかるものでも何でも手作りされたり、また子どもさんについては、いつでも自由に飛んだり跳ねたり研究中でもテーブルの周りで好きに遊ばせ、とにかく元気に伸び伸び育てておられました

Rさんが私の前で小さなお子さん二人を叱っておられた場面を、結局私は一回も見ませんでした

...また、興味深かったのですが、漫画家を辞めた理由についてRさんは、

「その時の編集者から『あなたの漫画にはいい人物ばかりが出てくる、悪い性向の人物をもっと登場させてもらわないと』と言われ、自分には描けなかったから」

とおっしゃっていました

...そんなRさんとの「研究」の場面で、印象深く思い出す事があります

それは、Rさんが、旧約聖書に出てくる『呪い』という言葉をすごく怖がっておられたという事でした

「『呪い』という言葉自体が怖い、引っかかる、なんでこんな気味の悪い言葉が出てくるのか?」

と言われるのです

私は当時、自分なりに調べて説明を尽くしましたが、

「この言葉はとにかく嫌だ」

とのことで、不快に感じられるところはそのうち分かってもらえるだろうから取り敢えず飛ばす、ということで収めました


さて、Rさんという方は本当に器用で、作られる食事は全てことごとく美味しく、他にも手作業をされたら何でも仕上がりが綺麗で、手芸で小物などを作り玄関先で売ってもおられました

「大抵何をやっても上手に出来る」

と、自慢せずご自分でも言われていました

...そんなRさんに、私はある事を聞いてみたくなり、お尋ねしてみました

それは、

「クリエイティブなお仕事をされている方は、よく『アイデアが降りてくる』と告白されることがあるが、Rさんにもそういう感覚があるか?」

という質問でした

...答えはなんと、

「いつもある」

でした

漫画を描くときも、イラストも、モノを作る時も、そういう感覚があり、「どうやったら上手に出来るか声が聴こえて教えてくれる」と言われるのです

エホバ教の熱心な信者だった私は

(声!やっぱり悪霊の力か⁉︎)

当然、即座にそう連想しました

でも同時に、ちょっとよぎったのは、

(Rさんは、それでイラスト描けてるのか...)

(上手く絵が描けて、お金が貰えたら、普通「有り難い」と思うやんな)

(良いイラストとか漫画描いても、悪霊って言われたら普通...)

(...そのうち学ぶ事になるけど悲しいな)

(でも、それが罠や、Rさんもサタンに関わったらアカンし!)

そのような事を思いました

...この、

「サタンが人にインスピレーションを与えて、物事を一時的に上手く行わせる」

こういった類の内容を、多くのJW関係者の方は耳にされたことがあると思います

私の研究生時代や、バプテスマ後すぐの頃、周囲の姉妹達に

「サタンは特に若い人達をエホバから引き離すため、魅力的な芸能や音楽を通して罠を仕掛けてくる」

「作家に働き掛けて、エホバの証人に害になる歌やアニメを作らせ夢中にさせる」

そういう話を聞かされたことが何度もありました

...姉妹達がよく言っていたのが、とあるプロの人気女性ミュージシャンや、超有名漫画家の方などが、

「自分は作品を生み出す際、霊感(インスピレーション)を受けている」

と公言している、という話題でした

当人(※その一流のアーティスト・作家の方達)が、テレビやラジオ、その他で自らそう語っていたということでしたが、私はその内容を見聞きしてはいませんので、真偽の程は分かりません

とは言え私もサタンは実在者だと信じていましたから、その話が本当なら、当然そういう事はあり得るだろうと考えていました

...実は研究を進めていくうちに

「研究に来て貰うようになってから、声が聴こえる事が少なくなった」

とRさんご自身がおっしゃるようになっていました

そして、そのうち遂に

「全く声が聴こえ無くなった」

と言われたのです

こういう場合、普通なら司会者は

(エホバの良い霊が勝ってサタンが逃げ去った!)

と喜ぶ事でしょう

ですがその時一瞬、私はこんなことを思っ(てしまっ)たんです

(Rさんが絵が描けなくなって、収入が無くなってしまったら?)

...エホバの証人的には、これは不信仰、不謹慎、近視眼的な考え方です

もちろん長い目で見たら、

「エホバの道を選べば最終的に全てが上手くいく」

「一時的に物質を失ってもエホバはその人の事を喜ばれ、助けられる」

それがエホバの証人の考え方です

その事を自分も本気で信じ、またそうであるからこそ、生活を実際に変えて来ました

ですが、こと「人の」生活を変えさせてしまう事については心の奥底では怖れがありました

そういう怖れが浮かぶ時には、自分が実際にそれまでに経験した導き、会衆の兄弟姉妹達の祝福の実例、大会の励みになる経験、聖書中の出来事などの、「試練を乗り越えエホバを選んで最終的に本当に良かった」というあまたの例を思い出す事で、その手の怖れはこの信仰による人助けの実践上「無用な事」だとして、心の隅へ払うようにしてしまっていたのだと思います

...そんなこんなで毎週一回の「研究」は続きました

Rさんとはたくさん話し合い、Rさんは聖書について受け入れられる部分はご自身で受け入れられ、一方ご自分の考えを変えられない部分については「そのままで良いです」という感じで私はお伝えしてやっていましたので、考えが違うところがあっても二人が“決裂”するという事はありませんでした

個人的には、研究に関係のないところで「生き方の違う友人同士」として、刺激し合える意味ある時間を楽しく共有出来た部分があったので、友情関係が上手くいっていたのだと思っています


Rさんとは四月に出会い、十月になっていました

...そしてこの十月に、ある変わった出来事があり、Rさんはそれを機に、研究をスパッと辞められる事になったのです




...年内に書き終えたかったですが

うぅっ...

持ち越しますm(_ _)m!




【ご挨拶】

アメブロの皆さま、今年は大変お世話になりました

また、お名前を知らない、読みに来てくださった全ての皆さま、本当にありがとうございました

今こうして精神が穏やかでいられるのは、ブログという媒体を通し、たくさんの理解者の方々・共感者の方々と繋がる機会を持たせて頂いたおかげが大きいと、心より感謝しています


本当にありがとうございました


覚醒から脱塔に絡んで約二年程、色々大きな事があり、もう自分の一生でこれ以上インパクトのある事はそうそうないだろう、と思っています


それ程の事でした


この宗教に関わって誠実に苦悩されている方々が、今どれほど苦しい状況におられるか、経験した自分はいつも想像しています


...皆さま、どうぞ、お体を大切になさって下さい


体調を崩しておられる方は、どうぞ今以上に、崩されませんように...


とにかく少しでも早く、今より少しでもラクになられるように、いつも心から願っています!


本当にありがとうございました