少しの間、アメブロでひとりになってみました



ブログをなぜ書きたいと思ったか?


誰に向けて書きたいと思ったか?



最初の頃の熱い想いを思い出してみました





思い出せました





私は、今のままなら「ものみの塔」は、なくならないといけないと思っています


ものみの塔は、エアバッグの開かない車を作って売っている会社のようなものです


エアバッグが“付いていない”と言って売っているのではありません


エアバッグが“付いている”と言いながら“実際は開かない車”を作り続け、売り続けているのです



とんでもないことではないでしょうか



...これについては、ある人は心配故に、こう言うかも知れません


「多くの従業員が夢を掛け、人生を掛けて、長年この会社で車を作って売ってきた...今さら真実を明かしてショックを与え、どうにかなったら責任は取れるのか?」



(でも、その車...エアバッグが開かないんですよ?)



さらに、こんなふうに言う人もあるかもしれません


「あの人たちは会社の人間関係が全てなのだ、年取った今それを失ったら、どうやって今後の孤独に耐えられるのか」



(でも、その車、エアバッグが開かないんですよ⁉︎)



実際、宣伝を信じて全てを投げ打ち車を買って家族全員乗り込んだにも関わらず、エアバッグが開かず(※1975年問題など他多数)大けがをし、人生を棒に振った被害者が事故の後遺症に未だ、苦しんでいる場合があるのです


大けがで済まず、亡くなった人もいるかも知れない




開かなかったエアバッグ
公表されず、謝罪もない




そしてこの“自動車会社”の看過できない隠された実態に気付いた工員、メカニック、セールスマン達の訴えは全てひねり潰され、彼らは次々にクビにされていっている


この状態がリアルに現在続いているのが


...悲しいかな、私達が関係してきた、ものみの塔なのです



このまま続くって、いいんでしょうか?



さて、前回の記事で予告したことですが、近い将来、もし組織の嘘がバレだし漏れ出し、動揺が始まったとしても、ショックを和らげるためにできることがあると思っています


エホバの証人です、聖書をうまく使ったら励ませる「はず」なのです


組織崩壊がもし始まっても

「時と予見し得ない事はすべての人に」

の聖句から、この「すべての人」には当然エホバの証人も含まれる、ということを思い出させてあげることができます

また、

「すべての慰めの神」

は、「すべて」、あらゆる悲しみやいかなるショックからでも私達を強め、立ち直らせてくださることが可能であることも振り返れます


それでもやはり動揺されたなら、

「これまでさんざん、野外の人にこの聖句で証言してきたじゃない!そんなあなたがこの言葉に信仰を持てないの?」

そう言って、かつての自分の雄々しい証言姿を思い出してもらい、強めてあげられるかもしれません

また、培ってきたこのコミュニティは、それを望む人のために維持しようと思えば有志が集まってできるだろうし、孤独になることはなく、みんなと共にこの試練は乗り越えられると伝えられるかもしれません

さらに、組織は仮に無くなっても「聖書」や「神」が無くなるわけではない、そのまま信仰を持てば良い、ということも思い出させてあげられます


そしてこの機会の...最も嬉しいこと


...これまで長い不遇の時代を耐えつつ組織の実態を訴えてきた、でも出るに出られず苦悩してきた多くの人たちが名誉を回復し、晴れて自由になれるのです



以上のことから私は、組織が仮に崩壊しても、本人と周りの人の協力・高い意識次第でその挫折から立ち直ることはできるということ、また当人が望まれるなら引き続き聖書への信仰を保って強く生きていくことは、十分可能だと思っています



...何がキッカケでどうなるか分かりません



いつでも応援しています!