そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。


GWに入ると予定の調整が難しそうでも、
その前であれば集まることができました。
長女サクラと次女モモと私たち夫婦4人で飲むなんて何年ぶりでしょう。
前回4人で集まったのは、10年くらい前、妻のサマンサの誕生日に元町で食事したのが最後ではなかったかと思います。

今回、パンサー、マドカ、&マカロンの3愛猫の世話はカシワ君が、
モモの長男ケヤキと次男ポプラの子守はヒノキ君が
引き受けてくれたおかげで、この集まりが実現しました。


*********************

幸い、わが家の最寄り駅近くにある、お気に入りの居酒屋に予約できました。
それぞれの家庭の出来事やら、娘が子どもの頃のエピソードやら、出て来た刺身の美味しさやら、
話題があちこちへと飛ぶ、途切れることのない会話が交わされます。

娘たちと一緒に暮らしていた時の食卓の雰囲気を思い出しました。

それでも、娘がともに30代後半ともなるとパワー・バランスも変わり、
ものの考え方や行動に関する話題ともなると、
妻のサマンサも私も、対等かやや劣勢といったところです。

それでも、家族の空気があの頃と変わらないのは、
会話のキャッチボールやツッコミどころのテンポが同じなのでしょう。
あるいは、サクラやモモが大人になって、
会話のリズムやテーマを私たち二人に合わせていたのかも。


*********************

ひさしぶりのかつての家族4人での食事です、
それぞれにちょっとした悩みごとがあったとしても、
話すのはこの時ではないと話題を選んでいても不思議ではありません。

これまでサクラやモモにちょっとした手助けしてきましたが、
これからはサマンサと私が援けてもらう側になる場面が増えてくるに違いありません。

といっても、サクラもモモも自分の家庭を維持するのだって大変な世代です。
二人とも仕事をもっているし、どちらの住まいもわが家から1時間ほど。

私たちもそう気軽に何でも頼るわけにもいきません。


*********************

これから先、私たち夫婦にだって、
どうしても二人の援けをしばしば必要とするピンチが訪れることもあるでしょう。

妻のサマンサは娘二人とも仲もいいので心配ありませんが、

私はちょっと自信ありません。

LINEだってサマンサ+サクラ+モモのグループだし。

 

ピンチに備え、娘二人に私の方を向いてもらえるように、
架空の資産の存在でも話題の端に匂わせておこうかなぁ。
でも、嘘がバレたら、反動は大きそうだし・・・・。



[end]
 

*****************************
作家別本の紹介の目次なら
日本人著者はこちら

海外の著者はこちら
i-ちひろの本棚(読書メーター)はここをクリック
*****************************

 

ふだん何かと理屈でものごとを整理しがちなので、
時々カチカチになった頭をほぐすために脳をシャッフルします。

シャッフルする方法のひとつが、理解しがたい人物が登場する小説を読むこと。
今回の主人公は、私にはまったく理解できない、どうしようもない女性でした。


*********************
 

I'm sorry, mama / 桐野夏生(集英社文庫)
2004年刊、2007年文庫化
お気にいりレベル★★★☆☆

文庫本250ページほどが12章から成ります。
はじめから7章までは、被害者側からの視点から主人公が犯す事件が描かれます。
被害者はなぜ自分がこんな目に遭うのかわからないまま、犯行の標的にされます。
主人公の生い立ちや人生がおぼろげに伝えられながら、おぞましい殺人がいとも簡単に続きます。

8章以降は主人公のルーツを巡る物語です。
主人公が生まれ育った場所に出入りしていた人々の経歴洗浄の物語と重なりあいます。


*********************

読み進むにつれ、
主人公の生い立ちに同情すべき点があることから、
主人公の少女時代の奇行にも、その背景を慮る余地はあります。

それでも、彼女の犯行動機はわからず、理解するきっかけを探しつづけました。
怒り、憎悪、嫌悪、憧れ、孤独、安堵、危機感、虚無感、諦め etc.といった感情が
どのように化学反応を起こして犯行におよんだのか、
結局、私にはわからずじまいでした。

かといって同情や憐憫の気持ちが湧いてはきません。

そういう意味では、
理解不能なものに接して私自身の脳内をシャッフルする目的には適った小説でした。


*********************

主人公以外の登場人物もこんなひとクセある人たちで、読んでいて心の底から心を寄せきることはできず、自分の感情の置きどころに苦慮しました。

母子を装う歳の離れた夫婦
寝たきりの妻の服を着てでかける夫
華やかな経歴をメイドに聴かせる、長年ホテル暮らしの老女
横須賀のドブ板通り裏に住む、新興宗教に入信したアル中の老女
ギャンブラーの夫に女帝に仕立てあげられてホテルチェーンを築いた女性社長
妻から見ても見分けがつかないように装う双子兄弟 etc.


*********************

ただ、読み終えてこの小説をふりかえると、

もし守るべきものが自分だけだったとして、
自分の責任ではないのに不遇で周りから悪意の矛先にされたら、
いつでも、どこでも、こんなことをしでかす人物が表れても不思議ではありません。

他人の死は自分を自由にするってことがわかったのも、あの日だ。他人の死は、ノートを真っ白に変える消しゴム。あたしは消しゴムの使い方がうまい。


縁などなくても、街のどこかでちょっとしたきっかけで、
こんな感覚をもつ人物に遭遇するかもしれないし、
親しくなってもそんな人物とは気づく自信はありません。



[end]
 

 

*****************************
作家別本の紹介の目次なら
日本人著者はこちら

海外の著者はこちら
i-ちひろの本棚(読書メーター)はここをクリック
*****************************

 

おととい、夏のような陽気のもとで
洗車と草むしりを終えて居間にもどると、妻のサマンサに労いの声をかけられました。
「冷凍庫にたい焼きがあるよ」

疲れたときには甘いもの、とりわけあんこを食べると、ほっとします。

20代のころまででしょうか、若い時分には甘いものはあまり好きではありませんでした。
特にあんこモノは苦手で、まず口にすることはありませんでした。
何かきっかけがあったわけではありませんが、いつのまにか口にするようになり、
いまでは、いまの時季なら柏餅、ふだんでも大福やきんつばを、
自ら好んで手を伸ばすようになりました。


*********************

思いかえすと、こうして特別のきっかけもないのに、
かつては嫌いだった食べものが、いつの間にか好みになったものが他にもあります。

豆類もそう。
私が高校の食堂のチャーハンを食べたあとにはグリーンピースが転がっていたのに、
いまでは春先にはえんどう豆の炊き込みご飯は好物です。
それどころか、毎朝、30~40gの大豆が、カレー風味やタコス風味で、あるいはつぶしてガーリックと胡椒をきかせて、サラダのトッピングで登場します。

カボチャやさつまいものようなホクホクした食感の甘い食材も、いつの間にか好物に転換した仲間です。


*********************

逆のパターンもあります。若い頃は好物だったのに、いまでは進んで口にしなくなったもの。

カレー。市販のルーを使って自分で作ってまで食べていたのに、今では強い脂が苦手で遠ざけています。
わが家の食卓にも時おりカレー風味で煮込んだ鶏が出るくらいです。
もともと、サシの入った牛肉やトロといった。油や脂の強い食べものは苦手で、そこに仲間入りした感じです。

イクラやウニも、若い時分は鮨で手を伸ばしましたが、いまでは苦手です。


*********************

ここまで好き嫌いの入れ替えがはっきりしていないものの、
春巻きやトンカツなど、好みでも献立から揚げ物の回数が減り、
揚げるにしても、ロースよりヒレ、ロースでも脂身をけっこう削ります。

インド料理や唐辛子を多く使う香辛料の強い料理も口にする回数が減りました。

菓子類もクリームをたっぷり使ったケーキは買っても小ぶりのものに、
クリームを使ったケーキに代わり焼き菓子が登場回数を増やしました。


*********************

こうして、あらためて食べ物の好みの入れ替わりを振りかえると、
好き嫌いが入れ替わるとくだんのできごとがあったわけでもないので、
年齢が進んで身体が求めたり拒んだりするものが変わってきたのでしょう。
おそらく、変わっているのは食の好みばかりではないのでしょう。

きょう、身体リスクの定期チェックの結果を聴きにいってきます。
時の経過と加齢は静かながら確実に進みます。

きのうから、ありふれたひとりの女性の人生の40代から晩年を静かに描いた小説を読んでいます。

はたして、年月の流れは彼女にどのように表れるのでしょう。


[end]

 

*****************************
作家別本の紹介の目次なら
日本人著者はこちら

海外の著者はこちら
i-ちひろの本棚(読書メーター)はここをクリック
*****************************

 

この著者は、アメリカの東部を3,500kmにわたりのびる自然道、アパラチアン・トレイルを踏破しました。

Google Map によれば、
北海道の北端宗谷岬から鹿児島県佐多岬まで歩いたとしても2,600km足らず。
3,500kmは歩くにはとんでもなく長い距離です。

この本に書かれているのは単にその踏破の記録ではありません。

そもそも生物が通った跡である道とは
どのようにしてできるものなのか
、という視点です。

果ては、国境をまたぐ国際的なトレイル〈道〉や
抽象的・概念的な道まで思索は及びます


*********************
 

 

トレイルズ(「道」と歩くことの哲学)/ ロバート・ムーア著、岩崎晋也訳(エイアンドエフ)
原題:On Trails: An Exlprolations, Robert Moore
2018年刊
お気にいりレベル★★★★☆

トレイルは「信頼してついていくことのできる印のつながり」です。(リチャード・アーヴィン・ドッジ大佐による定義)
「印」とは、例えば動物が通る際に残す足跡、糞、折れた枝といった目印です。

最初の生物はなぜトレイル〈道〉(何度も通った跡)をつくったのか?
トレイル〈道〉の機能とは?
一度断絶したトレイル〈道〉を、昆虫、動物、人間はどのようにして伝承してきたのか。
現在のトレイル〈道〉(観光用を含む)はどのような歴史を経てできたのか?
科学技術の発展にともない、トレイル〈道〉と人間の関係はどのように変わったか?
そして何よりも、なぜ大変な思いをしてまで長距離のトレイル〈道〉を歩こうとするのか?

こうした疑問を解くために、
実際に長いトレイル〈道〉を歩くことに加え、
ロングトレイルに挑戦する人びとの言動や生き方、
生物、先住民の生活、科学と暮らしの変化などの研究など、
多岐にわたる分野に著者は思索の翼を広げます。


*********************

昆虫のアリを題材にした小さな生物たちが作るトレイル〈道〉プロセスや仕組みに関する記述や、
異なる生物の作ったトレイル〈道〉を利用している実例は、
人間歴史のなかで暮らしがトレイル〈道〉を歩くことを通じて他の生物の生活に影響されてきたことにあらためて気づかされました。

文字が一般的に使われていなかった時代・地域において、
生きる知恵=文化の伝承と土地との関係は不可分であったことは、
考える価値のあることでした。

その延長でといってもよさそうな話で、
私にとって「自然」という概念が大きく揺らぎました。
いまの人間がもたらした結果を含めて「自然」かもしれません。
他の生物の実例や歴史からすると、私に末恐ろしい想像をもたらしました。


*********************

一方で、実際にロング・トレイルを歩く人々の思考やコミュニケーションの逸話を読むと、
本書の『「道」と歩くことの哲学』という副題もうなづけました。

長年、ロング・トレイルを歩き続けた伝説的人物が、
もうトレイル〈道〉を歩くことを止めようとの決意を
歩いている途中で告白した時、
一緒にいた人たちがとった、自分の命を削るような行動には心が動かされました。

「体験する」→「知る・感じる」→「考える」→「問う」→「答え(仮説)を得る」→「検証する=体験する」というサイクルを、本書上で疑似体験させてもらいました。



[end]
 

 

*****************************
作家別本の紹介の目次なら
日本人著者はこちら

海外の著者はこちら
i-ちひろの本棚(読書メーター)はここをクリック
*****************************

この作者の芥川賞受賞作『乳と卵』を読んだ時の記憶は、
14年経った今も圧倒された体感ばかりです。

何に圧倒されたかというと、
ぐいぐいと圧してくる大阪弁、
主人公の姉が意識的に放つある種の女っぽさといわれる行為、
主人公の姪の母親(=女性性)に対する強い拒絶・・・・ etc.
100ページの文庫本の圧力の正体をろくに探れないままでした。

なのに懲りずに、同じ川上未映子作『夏物語』に挑戦しました。
『夏物語』の第一部は事実上『乳と卵』そのもの、
第二部はその8年後の後日譚です。

読んでみて、
親として子をつくるか否か、
親とは、
子として生まれてしまったら、という視点から
特定の考えにこだわらず幅広く果敢に挑んだ
本作に手を伸ばしてよかったです。


*********************
 

 

夏物語 /川上未映子(文春文庫)
2019年刊、2021年文庫化
お気にいりレベル★★★★☆

もう一度読み返したら、

さらに人物の心の奥が見えて★x5になりそうです。

第一部で描かれるのは、2008年の夏、
東京の下町三ノ輪に住む作家志望の夏子(30歳)のもとで、
大阪から豊胸手術のために上京したホステスの巻子(39歳)と
その娘緑子(12歳)が過ごす3日間。

第二部は、あれから8年後、
小さな文学賞を受賞後、細々と作家を続ける夏子が、
独り身で、性欲もないのに

自分の子どもに会いたい、一緒に生きてみたいと迷う日々です。

20歳になった姪緑子とその彼春山くん、
独身主義の編集者仙川涼子、
シングル・マザーで作家の遊佐リカ、
非配偶者からの人工授精(AID)関係者 etc.

 

結婚や出産・子育ての視点から

男女親子様々な立場と考えを持った人物が、
場面や相手を選びながらも率直に考えを言葉にします。
それぞれの立場や考えの違いから発言し、

時には議論を交わすことも。

*********************
 

わたしたち、言葉は通じても話が通じない世界に生きているんです。

編集者仙川涼子が夏子と初対面でこんなことを言い、このあと村上春樹の『1973年のピンボール』の言葉を引きました。

作者の筆は特定の考え方に肩入れすることなく、
意外な角度からの考えを登場人物に端的な言葉で語らせます。

そんな言葉を投げかけられながらも、
主人公夏目夏子は立場・考えの異なるそうした人たちと接し、その度に心が揺れます。


*********************

女性の個性的な人物が次々と登場する一方で、
夏子の父や元カレ、作家遊佐リカの元夫、精子提供者など、
男性はいまひとつうだつがあがらない人物が並びます。

特定の考えに肩入れしていないにも関わらず、こうした描き方になるのは、
提供者の匿名性があるAIDに関わる場面もあるからか、
子育てはおろか、出産というか生殖において、
男性(オス)の役割に通過的一面が見えるのかもしれません。

そのためではないものの、
男性読者として、テーマの当事者に移入できませんでした。
私がもっと身につけなければならないか、あるいは
捨てなければならないか、考えます。


*********************

一方で、この小説でぐんと視点の拡がりと深みを添えているのが
AIDによって生まれた登場人物です。

頼まれて産んでもらったわけではない点では、
通常の出産で生まれた人と何ら変わりはありません。
また、AIDでなくても産みの親を知らないケースはあります。
彼らが親の役割や責任をどのように想像し、

自分の将来に向き合うか。

そうしたケースとの同一性と相違を
人の気持ちとしてどのように表されているか。

川上未映子の「いのち」の責任にかかわる思索と創作に強く惹かれました。


[end]

 

*****************************
作家別本の紹介の目次なら
日本人著者はこちら

海外の著者はこちら
i-ちひろの本棚(読書メーター)はここをクリック
*****************************