肯定ログ

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好きなものは好きと言います。肯定ペンギンなので。備忘録。

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 ラブライブ!サンシャイン!!2期感想「#13 私たちの輝き」篇になります。

 文字数制限でHTMLタグが存分に使えず読みづらいかもしれませんがご了承ください。

 

 ふつうの、ひとりの女の子が自分を見つめ、自分の人生を肯定し、自分をスキになる。

 

 最高の愛の物語。

 

 

 TVアニメ版26話が全て終わったので、ざっくり総括がてら書けたらいいなと思っています。

 

 

 

 

  •  ありがとう浦の星

 ついにやってきた卒業式&閉校式。

 通常であれば卒業式が先駆けて行われ、在校生の終業式はその後に行われるもの。

 全員が同じタイミングで終わりになる、というのは言いようのないカタルシスを感じます。

 

 式を前に、空っぽになった部室でとりとめのない時間を過ごし「なんにも無くなっちゃったね」という千歌たち。

 

 そこに現れた果南。

そんなことないよ。

ずっと残っていく。これからも…

 かつてこのホワイトボードにメッセージを忍ばせ、自身の口からは多くを語らなかった果南。

 

 そんな果南が、ホワイトボードに頼らずに自分の口で想いを綴る。

 

 こういうふとした機微に彼女たちの成長を感じられるのがこのアニメの好きなところです。

 

 

 場面は移り、「理事長」と「生徒会長」が最後の仕事に向けて打ち合わせをしています。

言っておきますけど、おふざけはNGですわよ。
最後くらいは真面目に。
もちろんそのつもりデース。
一番真面目に、一番私たちらしく。
本当です…の

 よりによって理事長室の窓にデカデカと自分の名前を書いちゃうの、実はかなり肝座ってるんじゃないのか?

 

 

これは、なんですの?
ダイヤちゃん、寄せ書きなんだって。最後にみんなでって。

 

 ダイヤ”ちゃん”。

 

 かつて「ちゃんとしてるダイヤさんが好き、だからダイヤさんでいてください。」と言われてから形式的に一度だけ呼ばれた、念願のダイヤ”ちゃん”。

 

 今日限りで生徒会長や上級生としての責務を終えるダイヤにとって、最高に嬉しい「送辞」だったのではないでしょうか。

 

 

 刷毛を差し出されたダイヤどころか、全校生徒総出で中庭側の壁に寄せ書きをしていきます。

 

 

 

 

 このラブライブ!サンシャイン!!2期は「Aqours Next Step Project」のうちのひとつ。

 

 「Next Step Project」テーマソング【Landing  action Yeah!!】の歌詞に"ずっと変わらないモノ?楽しい思い出の中に閉じ込めるいまの光かな" とあるように、学校の外側からは見えない場所に想い出を閉じ込めているようにも思えます。

 

 そしてこの寄せ書き、自分たちのために遺したものであることに間違いはないのですが、もう一つの意味も込められていたら。

 

 そのもう一つの意味とは、「まだ見ぬ後発のスクールアイドルたちへ向けて」。

 

 かつてAqoursは手がかりを求め、かの伝説の音ノ木坂学院へ訪れました。

 

 在校生曰く「見学に来る人は多い」とのこと。

 

 つまるところ、「ラブライブに優勝したが廃校になってしまった」というおまけ付きの浦の星女学院もまた伝説にならないはずがなく、浦の星に見学に来るスクールアイドルだっていてもおかしくありません。

 

 そんな後発のスクールアイドルたちに何かひとつでも「気づき」のきっかけがあればいい、というメッセージも込められているのかもしれません。そう思えば、素敵じゃない?

 

 

 

 もう誰も着ることがなくなってしまう浦の星女学院の制服のデザインを永遠に遺しておく、というのも素晴らしいですね。

 

 

 顔中ペンキまみれになりながら、浦の星女学院はその長い歴史の幕を閉じます。

 

なんか変だね、鞠莉からもらうなんて。
一生の宝ものだよ。大切にね。
卒業、おめでとう!

 すれ違ったままでは絶対に見ることのなかった光景、ダイヤの万感の表情。

 まさに宝もののような時間です。

 

 

 卒業式&閉校式を終え、各々が想い出の扉を閉じに向かいます。

 

 

 

 2年生の教室。

 

 むつたちが描いた、と言っていますが、これは沼津へ舞台探訪で訪れた人であればほぼご存知であろう「つじ写真館」さんの黒板アートです。

 各キャラクターのお誕生日やイベントごと、いつも楽しみにしています。

 

 いちファンの想いが起こした行動が、こうしてサンシャイン!!に還元されていくこと。

 ファンの気持ちがコンテンツを支えていることを改めて感じますし、なんだか自分のことのように嬉しかったでのです。

 

 

 

 

 次いで図書室。

 

 図書室といえば花丸とルビィにとって大切な場所。

 ふたりがスクールアイドルになったときのことを善子は知りません。

 

 だから善子は扉を閉じるのを拒んだ。

 この部屋はふたりのものだから。

 

 無粋なことはしない、という善子はやっぱり善い子なのですが、珍しく声を荒げる花丸に気圧され一緒に閉めることに。

 

 花丸とルビィにとって、善子はかけがえのない仲間です。

 だから一緒に閉めてほしかったのでしょう。

 

 ありがとう。

 

 

 次いで音楽室。

 

わたしね、すーっと言っておきたいことがあったんだ。
実は、梨子ちゃんのことが、だ~~~~~~~…

 

 最終回で修羅場はやめてね…

 

 

いすき!

 

 ですよね~~~!!!

 

 とはいえ、曜自身ほんのすこし怒っていたこともあるかもしれないし、梨子が戸惑ったのもすこし心あたりがあるからなのではないだろうか。

 

 梨子は転校当初、千歌に付きまとわれていました。

 そのたび、千歌を無下にする梨子。

 

 端から見ていたらあまり印象の良いものではありません。

 更に自分の大好きな幼馴染がそんな扱いをされているのだから、「なんだこのスカしたヤツは」くらい思ってもおかしくない。

 

 対する梨子の心当たりは、1期「#11 友情ヨーソロー」で曜の大事な部分に土足で踏み込むようなことをしてしまったから。

 誰かの心のなかにある地雷を踏んでしまうと、どうしても気まずくなってしまうものです。

 

 別にいがみ合っていたわけではないですが、「#11 友情ヨーソロー」を踏まえてなおこのふたりが何の屈託もなく「だいすき」といえること、良いですね。

 

 

 

 お次は理事長室。

 

 ひとり泣いていた鞠莉に、果南とダイヤから「卒業証書・感謝状」が贈られます。

大丈夫。空はちゃんとつながってる。どんなに離れて見えなくなっても。
いつかまた一緒になれる。

 

 これを受け取ってしまったらすべて終わってしまう、といった表情で躊躇う鞠莉。

 

 「空は繋がってる」と、「#12 光の海」で鞠莉が言っていたことをそのまま言い聞かせる果南。

 

 「また一緒になれる」と、いう「お祈り」も添えて。

 

 

 

 

 最後は部室。

最後はここ。ここがあったから。
みんなで頑張ってこられた。
ここがあったから、前を向けた。
毎日の練習も。
楽しい衣装作りも。
腰が痛くても。
難しいダンスも。
不安や緊張も、全部受けとめてくれた。
帰ってこられる場がここにあったから。

 

 部室のシーンで、鞠莉の口から「帰ってこられる場」という言葉が出てきたことがとても嬉しかったのです。

 

 

離れ離れになってもさ、私は鞠莉のこと、忘れないから。(#9 未熟DREAMER)

 

 果南のこの言葉は、一種の「願掛け」だったのではないだろうか。

 また会える時が来る。

 来て欲しいからこそ、「忘れない」。

 

 こう言っておけば、鞠莉は帰ってこられるんです。帰ってくる場所を用意してもらえているんです。

 

 帰ってくる場所を用意していたのは果南だけではありません。

 

 #9 未熟DREAMER放送当初から僕はずっと、ダイヤのこの行動を「願掛け」だと思っています。

 書いておいた名前を2年生が見るかどうか、見たとしても選ぶかどうかわからない、賭けと呼ぶには勝率の低すぎる、叶うかどうかすら分からない願いです。

 

 「Aqours」という場所を復活させ、果南と鞠莉が帰ってこられる場所を用意していたダイヤ。

 

 

 「#10 シャイニーを探して」篇 で書いたことをそのまま引用してしまいましたが、やはりこれは正しかったようです。

 

 

 こうしてそれぞれが思い思いの場所に別れを告げ、浦の星女学院は最後の扉を閉じます。

 

 

 

  • 千歌と3つの風

 ちょっと寄り道です。

 

 千歌に吹いた「風」について。

 

 ラブライブ!サンシャイン!!全26話の中で、千歌に吹いた3つの風があります。

 

①飄風

 「ひょうふう」と読み、意味は「急に強く吹く風」。

 1期「#1 輝きたい!!」の冒頭や、2期「#12 光の海」でチラシと千歌をUDXのミニターへ誘い、過去の自分たちとの決別を果たした、きまぐれな風です。

 

 

 ただの偶然ではなく、2度も同じようなことが起き、さらには自分の運命を大きく決断させるきっかけになった運命の風。

 

 

 

②向かい風

 これはそのまま。物事の壁や障害になると言った意味の風。

 ダイヤに直談判したときや

 

 1期「#7 TOKYO」 SaintSnowとの初めての邂逅。

 

 どちらも千歌にとっては試練でした。

 

 しかし、これらの邂逅には意味があった。これも運命の風です。

 

 

 

③追い風

 これもそのままです。物事の後押しになるもの。

 

 千歌を翻弄し続けていた風がついに味方になりました。

 足掻き続けた千歌に、ついに運命が味方したのです。

 

 このさきに待ち受けるのは、愛しの仲間たち。

 でもこの時の千歌はそんなこと知る由もありません。

 

 

 

 わずかに空いていた校門。

 

 「もしかしたらいつもみたいにみんな居るんじゃないか」

 

 そんな淡い期待と不安が入り混じったような歩みと表情が切ないです。

 

 

 

 当然誰も居るはずなく、あるのは着陸した紙飛行機だけ。

 リフレインしていた想い出と、現実を目の当たりにして千歌は泣き出してしまいます。

 これだけでは本当にただの意地悪な風です。

 でもこれは千歌にようやく吹いた「追い風」。意地悪なものであっては報われない。

 

 

 

 

「「がおーーーーーーー!」」

 

 居るはずのない、聞こえるはずのない「普通怪獣」の咆哮が聞こえてくる。

 

 自分と同じ「普通怪獣」の咆哮、それは「共鳴」です。

 

 "聞こえたよ ここにおいでって"

 

 

 呼ばれるようにたどり着いた体育館に待っていたのは、愛しの仲間たち。

 

 "待ってるだけじゃ伝わらない、だから…来たのさ!"

 

 ファンミーティングにおいて【Landing  action Yeah!!】は「Aqoursが来てくれる曲」として破壊力がありますが、同じ「Next Step Project」の2期においては「Aqoursを送る曲」としての意味を持っているのかもしれません。

 

 

 

 

  • 千歌にとっての「輝き」とはなんだったのか

 

 いよいよ本題です。

 

 

 

 

 ラブライブで優勝し、たしかに手に入れたはずの「輝き」。

 

 しかしその王者の背中からは到底「輝き」や満足感など感じられず、むしろ虚無感すら漂わせるものでした。

 

「私、見つけたんだよね。私たちだけの輝き。あそこにあったんだよね。」

 

 これは本当に「輝き」を見つけた人間の言う言葉ではありません。

 

 

 

 そもそも、千歌の言う「輝き」とは一体何だったのか?

 

 

 実はこの「輝き」というワード、何のことだかよく分かっていませんでした。

 

 「輝き」という言葉はあまりにも漠然としていて、たくさんの意味を内包していて、正直とてもフワついている言葉だな、という印象でした。

 

 この「輝き」、説明しろと言われても、適切な言葉がわからない。

 だから今まであえて触れませんでしたし、#7「残された時間」で明瞭なものになった「キセキは奇跡から軌跡へ」というAqoursの目標が提示されたときはものすごく痛快だったのです。

 

 でも、この「輝き」って、説明もできないし、人それぞれ形も量も違うものだから、説明できないのが当たり前なんじゃないか?と思うようになりました。

 

 人それぞれの「輝き」を軸に据えて少し。

 

 1期「#8 くやしくないの?」でダイヤから語られたように、現在ではスクールアイドルの数も爆発的に増え、その頂点を争うラブライブは熾烈を極めるものです。

 

 そんな激化してしまったスクールアイドル界。

 勝者だけが「輝く」ことを許され、敗者は輝けない。 

 それはかつてその伝説を残した先代たちの望む世界だったのでしょうか。

 

 答えは否。

 

 全員がそうだというわけではありませんが、SaintSnowの鹿角理亞のように、「負けても輝ける道を見つけた」人もいれば、千歌のように5000組以上いるスクールアイドルの頂点に立ち「勝ったのに輝きが見つからない」人もいます。

 

 ここで通ずるものは「ラブライブはあくまで、道のひとつ」でしか無いということ。

 

 

 結局「輝き」ってなんなのか、全26話を終えて、あえて言葉にするとすれば、「自己肯定、自分という存在の確立」という意味を内包しているものなのではないか、ということ。

 

 言葉を借りるとするなら、「君が君であろうとしてるチカラ」です。

 

 

 スクールアイドルを通じて逃げたピアノに再び向き合えたこと。

 

 親友と同じ景色を見られたこと。

 

 憧れのスクールアイドルそのものになれたこと。

 

 なりゆきとは言え、芽生えた憧れを実現できたこと。

 

 自分を隠さずにさらけ出せて、受け入れてもらえること。

 

 すべてがうまくいき、妹と親友と失っていた時間を取り戻せたこと。

 

 諦めていた夢のフォーメーションが実現できたこと。

 

 仲間たちと毎日とりとめのない時間を過ごすこと。

 

 

 それぞれの「輝き」です。

 自分に自信があって、活き活きとしている人のことを「輝いてる」って思いますよね。

 

 ではなぜ千歌にはこれがわからなかったのか?

 

 千歌は他人へ向ける意識の感度は高いものの、自分のことはまるで見えていなかった。

 

 まるで見えていなかったというより、千歌の母が言っていた「うまくいかないことがあると人の目を気にして、本当は悔しいのに誤魔化して諦めたふりをしてた。」という言葉から、自分を見ないようにしていたのではないか。

 

 「#13 私たちの輝き」で体育館にみんな揃っていて、「待っていた」という言葉を発したのは、千歌意外はみんな自分の「輝き」に気づけていたから。

 そのトリガーになったのはおそらく「#12 光の海」で千歌が1対1の問いかけをしていたところにあるでしょう。

 

 アキバドームへ向かう前、それぞれが思い思いのことをして過ごした後、晴れやかな顔をしているのです。

 現地集合にしよう、と提案した千歌が言っていたのは「ひとりになって自分を見つめ直す」ということでした。

 

 千歌と8人の違いは「千歌から問いかけられ、自分を見つめ直したか」という違いです。

 

 千歌の問いかけがあって、見つめ直すきっかけがあったから8人は自分の「輝き」に気づくことができた。

 

 周りのことに気を配れる千歌だから出来たことであり、同時に周りしか見えていなかった千歌の弱点でもあったのです。

 

 そんな千歌がついに自分のやってきたことを、自分を振り返って見つめ直して気づいた、ずっと自分の中にあった「輝き」です。

 

 

 

 

  • ラブライブ!サンシャイン!!とはなんだったのか

 まとめに入ります。

 

 本作の主人公・高海千歌は普通の女の子。

 普通であることにコンプレックスを抱き、自分にフタをして燻っていた。

 

 やがて、燻っていた日常を吹き飛ばすスクールアイドルに出逢い、「輝き」を探し始めた。

 

 活動を続ける中、学校が統廃合の危機に瀕することになる。

 これを阻止すべく、ラブライブに出場(=知名度を上げて入学希望者を増やす)。

 

 が、学校は廃校。

 学校の名前を残すべくラブライブで優勝する。

 

 

 というのが表面上のストーリーです。

 

 こうしてみると、「輝き」を探し始めたことと「ラブライブで優勝すること」の整合性があまり感じられませんね。

 それに2期の主軸として据えられていた「各キャラクターの掘り下げ」は寄り道だったようにすら思えてしまいます。

 

 

 あくまで、「表面上」は。

 

 

 声を大にして言いたい。

 

 「ラブライブ!サンシャイン!!は、ふつうの、ひとりの女の子が自分を見つめ、自分の人生を肯定し、自分をスキになる物語。」

 

 先ほども書いたとおり、2期は「各キャラクターの掘り下げ」が主軸に据えられていました。

 

 学年間のぎこちなさだったり、みんなとおなじように接してほしかったり、分かりあって全てに意味があると思えたり、2年越しの夢が叶ったり、姉にクリスマスプレゼントを贈ったり、お祈りをしたり、本音でぶつかれるようになったり。

 

 他人から、もっと言えば「ラブライブという競技」に重きを置いている人間にはちっぽけなことでしょう。

 

 でも、彼女たちはこれらについて必死に悩んでいた。

 

 端から見たらちっぽけかもしれないけれど本人にとっては大事なこと。

 なぜなら、それが「その人物」を形成しているものだから。

 

 各々がこの小さなほころびを抱えたままだったとしたら、果たしてラブライブで優勝できたでしょうか?

 

 ぎこちなさを抱え、距離を感じ、メンバー間でも絡みづらいキャラがいたり、必殺のフォーメーションを封印し、自立できず、安心して帰ってこられる場も作れずに、本音を隠したまま、優勝できたでしょうか。

 

 26話、無駄なシーンは1つもなかったと思います。

 

 「全てに意味がある。」

 

 「#5 犬を拾う。」において放たれたセリフですが、このセリフこそラブライブ!サンシャイン!!を物語っているものだと思います。

 

 全てに意味がある、というより、「全てに意味を見つける」というほうが個人的にしっくり来ます。

 

 虹をただの現象だと捉えるか、「何かいいことがあるかも」と意味をつけるかは人それぞれなのです。

 

 虹を見て「綺麗だ」と思えるのは人間だけなのですから。

 

 人生に意味を見つけ、色を付けていく。

 

 無色透明な(Aqours)が青く見えるのは、太陽光(サンシャイン)があるから。

 

 彩りのない日常に色を付けるのは、「君が君であろうとしてるチカラ」による「輝き」。

 

 すべてのことに意味を見出して、自分にとって意味のあるものにしていく。

 そういう生き方が素敵なんじゃないでしょうか。

 

 

 千歌は26話通して、8人を肯定しつづけるスタイルを一貫させています。

 やりたいことはやろう、といって手を差し伸べたり。

 

 逆に、千歌が折れそうになったときは周りが手を差し伸べたり、背中を押してくれるのです。

 

 千歌への肯定や期待が「千歌のエネルギー」になっていることは以前触れたのですが、他人を肯定することで自分も肯定されていき、さらに千歌は自分のことも肯定し、自分のことを愛せるようになったとあれば永久機関の完成です。  

 

 「肯定されるにはまず自分が肯定する必要がある」というのが持論なのですが、素晴らしい形でそれを実現してくれたアニメだったと思うのです。

 

 「君が君であろうとしてるチカラ」に気づいて、自分の人生を肯定できるようになる、人生を愛せるようになる。

 

 「輝き」が「輝き」を呼ぶ。輝きの伝播。

 

 そんな成長を見守っていく時間が本当に楽しく、嬉しかった。

 

 最高の愛の物語に感謝と敬意を込め、終わります。

 

 本当にありがとうございました!

 

 

 ラブライブ!サンシャイン!!2期感想ブログ「#12 光の海」篇になります。

 

 

 これまでの物語、歩み、やってきたことのひとつひとつが無駄ではなかったこと。

 

 全てに意味があったこと。

 

 過去との対比や意趣返し、セルフオマージュなど個人的に唆るものの数々や、各キャラクターへきちんと焦点を当てた上でのストーリー進行、「サンシャイン!!欲張りセット」と呼んでいます。

 

 すべての要素が絡み合って、とても美しい回だった「#12 光の海」。

 

 殻を破れ、今こそが本当のはばたきのとき。

 

 

  • 「勝つ」ためには。

 勝負ごとに「勝つ」ためには何が必要か。

 

 たゆまぬ努力や日々の鍛錬、いろいろありますが、まず「敗者」がいなければ「勝者」は生まれません。

 

 

 

 「相手なんか関係ない!」と啖呵を切った千歌ですが、他のスクールアイドルも自分たちと同じように毎日努力し、夢の舞台を目指していたことを絵馬を見て実感します。

 叶わなかった願いはとても侘しいものです。

 

 この想いたちを全てねじ伏せ、その屍の山の上に頂点として立ったとき、果たして自分は本当にそれで「やりきった」と思えるだろうか?

 

 きっと千歌はそう思ったのではないでしょうか。だから躊躇った。

 

 「勝つ」ことに躊躇いを感じ始めた千歌へ、SaintSnowのふたりが現れ声をかけます。

勝ちたいですか?
千歌さんがいつか、私に聞きましたよね。
ラブライブ、勝ちたいですか?

それと、誰のためのラブライブですか?

 夢の舞台を控えた演者にかける言葉にしては、あまりにも「揺さぶり」じみているような気も。

 

 しかしこれは聖良なりの激励であったのかもしれません。

 神田明神といえばラブライブにおいてスクールアイドルのメッカ。

 SaintSnowもかつて自分たちの願いを込めに訪れ、そのとき千歌と同じように絵馬に書かれた願いを目の当たりにし、「勝つ」ことに躊躇いを感じていたとてもおかしくありません。

 

  「でも、自分たちのために勝たなくてはならない」と自分を律するためにSelf Controlを歌っていたのかも。

 

 聖良の問いに、明確な「敗者」となった人間の問いに千歌は答えられません。

 

 もはや赤の他人とは言えない存在となったSaintSnowに対し、その場しのぎの返答は無礼です。

 

 最後のライブを控えたのはAqoursだけではなく大体のグループがそうであり、敗者であり既に最後を迎えたもの・SaintSnowはAqoursとは対になっている存在。

 この人達のような想いを持った人たちを全員ねじ伏せる。

 

 千歌にはその覚悟がまだ足りてなかったのです。

 

 

 宿に到着し、千歌はAqoursはのメンバーひとりひとりに戦う意志を確認します。

 

 

マルはずっと、ルビィちゃんとふたりで図書室で本を読んでるだけで幸せだったけど
千歌ちゃんたちのおかげで、外の世界に出られて、みんなと一緒ならいろんなことができるって知ることができた。
だから、勝ちたいすら。
それが今、一番楽しいずら。
千歌ちゃん、マルをスクールアイドルに誘ってくれて、ありがとう。

 

 みんなと一緒だから楽しい、だから勝ちたいと答える花丸。

 どうせなら最高の結果で終われたほうが楽しいに決まってるんです。

 

 

 

ルビィはひとりじゃ何もできなかったのに、スクールアイドルになれてる。
それだけでもうれしい。
もちろん、おねぇちゃんたちの最後の大会だし、勝ちたいって思ってるけど
いまは、大好きなみんなと一緒に歌えることが一番嬉しい。

 

 勝ちたいけれど、それ以上に今が楽しくて嬉しいと答えるルビィ。

 

 ルビィの優勝への気持ちは「#7 残された時間」でも言及されているとおりです。

 

 

 

えっ、アンタ馬鹿なの?
そんなの勝ちたいに決まってるでしょ。
世界中のリトルデーモンたちに私の力を知らしめるためによ!
クックック。ラブライブで勝利を手にするには、我が力は不可欠。
ま、しかたない。もう少しAqoursとして堕天してやってもいいぞ。

 

 勝ちたいに決まってる、と言い切る善子。

 善子がその羽根を広げられるのは、Aqoursしかありません。

 

 

 

急にどうしたの。私はせっかくここまで来たんだし、勝ちたいかな。
でもそれ以上に楽しみたい。鞠莉やダイヤとの最後のステージを楽しみたい。
本当は清々してんだけどね、やっとこれで終わりだって。


だからこそ勝ちたい。
今をもっともっと楽しみたいから。

 

 勝ちたい、でもそれ以上に楽しみたい、だから勝ちたい、もっと楽しみたいと堂々巡りの果南。

 果南の勝利への執念は、かつての過ちとして描かれた2年前の鞠莉のケガや、SaintSnowを見て「1年のころの自分みたい」と言ったことからも伺えること。

 

 

 

勝ちたいかって?
理事長としての私は、全校生徒のために勝たなければならないと思ってるよ。
あんなにも愛されてる学校のためにも。
でも、少しだけワガママを言うと。
私は、Aqoursとして勝ちたい。
9人でこんなことできるなんて、なかなか無いよ!

 

 鞠莉が制服なのは、理事長としての建前が語られているからでしょう。

 しかし鞠莉の本音は、「浦の星女学院」の「理事長」としてではなく「Aqoursとして勝ちたい」、ということ。

 

 

 

もちろん、勝ちたいですわ。
浦の星全校生徒の想いを背負ってきましたから。
勝ってみせますわ。


それと「Aqoursの黒澤ダイヤ」として誠心誠意うたいたい。
どこであろうと、心を込めて歌を届けるのがスクールアイドルとしての、わたくしの誇りですわ。

 

 鞠莉と同じく、学校を背負ってきているという建前からダイヤも制服です。

 そしてこちらも「浦の星女学院」の「生徒会長」としてではなく、「Aqours」の「黒澤ダイヤ」としてうたいたい、という本音。

 

 

 この「建前」としての立場ではなく「自分」として勝ちたいかどうか、というのは、聖良の言うように「誰のためのラブライブなのか」ということです。

 

 みんなそれぞれ色々な動機やきっかけがあってスクールアイドルを初めて・続けているけれど、結局はすべて「自分のため」。

 

 自分のためにやっていることが他人にプラスの作用をしているというだけなのです。

 

 

 このシーンのいいところは、ひとりひとりに焦点を当てて、ふんわりとしていた各々の機微を明確にしてくれたところ。

 

 学年ごとや何人かの組み合わせでのこういう描写は過去回にも何度かありましたが、メンバー全員にこうして焦点を当てて綺麗にまとめているのは美しいとしか言えません。

 今まであったラブライブ!サンシャイン!!の計24話がすべて意味をなしているのです。

 

 同調圧力から避けたというのも個人的にはポイントが高いです。

 他人の意見を遮断し、ひとりひとりが別々の場所で同じことを想っているというのが素晴らしいのです。

 

 

 残る意思確認は曜と梨子。

 

 

もちろん。
やっと一緒にできたことだもん。
だからいいんだよ。いつもの千歌ちゃんで。
未来のことに臆病にならなくて、いいんだよ。

 

 かつての曜はこんなことが言えたでしょうか。

 1期「#11 友情ヨーソロー」で千歌に背中を向けていた曜とは対照的に、千歌に本音を言って、背中を押すように千歌を肯定してあげるなんて。

 

 

 

私、自分が選んだ道が間違ってなかったって心の底から思えた。
辛くて、ピアノから逃げた私を救ってくれた千歌ちゃんたちとの出会いこそが奇跡だったんだって。
だから勝ちたい。ラブライブで勝ちたい。
この道でよかったんだって証明したい。
今を精一杯全力で、心から、
スクールアイドルをやりたい!

 

 普段は理性的に描かれることの多い梨子が取り乱して想いをぶつけるところはずるいですね、危うく推し変するところでした。

 

 

 

 各々の意志を確認し、今度は千歌が最後の意思を確認される番。

0を1にして、1歩1歩進んできて。
そのままでいいんだよね。
普通で、怪獣で、今があるんだよね。
私も全力で勝ちたい!
勝って、輝きを見つけてみせる!

 

 普通だからここまで来られた。普通だったから何かを変えたくて足掻いて、今になっていること。全てに意味があるということ。

 当ブログでも何度か触れていますが、千歌のエネルギーは「期待」や「肯定」です。

 

 今までのように普通で、怪獣で、ワガママで、後先のことは考えない無謀なコドモでいいって言ってくれる仲間たち、良いですね。

 

 勝つための覚悟はできた。

 

 

 

  • 黒澤ダイヤについて

 どうしても書かねばならないと感じたので、黒澤ダイヤについて少し。

 

 風評から感じるに、ダイヤは謎の多い人間だと評されていたように感じます。

 

 最たる理由としては「砂浜にAqoursと書き、継承させたこと」なのかなぁ、と思っております。

 

 肯定ログ「#10 シャイニーを探して」篇  で少し書いたとおり、僕はあの行動を「願掛け」だと捉えていました。

 帰ってくる場所を用意していたのは果南だけではありません。

 

 #9 未熟DREAMER放送当初から僕はずっと、ダイヤのこの行動を「願掛け」だと思っています。

 書いておいた名前を2年生が見るかどうか、見たとしても選ぶかどうかわからない、賭けと呼ぶには勝率の低すぎる、叶うかどうかすら分からない願いです。

 

 「Aqours」という場所を復活させ、果南と鞠莉が帰ってこられる場所を用意していたダイヤ。

 とはいっても、これは単なるいちオタクの勝手な妄想でしかないものです。

 

 

 しかし「#12 光の海」で状況は変わりました。

 

でも、わたくしが書いたことは、現実になるんですわよ。

 決戦の前に願い事を書き、あまつさえ鞠莉が海外へ行くときにも「ずっと一緒」という願いを書いていたと言うではありませんか。

 

 その願いは成就し、Aqoursは再びその名前の旗を立て、鞠莉や果南と再び一緒にいられることになりました。

 

 そんな過去を踏まえて自信満々に「自分の書いたことは現実になる」なんて、いままで詳細が描かれなかったダイヤの空白期間を証明するに余りある言葉なんです。

 

 なによりも、物言わぬことの多かったダイヤの口から、自身の行動の証明がされたことが本当に嬉しかったのです。

 

 

 もうひとつ、「#6 Aqours WAVE」で果南の考案したフォーメーションを採用するかしないかの悶着が淡島にてあったとき。

 

 このときは3年生の3人しかいないのに、この時でさえダイヤは「学校の存続のためにやれることはすべてやる。それが生徒会長としての義務だと思っていますので。」と生徒会長としての肩書きを盾にしているのがどうにも腑に落ちなかったのです。

 

 そんなダイヤがついに、「Aqoursの黒澤ダイヤとして誠心誠意うたいたい」と言ってくれたこともまた嬉しかったのです。

 

 お当番回まで貰っておいて、さらにこんなに優遇されてしまって本当に良いんでしょうか。

 

 黒澤ダイヤ欲張りセット、ごちそうさまでした。

 

 

 

  • 啐啄同時。はばたきのとき。

 ライブパートの「WATER BLUE NEW WORLD」は圧巻のステージでした。

 歌詞にもこれまでのAqoursのかけがえない日々がたくさん詰まっていて、集大成だったようにも思えます。

 雲の上を漂っているようだった、と形容した聖良の言うとおり雲の上をイメージした世界。

 光るサイリウムが水の色をした、まさに光の海。

 

 僕は楽曲派ではないため楽曲について触れることは出来ませんが、「WATER BLUE NEW WORLD」の衣装で注目したいポイントがあります。

 

 花丸、鞠莉、梨子の3人の衣装だけなぜロングスカートのタイプだったのか、というところにふれてみたいと思います。

 

 この3人に共通する点は「スクールアイドルを知らなかった」こと、もう少し大げさに言えば「他の世界を知らなかった」3人です。

 

 そして、「今の自分を変えたいと自分から願った」3人でもあるのです。

 

 花丸・鞠莉・梨子は自分の殻を破りたかった、外の世界を知りたかった3人です。

 

 

 「啐啄同時(そったくどうじ)」という言葉があります。

 「」というのは、卵の中の雛鳥が殻を破って生まれようとする時、殻の内側から雛がくちばしでつつくことを指します。

 「啄」というのは反対に、親鳥が外から殻を破るためくちばしでつつくことを指します。

 

 両者の行動が一致して雛が生まれるように「機を得て両者相応じる得難い好機」のことを「啐啄同時」というようです。

 

 

 両者の行動が一致する、というところが大きなポイントです。

 

 まずは花丸のケース。

 もともと花丸はルビィからスクールアイドルに誘われてみても、まったく乗り気ではなかった人間です。

花丸ちゃんは興味ないの?スク-ルアイドル。
マル?ないない、運動苦手だし、ほら、オラとか言っちゃう時あるし…。

 この時ルビィからの「啄」には答えられません。

 

 

 次に鞠莉のケース。

 鞠莉は外の世界を知りたがっていたものの、親から反対されていた人間です。

 

 鞠莉の「」と、果南とダイヤの「啄」は釣り合いません。

 

 

 大きくなってからも「啐啄」は一致していませんでした。

 

 

 最後に梨子のケース。

 梨子は完全にピアノの世界に生きていたため、スクールアイドルどころか他の世界にも関心がない様子です。

 千歌からの熱烈な「啄」にも無関心です。

 

 

 そんな3人が、それぞれが自分を変えたいと思っていたこと、それに加えて「他者が手を貸してくれたこと」が殻を破るきっかけになったのではないか。

 

 自分だけの力ではないし、誰かだけの力だけでもない、というのがとても重要だと思うのです。

 

 花丸、鞠莉、梨子は「外に連れ出してくれた、救ってくれた」と恩義すら感じているフシがありますが、それは違うのです。

 

 これはAqoursの全員に言えることですし、前述もしましたが、だれもが「自分のため」にやっていることなんです。

 

 それについて、どっちがどっちに何かをしてあげた、という縛られた関係は平等じゃない。

 少なくとも、仲間とは言えない関係になってしまう。

 

 踊るにしては長すぎるスカートは、自身の殻であるとともに彼女たちを守るのではなく拘束していたもの。

 

 

 梨子が音ノ木坂学院を訪れ、過去にケジメを付けるために弾いていた曲の名前は「想いよひとつになれ」。

 梨子は、想いをひとつにしたかった。

 1期「#2 転校生をつかまえろ!」にて、「本気でスクールアイドルやろうとしてる千歌に失礼」だと自分に閉じこもったときのアンサー。

 だからここにきて涙ながらに「スクールアイドルをやりたい」という言葉を返したのでしょう。

 

 啐と啄をぶつけ合う、ホンキをぶつけ合うことで未来を手に入れる、ということなんです。

 

 

 想いをひとつにして、啐啄同時にして、梨子はようやく解き放たれたのではないでしょうか。

 

 ともすれば、奇しくも1期の#12と同じ話数に当たる2期#12は、本当の意味での「はばたきのとき」なのかもしれません。

 

 

 

 高精度な慧眼を持つSaintSnowの鹿角聖良いわく、「ステージって、不思議とメンバーの気持ちがお客さんに伝わるものだと思うんです。今のみなさんの気持ちが自然に伝われば、きっと素晴らしいステージになると思います。」とのこと。

 

 

 「勝つ」というひとつになった想い。伝われば、必ず。

 

 

 

 

 次回、「#13 私たちの輝き」

 ラブライブ!サンシャイン!!2期感想「#11 浦の星女学院」篇です。

 

 「終わり」と向き合った彼女たちが見るものがいったい何なのか。

 

 

 浦の星女学院の生徒からAqoursへ。

 

 Aqoursから現実に生きている僕たちへ向けた、熱いメッセージを感じる回だったと思います。

 

 

  • 浦の星女学院 閉校祭

 浦の星女学院の生徒から、閉校祭開催の申請がありました。

請求内容:閉校祭開催の許可

 詳細:今年度でこの学校が統廃合することが決定してしまいました。しかし、このまま何もせずにただ学校が閉校する姿を見ているだけというのはとても寂しいです。

Aqoursがスクールアイドルとして学校の名前を残してくれる。

けど私たちもこの学校の生徒として何かを残したい。 

つきましては、閉校祭という形で学校全体が盛り上がれるイベントを行う許可をお願いいたします。

 最後は浦の星のことを思ってくれる卒業生や近所の人たちも交えてこれまでの長い歴史に感謝を込めて締めくくりたい。

これが今の私たち、浦の星のみんなの気持ちです。 以上、よろしくお願い申し上げます。

 浦の星女学院 生徒一同

 

 「Aqoursがスクールアイドルとして学校の名前を残してくれる」。

 

 浦女の生徒たち一同は、Aqoursがラブライブで優勝することを信じて疑っていないことが分かります。

 

 私たちだって何かしたい、というのは1期「#13 サンシャイン!!」でもむつの口から出てきた言葉です。

 

 この企画は浦の星女学院生徒一同からAqoursへのプレゼントという面もあるでしょう。

 

 企画の申請はすんなり受理されたようで、全校生徒総出で最後のお祭りの準備に取り掛かります。

 

 理事長や生徒会長などの立場を忘れて、それぞれが好きなことを思いっ切りやってやろうという空気がとても青春って感じがしていいですね。

 鞠莉だったら「ブレイコウ」なんて言っているんじゃないでしょうか。

 

 ところが準備を進めていく中で、トラブルが発生しアーチが破損。作業が間に合わないという事態に。

とにかくこの遅れをどうするか。閉校祭は明日なんですのよ?
頑張ります…
それで済む話ですの?もう下校時間までわずかしかありませんわ。
そろそろ終バスの時間ずら。
準備間に合うかなぁ。
だよね…

 誰からも「残って作業する」という提案が出ない。

 

 すると鞠莉からの提案で「残って作業するのを許可するし、帰りもみんな責任持って送る」という提案があります。

 

 「最後なんだもん、許してよ」と申し訳無さそうに話す鞠莉に対して、

 

  「誰も許さないなんて言ってませんわ。」

 

 おでこに判子がついたままで全然キマってないのにキメ顔なの本当に良いです。

 

 それどころか「最初からそのつもりだった」とまで言います。

 

 夜遅くまで残って学園祭の準備をするのって、「青春」って感じしますよね。青春まっしぐらです。

 ダイヤ自身、こういう非日常なできごとに憧れがあったのではないでしょうか。

 

 そもそも、どの現場も進捗全然ダメみたいだったのでアーチが壊れていようがいまいが関係なかったですよね。

 

 

 

  • 普通怪獣ヨーソロー

 みんなが鍋をつついたりしている中、曜の姿が見当たりません。

 

 

 

 どうやら曜は誰にも悟られることなく、ひとりでアーチの修復をしていたようです。

 

 たくさんの衣装を作ったり、一時期はダンスの担当もしていた曜。

 

 もしかすると、渡辺曜という人間はこうしてアーチを直したように、人に見られていないところやアニメで描かれていないところでもっとたくさん誰かの為に動いていたのかもしれません。

 そう考えると、渡辺曜という存在がたまらなく愛おしく思えてきました。

 

 

 

 普通怪獣ヨーソローの咆哮。

 

 言わずと知れた、1期「#1 輝きたい!!」で千歌がやっていたことのマネです。

 

 好きな人がやっていることってマネしたくなるんですよね。

 ミラーリングという心理らしいですが、それについては過去に語っていたりするのでお時間があれば是非。

 

 

私ね、千歌ちゃんに憧れてたんだ。
千歌ちゃんが見てるものが見たいんだって。
ずっと同じ景色を見てたいんだって。

  千歌に憧れていたと語る曜。

 

 親友に「憧れてた」なんて言うのって、なかなかできないことじゃないでしょうか。

 

 少なくとも以前の曜だったらこんなこと出来ていなかったはずでしょう。

 

 お祭りの前夜、浮足立つ非日常の空気に当てられてちょっと気恥ずかしいことも言えてしまったというのもあったのかもしれません。

 

 1期「#11 友情ヨーソロー」では、曜は自分のあり方に悩んで涙しました。

 そんな子が、2期「#11 浦の星女学院」では何の飾りもなくまっすぐに自分の気持ちを伝えている。

 

 かけがえのない日々を過ごして、曜も成長していたのでしょう。

 それだけで「渡辺曜」の愛おしさ倍増です。

 

 

  「千歌と同じ景色が見たい」と言って千歌のマネをし、みかんの箱に乗って同じ景色を見ようとした曜。

 

 「千歌と同じことをすることで同じ景色が見られるかもしれない」 という願望が曜の胸にずっとあったものだったとしたら。

 1期のOPテーマソング【青空JumpingHeart】。

 

 この衣装、なぜ千歌と曜だけが同じタイプだったのでしょうか。

 

 衣装担当の職権乱用と言ってしまえば聞こえが悪いですが、曜の持っていた「千歌とおなじことをすることで同じ景色が見られるかもしれない」という願望が詰まっているものなのかもしれません。

 

 ともあれ、しいたけがアーチを壊さなければ曜はこの気持ちを千歌に伝えることはできなかったでしょう。

 

 「全てに意味がある」んです。

 

 

 

  • 「消えない」のは

 無事に準備を終え、​閉校祭の開催です。

 

 それぞれが思い思い、やりたいことをやって楽しんでいるシーンは物語終盤の箸休めと言った感じで心地よいものでした。

 

 ​​​​​​でもそんな「心地いい」時間というものは長く続かないもの。

 

楽しい時間というのはいつもあっという間で
そこにいる誰もがこの時間がずーっと続けばいいのにって思ってるのに
でも、やっぱり終わりはきて
時が戻らないこと、もう一度同じ時間を繰り返せないことが、とても寂しく思えるけど
同時に、やっぱりどうなるかわからない明日のほうがちょっぴり楽しみでもあって
ああ。これが「時が進んでいく」ってことなんだなぁって実感できるずら
そして気付く。きっと、2度と同じ時はないから。
この時が楽しいって思えるのかな。
今こうしていることが、たった一度きりだってわかっているから。
全力になれる。
いつか終わりが来ることをみんなが知っているから
終わりが来てもまた明日が来ることを知っているから
未来に向けて歩き出さなきゃいけないから
みんな、笑うのだろう。

 アニメキャラとしてのAqoursの時間も有限であるとともに、キャストのAqours、そして僕たち。

 それぞれが、この時間は有限であること、終りが来ることを知っています。

 

 でも、だからこそ楽しい。

 

 私事になりますが、以前より沼津に遊びに行く機会はありまして、ラブライブ!サンシャイン!!に出会ってから以前よりずっと沼津が好きになったし、サンシャイン!!を通じていろんな出会いがありました。

 

 余所者として観ている沼津のいまは、ものすごく楽しいです。

 

 駅を出れば自分の好きなキャラクターの顔がすぐに飛び込んでくるし、町のどこを歩いていてもバスやタクシーを見かける。

 

 お店に入れば顔なじみの店員さんや見知った顔がいたりして。

 あそこのお店が美味いだとかあそこの景色が奇麗だとか、他愛ない時間を過ごすわけです。

 

 とにかく「楽しい」の一言なんです。

 

 いつかはサンシャイン!!のブームは去ってしまうし、僕自身いつまでこんなことをしているのかも分かりませんが、必ずこの時間は終わってしまうのです。

 

 でも、だからこそ"真剣"になりたい。2度と無いからこそ全力になりたい。

 そう思ってずっとラブライブ!サンシャイン!!というコンテンツに向き合ってきました。

 

 たぶんきっと、いま"真剣"な人たちはみんなこうなんじゃないかなぁ、なんて勝手に思っています。

 

 ずっと抱えていた想いと同じことがキャラクターのセリフを通して発せられ、この気持ちは僕だけじゃなくて、キャストさんを始め監督や脚本、携わっている人みんなの想いがひとつになっている感覚さえありました。

 

 

 

 話をアニメへ戻します。

 

 宴も酣。キャンプファイヤーを背に鞠莉が閉会の挨拶をするシーンがとても印象深いです。

 

 

これで浦の星女学院閉校祭を終わります。
この学校がどれだけ愛されていたか。どれだけこの町にとって、みんなにとって大切なものだったか。
だから。この閉校祭は私にとって何よりも幸せで、私にとって何よりも温かくて…。

 

ごめんなさい。
もうすこし頑張れれば、もう少し…

 

 理事長として、Aqoursとして、色々な思いがあったのでしょう。

 

 閉校祭にはかつてこの学校に通っていた卒業生や、もしかしたらこの学校に通う未来があったかもしれない子どもたちが参加していました。

 

 ずっとむかしからあったその歴史をつなげることができなかった。

 

 でもこれは世の流れとして仕方のないこと。

 鞠莉が謝ることではないし、謝っても仕方のないこと。

 

 背負っていたものの大きさを実感し、鞠莉は押しつぶされそうになりながら嗚咽を押し殺します。

 

 

 

Aqours!Aqours!!Aqours!!!

 燃える炎を背に顔に陰りを見せる鞠莉を激励するかのようなAqoursコール。

 

 冒頭で書いたように、このお祭りは「浦の星女学院からAqoursへ」のプレゼントでもあるのです。

 

 廃校は寂しいものではあるけれど「終わりじゃない」。

 

 「Aqoursがこの学校の名前を残してくれる」と信じている以上、辛気臭い顔のまま戦場に旅立たれても寝覚めが悪いでしょう。

 

 

 

 無言で鞠莉の背中を流すダイヤが#11 でベストシーンです。

 

 「黒澤ダイヤにあえて喋らせない」ことで彼女の機微に重みを持たせる手法は1期「#9 未熟DREAMER」にて部室で取り調べを受けているときからあるもので、鞠莉とダイヤの過ごしてきた時間・信頼関係が、言葉じゃなくてもヒシヒシと伝わってきます。

 

 

 なにより、廃校が決まったあの時、ダイヤは嫌というほど鞠莉から謝罪の言葉を聞かせられていたでしょう。

 

 

 「最高に盛り上がろう!」と、まるでライブのアンコールのように弾ける鞠莉を見つめ、またも無言で微笑むダイヤ。

 

 これまで計24話あったラブライブ!サンシャイン!!のなかで、セリフの量では多い部類にあるダイヤの「無言」が僕はとても好きです。

 

 ライブのアンコールよろしく、「勇気はどこに?君の胸に!」の大合唱が行われますが、これも実際に僕たちが体験していて非常にシンパシーを感じるものだったのではないでしょうか。

 

 「一緒に歌う」って、ものすごく「一つになってる感」があると思っていまして、Aqours2nd ツアー埼玉公演での【Landing action Yeah!!】の合唱は「ここにいてもいいんだ」と存在を肯定されている感覚さえありました。

 

 

 

 合唱が終わると、燃えカスになったキャンプファイヤーが映し出されそのまま#11が終わる、というカタストロフィな雰囲気でした。

 

 炎が消えてしまった。

 祭りは終わってしまった。

 

 でも、夢は消えない。

 

 僕はこのキャンプファイヤーは、決して刹那的であったり悲劇的なものとして描かれたものではなく、Aqoursの狼煙・Aqoursを照らす篝火であったと思いたいのです。

 

 サンシャイン!!において、Aqoursの名前と対をなす属性の「火」や「炎」の要素を持つ曲が2つ。

 

 ひとつは【MY舞☆TONIGHT】。

 

 Aqoursが予選で披露し、Aqoursが反撃のために狼煙としてあげた炎。

 

 「踊れ踊れ熱くなるため」や「最高の今日にしよう」など、この曲の「炎」はキャンプファイヤーで踊って最高の今日にしたいという願いがそのまま当てはまります。

 

 

 もうひとつは【夢で夜空を照らしたい】。

 

 「自分たちはここに居る」という、居場所を照らす篝火の歌。

 

 この曲はスカイランタンがあまりにも印象的ですが、そのスカイランタンもひとつひとつは「小さな焔」です。

 

 この時のAqoursはまだ6人で、当然浦の星女学院の生徒もAqoursの一員ではなかった。

 

 やがてAqoursは9人になり、初めての地区大会や予備予選、リベンジの地区大会を通じて全校生徒を「10人目」として巻き込む存在になりました。

 

 「Aqours」の名前を形どった光を空に飛ばしたころと、「浦の星女学院」の名前を空に飛ばす今。

 

 

 夢で夜空を照らしたい。

 

 消えない。

 

 消えないのは今まで自分を育てた景色。

 

 Aqoursだけではなく、浦の星女学院の想いを乗せて。

 

 消さない。

 

 消さないように、こんどは「浦の星女学院」の名前を刻むためにここから飛び立つのです。

 

 キャンプファイヤーの炎は消えてしまいました。

 

 でも、夢は消えないし、自分を育てた景色も消さない、消させない。

 

 狼煙を上げ、胸に灯った篝火を絶やさないように。

 

 

 Aqoursの目的は「学校の名前を残すこと」であり、「ラブライブ優勝」はその手段でしかありません。

 

 でも、僕はぜったい優勝して欲しいと思っています。

 優勝した上で、最高の形で名前を刻んで欲しい。

 

 Aqoursだけじゃなく、浦の星女学院として一つになった今なら、それができるはずだと信じたいです。

 

 浦の星女学院としての総意で挑む戦いだからこそ、

 

 

 

 「憧れの舞台に行ってきます。

 浦の星女学院の名前を刻みに。」

 

 

 終わりと向き合った彼女たちは、どんな顔で学校を、海を、太陽(サンシャイン)を見ているのでしょうか。

 

 

次回、「#12 光の海」

 ラブライブ!サンシャイン!!2期感想ブログ「#10 シャイニーを探して」篇になります。

 

 幼いころの想い出と星座盤を手に、幼い願いを呟く鞠莉の姿がとても印象的で初手から瀕死でした。

 

 僕は小原鞠莉の持つ「飄々としている外見とは裏腹に、実は誰よりも強い想いで仲間を愛している」というところに彼女の魅力を感じているので、鞠莉がいかに仲間のことを大事に思っているのか・愛しているのかを描いてくれた#10 、最高。

 

 僕たち大人がオトナになるにつれて忘れていったことを呼び起こすかのようなあたたかい物語。

 

 

  • 「オトナになる」ということ

 #8や#9ではルビィと理亞の姉離れ、つまるところ精神的な「自立」がテーマでした。

 

 自立してオトナになっていくこと。#10においても延長されたテーマでしょう。

 

 そんな「オトナになる」というテーマの中でひとり対象的な存在がこの人。

今年で高校3年になる私が言うのも何ですが、一応学生の間はいただけるという話が一般的と聞いたこともありますし。

 

 お年玉をせびる千歌。

 自ら「高校3年になる私が言うのも何ですが」と前置きしているように、「我ながらコドモっぽいことをしている」という自覚はあるのでしょう。

 

 #10 にて一貫してコドモな千歌ですが、やはり彼女の役目はとんでもなく大きい。

 これは後述します。

 ひとまず、「千歌はコドモ」というポジションです。

 

 

 話を鞠莉に戻します。

 

 鞠莉は統合先の学校でも理事を務めて欲しいと望まれているようです。

of course.

統合先の学校の理事に就任してほしいって。ほら、浦の星から生徒もたくさんいくことになるし。
私がいたほうが、みんなも安心できるだろうからって。

 

 ちょっと驚きました。

 理亞も驚いているように、学生でありながら理事長を兼任するのはこの世界でも特例なようで。

 

 受け入れ先の学校からの要望という、完全に外的な視点から見ても鞠莉は理事長として相応しく、きちんとしているという評価と証左。

 

 小原鞠莉は誰よりも早く「オトナ」の世界に身を置いている。

 

 伊達や酔狂で理事長をやっているのでは?と疑っていた自分が恥ずかしいです。

 

 この話を聞いて千歌は「まだ鞠莉と同じ学校に行ける、Aqoursも続けられる」とはしゃぎますが…

 

理事にはならないよ。
私ね、この学校卒業したらパパが薦めるイタリアの大学に通うの。
だからあと3ヶ月。ここにいられるのも。

 

 いつだってオトナは正しすぎるほど正しすぎて、コドモから見たら理不尽だとさえ思えてしまうことを平然と突きつけるのです。

 

 千歌の言うことは理想であるとともに、ただのワガママです。

 ルビィがダイヤに「置いていかないで」と言ったものと同じ、ただのワガママ。

 

 鞠莉の将来の話を受け、千歌たちはAqoursの将来についてぼんやりと話し合います。

 

 「本当に何も考えていない、考えちゃいけない気がする」と言う千歌。

 この「何も考えない」という無謀さがまさにコドモのそれで、そんな無謀さを放出しまくるAqoursに惹かれて僕はここまで夢中になっているのです。

 

 

 対する3年生組はというと、ちゃんと自分の進路を決めていました。

 

 ここには誰も残らず、簡単には会えないことになりますわね。

 東京の大学に推薦が決まったというダイヤと、海外でダイビングインストラクターの資格を取りたいという果南。

 

 このトンネルから桟橋にかけてのシーン、小宮有紗さんの話し方の声色がとても素敵なんです。

 セリフというよりもっと「会話」なんです。伝われ。

 

 話を戻しますが、果南が内浦を離れるというのがものすごく意外でした。

 「内浦の海に松浦果南アリ!」くらい切っても切れない関係だと思っていたもので。

 

 

 一方で、ダイヤが東京の大学へ行くということについてはSeaSideDiary3年生編からも予想できていたことです。

 

 そして#8でルビィの言った「置いていかないで」 というワガママは、ダイヤの進学を知っていたから出てしまった言葉ではないと考えています。

 SeaSideDiaryにおいて、ルビィはダイヤが胸に隠していた「県外の大学に行きたい」という夢を、ダイヤに言われるまでもなく察しています。

 本能というのか直感というのか、妹だからこそ感じるものがあったのでしょう。

 

 #8の記事内でも書きましたが、「生まれてからずっと先を歩いていた姉とついに肩を並べられたのにまたどこかへ行ってしまう」という漠然とした不安からくるものだったんだなぁと思います。

 

 

 そう簡単に会えなくなってしまうというのに、未来を語る3年生の表情は明るいんですよね。

 お互いの未来を尊重しあって、お互い納得できる形で道を分かつことには寂しさこそあれど一切の不満も後ろめたさも無いという絆を感じられてすごく良いです。

 

 

 

 かつてすることのできなかった「お祈り」をするため、3年生達はAqoursみんなを巻き込んで星を探しに行きます。

 

 ここでまた驚かされたのが、鞠莉が車の運転をしていること。

 

 果南だって船の運転をするし、年齢的にも何もおかしいことはないのですが、完全に不意打ちです。

 それに、なんと言っても車の免許があるというのはやっぱり「オトナ」なんだなぁと思わされました。

 

 一見無茶苦茶に思えた「理事長兼生徒」もしっかり職務を全うしていたし、「まさか」の方向から当然のように車に乗ってくるあたり、「無理が通れば道理が引っ込む」という言葉がありますが「ムリもドーリも関係ない、私はマリー!」とでも言いたげな生き様が格好いいです。

 

 

 

なんかワクワクするね。
うん。考えてみたらこんなふうに何も決めないで9人で遊びにいくなんて初めてかも。

 Aqoursというグループはもともと、「自分だけの輝き」を探して集まった、言ってしまえば烏合の衆です。

 

 自分の目的のために集まった「個」なので、目的以外の時間で全員一緒にいる意味は薄い。

 なによりも#2 であれだけメンバー同士がチグハグだったことが取り上げられていたし。

 

 ところが、3年生はそれを良しとしなかった。

だからみんなで来たかった。
ほんとうは3人だけの予定だったんだけど。
9人がいいって。

 仲間のことをずっと想っていて、この宝物みたいな瞬間は今しかないことを知っていて、離れ離れになってしまうことの辛さを知っている3年生だからこその提案。

 

 「ただの思い出づくりじゃないはず」というのは聖良からも言われていたことですが、その実、思い出づくりでも良いはずなんです。

 

 「私たちが、Aqoursという存在が確かにここにいた」というのはラブライブの舞台だけに限った話ではなくて、Aqoursのみんなそれぞれの心に刻まれてなきゃあダメなんです。

 

 

 

 そしてなにより、「夜中にこっそり仲間たちだけで何処かへ行く」というのがものすごくワクワクしますね。

 

 一種の背徳感みたいなものでしょうか。

 いわゆる青春と淡い背徳感は共通しているところがあると思います。

 18歳を迎えた鞠莉とダイヤも居るので、条例的にもセーフです。多分。

 

 奇しくも同じ#10 にあたる「1期#10 シャイ煮はじめました」でも、夜中にこっそり抜け出して学校に忍び込んでいましたね。

 ちょっとアブナイことをしているというソワソワフワフワした感覚をこのとき感じたものですが、こういうのってオトナになるにつれていつの間にか忘れてしまっているんだなぁ、と。

 

 

 

 星を探して車を走らせていると、千歌が星を見つけます。

 本当に見つけたのか、「もっと一緒にいたいから」という嘘だったのか。

 コドモって平気で嘘をつくものです。

 

 西伊豆スカイラインを走り、土肥駐車場へ到着します。

 

 相変わらず星は見えず、「お祈り」はまたしても不可能。

 

 「やっぱり無理なのかな」と落ち込む鞠莉に、

 

なれるよ!ぜったい一緒になれるって信じてる。

鞠莉ちゃん、それいい?

 

 「後述する」と言った千歌のお出ましです。

 千歌の、コドモのワガママです。

 

 でも、これはラブライブ!サンシャイン!!

 

 いつだってコドモで無謀なワガママが物語を動かし続けてきたんです。

 

 率直に言えば、これは「バカをやっている」状態なんです。

 何も考えずにやりたいことだけやって、声を上げて笑っている。

 

 

 

 そんな楽しいこと、「バカをやった」のって、最後にやったのいつ以来だっけ。

 

 

 

 僕たちオトナにとっても、二度と戻ることがないそういった日々。

 

 コドモたちの全力の「バカをやる」を見せられて、羨ましいと思ったり、ノスタルジーを感じたり。

 

 まさかアニメを見て人生について振り返らされる時が来るなんて思いませんでしたが、このシーンにはそれだけのものが詰まっていました。

 

 こうして時って進んでいくんですね。

 

 

 

  • 果南の「1年前」とは何だったのか

 感想を書いていくだけのものにしようと思ったのですが、どうしても感じた疑問と、それについて考えた自分なりの答えをいくつか一問一答形式で書いていきたいと思います。

 

 まずはじめはこれ。

 

 

もしかして、イタリア行くな、とか言い出すんじゃないよね


1年前だったら言ってたかもだけどね

 「1年前だったら言っていたかも」という果南の言葉が気になります。

 

 1年前?鞠莉が留学したのは2年前では?という疑問です。

 

 果南にとっての「1年前」とは、高校2年生。高校2年時点での鞠莉は既に外国にいて、「外国に行くな」と言っていたかもしれないと言うのはおかしな話です。

 言葉だけじゃ足りない、言葉すら足りないのが松浦果南という女。そういうとこだぞ!

 

 

 ここで異なってくるのがまず、鞠莉の「留学」と「進学」ではないか。

 

 一般的に留学というのは「帰ってくること」が前提なはずなので、果南は留学に行かせることを躊躇わなかった。

 

 

離れ離れになってもさ、私は鞠莉のこと、忘れないから。(#9 未熟DREAMER)

 

 果南のこの言葉は、一種の「願掛け」だったのではないだろうか。

 また会える時が来る。

 来て欲しいからこそ、「忘れない」。

 

 こう言っておけば、鞠莉は帰ってこられるんです。帰ってくる場所を用意してもらえているんです。

 

 帰ってくる場所を用意していたのは果南だけではありません。

 

 #9 未熟DREAMER放送当初から僕はずっと、ダイヤのこの行動を「願掛け」だと思っています。

 書いておいた名前を2年生が見るかどうか、見たとしても選ぶかどうかわからない、賭けと呼ぶには勝率の低すぎる、叶うかどうかすら分からない願いです。

 

 「Aqours」という場所を復活させ、果南と鞠莉が帰ってこられる場所を用意していたダイヤ。

 

 

 対してイタリアの大学に「進学」するということは、パパの薦めということもありホテル経営などの勉強でもして、そのまま世界中を飛び回って生活を続ける、というルートでしょうか。基本的に「帰ってこないこと」が前提なはず。

 

 高校2年当時の果南が仮に「海外の大学に行くな」と言っていたら、鞠莉は大喜びで内浦に帰ってきて生活の地盤を固めていたでしょう。

 

 

 次に、果南の身辺の変化。

 

 高校2年の終わり際から6月くらいにかけて、父親のケガが原因で果南は休学していました。

 メインで仕事をしていた父が動けなくなり、趣味でダイビングをやっていた果南には手に余る仕事も多かったのではないでしょうか。

 ダイビングのライセンスなどではなく、「インストラクターの免許を”ちゃんと”取りたい」と言ったのは、家業を手伝わざるを得なくなり、高校2年の時点で果南も自分の将来について考え始なくてはいけないタイミングだったからなのではないだろうか。

 

 将来について考える、社会におかれた自分のことを考える。つまり、「オトナ」になること。

 

 果南が自分の身をもって社会に触れること、世界を見ることで外の世界を知ることの大切さに気づいたし、自分自身が内浦を離れる決意にも繋がって、自分が離れる以上鞠莉を引き止める理由はひとつもない。

 

 それぞれがオトナになって、それぞれが信じる道へと信じて送り出す。めちゃくちゃ格好いいですよね。

 

 そもそも果南は鞠莉がどこへ行っても活躍することを望んでいたし、「1年前だったら言ってたかも」なんて言葉は単なる言葉遊びだったのかもしれないですけど。

 

 

 

  • 車はなぜ飛んだのか

 

 

 飛んじゃったよ…

 

 

 大変申し訳無いですが、初見ではさすがの僕も笑ってしまいました。だって意味が分からなかったんです。

 

 意味わかんないですよね、だから分かるまで見ました。

 

 車が空を飛ぶ演出は、かつて星を探しに乗ったロープウェイと同じものを意味していると考えました。

 

 よく見ると運転席と助手席に鞠莉と果南、後部座席にダイヤしか乗っていないです。

 

 あの時できなかった「お祈り」を10年越しにやってやろうなんて、アツいんですよ。

 

 ロープウェイは基本的に「乗り手の意志に関係ない」乗り物です。

 限られたポイントから限られたルートを通り限られたポイントへ送り届ける。

 

 幼少期の鞠莉たちはこの「限られた」範囲の中でしか行動できなかったから、「お祈り」ができなかった。

 

 

 対して、車という乗り物は交通ルールや道路などで限られてはいるものの「乗り手の意志に依存する」乗り物です。

 

 進んだり戻ったり曲がったり、陸上であればほぼ無限に移動ができる車という乗り物。

  

 そんな車が空まで飛んでしまうんです。

 

 幼少期のときとは違い、オトナとしてハンドルを握った鞠莉には限りなく無限に近い「自由」が与えられているということではないかなぁと思ってみたり。

 

 

 

  • シャイニーとは何だったのか

 最後になります。

 

 鞠莉の言う「シャイニー」とは一体何なのか、ずっとよく分かってなかったんです。話中1回も言ってないですし。

 

 鞠莉はとても好奇心旺盛でおてんばな子です。

 小さいころ大事に育てられていた反動か、友達と遊べなくなるのが嫌で親に勘当を言い渡すレベルです。

 

 果南とダイヤは鞠莉の全てでした。

 だからこそふたりと過ごした日々を「宝物」と言っていたのでしょう。

私は諦めない
必ず取り戻すの、あの時を!
果南とダイヤと失ったあの時を…
私にとって宝物だったあの時を…

(#8 くやしくないの?)

 

 そんなふたりとずっと一緒にいたいという願いから「お祈り」するために星を探しに行くわけですが、そもそも星にお祈りする意味とは。

 

 星に願う、という言葉で思い浮かぶものといえば、「星に願いを」が有名でしょう。

 

 ピノキオのやつです、ディズニーの。

 歌詞をそのまま引用してしまいますが、

輝く星に心の夢を 祈ればいつか叶うでしょう
きらきら星は不思議な力
あなたの夢を満たすでしょう

人は誰もひとり
哀しい夜を過ごしてる
星に祈れば淋しい日々を
光り照らしてくれるでしょう

 #10のアバンを飾った、ひとりで寂しそうにテラスに佇む鞠莉を思い出させます。

 

 あの世界にディズニーというものが存在するのか分かりませんが、小さい頃に見せられる映像作品がディズニーというのは「あるある」です。

 

 小さい頃の、コドモだった鞠莉はこれを信じていて、星にさえ祈れば何でも叶うと思っていたのではないだろうか。

 

 果南やダイヤだけではなく、自分の淋しい日々を照らしてくれる存在そのものが「シャイニー」だったのではないだろうか。

 

 初めて浦の星へ理事長として就任し、カーテンを開け放ち言った「シャイニー」。

 これには「これからは新生Aqoursが私の日々を照らしてくれる」という意味が込められていたのではないか。

 

 

 最終的に西伊豆スカイラインで無事「お祈り」を済ませることができた鞠莉。

 

 前項でも書きましたが、果南とダイヤの「願掛け」はそれぞれ「帰ってこられるように」という再会の祈りです。

 

 そして今回は9人全員でその「お祈り」をします。また会えますように、と。

 

 この「お祈り」は「コドモ」のやることです。

 

 でも多分きっと、鞠莉の「コドモとして許された最後のワガママ」だとも思うのです。 

 

 オトナになってしまうとバカをやることも、ワガママを言うことも、ましてや自分の意見すら満足に言えないなんてこともザラです。

 

 

 

 #10では「3年生の将来」について明確に言及され、否が応でも3年生の将来について考えさせられてしまいました。

 

 それがなんだかすごくリアルで、でもファンタジーで。

 限りなくリアルではあるけれど、フィクションだからできること。

 「アニメ」としてこんなにおもしろいものがあるだろうかと思いました。

 

 

 

 星にはなれなくても、たとえ届かない星だとしても、祈ること、信じることくらいは許されてもいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

 次回、「#11 浦の星女学院」

 

  

 貴石から貴石へ送る愛のうた。

 前回の記事で書いたこれ、あとで気がついたのですが5・7・5調になってました。川柳かな?

  

 劇場版だと言われたら信じてしまいそうなほどのスケールとクオリティ。

 

 #9「Awaken the power」、とても良かったです。

 

 今回も感じて想ったこと、文字通り「感想」を書いていきたいと思います。

 

 

 

  • あの日観た星のように

 #8「HAKODATE」にて、一度も「会話」をしているところが描かれなかったルビィと花丸・善子がついに「会話」します。

ライブ?
ここで?
うん…理亞ちゃんと一緒にライブをやって…見せたいの。
聖良さんと、おねぇちゃんに。
できるの?
わからないけど…でも、もし出来たら理亞ちゃん元気になってくれるかなって。
準備とかは?
それは…
面白そうずら。
そうそ…え?
マルも協力するずら
本当!?

 

 なんの躊躇いもなく「面白そうだから」と即答する花丸。

 

 ここのやり取り、好きです。

 

 1期「#4 ふたりのキモチ」にて、花丸が千歌から言われた「できるかどうかじゃない、やりたいかどうかだよ」という言葉が花丸の中で生き続けているんだなぁと。

 

 

 理亞と合流し、曲作りの打ち合わせを始めます。

 

 「友達の友達は友達」と思えるような全人類皆兄弟思考の人間だったら嬉しいかもですが、少なくとも理亞は「友達の友達は他人」思考なようで、この状況は結構キツイものがあるでしょう。すごくわかるぞ…!

 

 とは言え、会話を進めていくうちに以外な一面を知り、共感する部分もあってか心を許していきます。

 

 こういう時の津島善子という存在は非常に心強いです。

 堕天使を出したりイジられ上手だったり、善子がいてくれる限り極端に場が重くなることが無いのです。

 

 

 打ち合わせをしていると梨子から呼び出しがかかり、1年生3人はAqoursへ合流します。

 

 ところがここで花丸から「もう少しここに残る」という提案が。

 

 ルビィが関わる時の花丸の行動力には眼を見張るものがあります。

 親友のためなら何だってしてあげたい、ということなのでしょう。

 

 せっかくだから自分たちも残ろうかと言いかけるダイヤにルビィがやんわりと、確固たる拒否で返します。

 

 昨日は涙ながらに「置いていかないで」と言っていたのに、今日になったら「ここに残る」なんて言われた時のダイヤの心情、とても穏やかじゃあないでしょう。

 

 

 理亞の部屋へ場所を移し、曲作りを始めます。

 

 「#2 雨の音」にてみんなで曲を作った経験があったおかげか、「すごくいい」歌詞ができます。

 過去の経験は無駄じゃない。全てに意味があるんです。

 

  あとは無事にエントリーできるかどうか、という話になります。

 

 「無事に」というのはプレゼンテーションの意味もありますが、まず「知らない人と話す」ことが大変なルビィと理亞。

 

 ビクビクと怯える2人を善子と花丸が支えてくれます。

 

 

でもさ、自分たちで全部やらなきゃ。
全て意味がなくなるずら。

 誰かが不安なときには誰かが支えてあげる。

 

 「#7 残された時間」にて、コンビニへ買い出しに行った時にルビィが星を見上げながら言った「支え合ってる気がする」という言葉。

 

 あの時星を見ていた3人が理亞をも巻き込んで支え合っている光景、素晴らしい。

 

 

 

  • 姉がくれたもの、姉に送るもの

 

 

 面接会場に入ったものの、やっぱり怖くなって、つい「おねぇちゃん」がこぼれてしまいます。

 

 そこで脳裏をよぎったのが、遠い昔の記憶から今までの「ダイヤから貰った勇気」の記憶。

ルビィは強い子でしょう?ほら、勇気をお出しなさい。

 

 千歌たち2年生のライブを見せ、より身近な存在になったスクールアイドルを見せて、「浦の星女学院スクールアイドル部」という舞台を作らせ、ダイヤなりに「スクールアイドルがやりたい」というルビィの本心に発破をかけていたのかもしれません。
 

 東京のイベントで折れてしまった時には絶妙なタイミングで支えてくれる姉。

 

 困らせてしまうと分かっていても出てしまった「置いていかないで」というワガママにも取り合わず、前を向くための言葉をくれていました。

 

 そしてこのルビィの回想で、長らく引っかかっていたものを解くヒントを得られた気がしました。

 ルビィからダイヤへ「渡している」シーンなのに「勇気を貰っていた」という回想は一体なぜなのか。

 

 このシーンは1期屈指のシーンですが、ダイヤの返答が描写されていないのがずっと気になっていました。

 

 ダイヤ自身の「また大好きな仲間や妹とスクールアイドルができる」という願いが叶う純粋な嬉しさが半分。

 

 引っ込み思案だったルビィが、自信を持って「自分はスクールアイドルだ」と胸を張れるようになったという誇らしさがあったからこその安堵が半分、という具合なのではないか。

 

 僕は自立するものを「見守る」側に立ったことがないので、1期時点でダイヤが返答していたとしても真意は掴めなかったでしょう。

 この答えはきっと、僕自身が何かを「見守る」側の人間になった時に分かる気持ちなのではないだろうか、と思いました。人生の課題です。

 

 

 話がそれました。窮地での回想は覚醒の王道フラグです。

 

 ついにルビィは「ルビィ」から「わたし」になります。

 

わたしたちはスクールアイドルをやっています。
今回はこのクリスマスイベントで遠くに暮らす別々のグループの2人が手を取り合い、新たな歌をうたおうと思っています。
大切な人に送るうたを。

 #8、#9 のテーマは「自立」や「巣立ち」であると見て間違いないですが、それらは「他人の力を借りてはいけない」わけではないということ。

 誰の力も一切借りることなく、完全に自分ひとりで生きていける人間なんて存在しません。

 

 伊波杏樹さんが1stライブのメイキング映像で口にしているように、「不安になったら目を見て」生きていけばいいんです。

 

 

 ルビィと理亞は面接で「ぜったい満員になる」と大見得を切ってしまったようですが、今やラブライブの優勝候補となったAqoursと北海道では圧倒的な実力があると評されているSaintSnowのコラボレーション、盛り上がらないはずがないですよね。

 何より、SaintSnowプレゼンツのユニットライブが発表された今、僕たちはそれを実感しています。

 

 そしてルビィは鞠莉に力を借り、ダイヤを再び函館へ向かうように仕向けます。

 

 ダイヤが函館に到着すると、どうやら函館山へ来るように連絡があったようで、そこで鹿角聖良と偶然遭遇します。

 仕組まれた偶然は必然。必ず巡り合う運命だったこと、満天の星空も相まって完全に【GALAXY HidE and SeeK】です。ありがとうございました。

 

 

 ダイヤと聖良の姉ペアが山頂に到着すると、ルビィと理亞の妹ペアが待っています。

 

 そして、何かをくれました。

 

クリスマスプレゼントです。
クリスマスイブに、ルビィと理亞ちゃんでライブをやるの。
姉様に教わったこと全部使って、私達だけで作ったステージで。
自分たちのチカラで、どこまでできるか。
見て欲しい。

 歌詞か手紙か、何なのかは分かりませんが、僕は「招待状」だったらいいなぁと思っています。

 ライブを見るには基本的にチケットが必要ですし、この時点ではダイヤと聖良の姉ペアは「お客様」です。

 

  「自分たちだけで出来る」ということを証明したくて思いついた計画、集大成を見せることが最大のプレゼントです。

 つまるところ「私たちがクリスマスプレゼント」というヤツです。

 

姉様。
おねぇちゃん。
私たちの作るライブ、見てくれますか?

もちろん。
喜んで。

 

 「クリスマスイブにライブをやる」と言っているので、このとき見せたものは「最速先行お披露目」というやつでしょう。

 オタクをやっていると最速先行お披露目のプレミア感はとても分かりますし、何より「スクールアイドルが大好き」なダイヤと聖良から観ても嬉しいもの。

 

 黒澤ルビィと鹿角理亞だからこそできた、姉へのプレゼントだったと言えるでしょう。

 

 

 

  • 雪の女王

 SaintSnowの衣装を見て、まず淫靡な悪魔的であったり、女王のようなイメージを感じました。

 妖艶なフォルム、頭にはティアラ。

 

 SaintSnowの「雪」と「女王」。

 

 アンデルセンの童話、「雪の女王」を思い出しました。

 

 

 この「雪の女王」のあらすじというか、要点だけをものすごくざっくり書きます。

 

 ある日、悪魔は不思議な鏡を作ります。 

 その鏡は「どんな美しいものでも醜く映してしまう」魔法の鏡。

 悪魔はうっかりこの鏡を割ってしまいます。この鏡はたとえどれだけ細かい破片になっても、もとの効力を失うことはありません。

 

 カイという男の子とゲルダという女の子がいて、彼らは兄妹同然の仲良しです。

 ある時、カイの目と心臓にこの「悪魔の鏡の破片」が刺さってしまいます。

 

 カイは雪の女王と出会い、女王の城へ連れて行かれます。

 女王は大変美しく、カイはゲルダと過ごしていた日々のことも忘れてしまいます。

 

 ゲルダは山賊に襲われたりしながらも色々な人の力を借り、女王の城にカイを助けに向かうことになります。

 ゲルダは城へ向かう途中、とある王子と王女に出会い、馬車を借りて雪の女王の住む城へ向かいます。

 

 物語の結末は書きませんが、100ページくらいだったと思うのでぜひ読んでみてください。

 

 この「雪の女王」と#8・#9には密接に関係があったりオマージュがあるとは言わないまでも、ほんのり「雪の女王」の「要素」を匂わせるものがあると感じました。

 

 冒頭に登場する「悪魔の鏡」。

 黒澤姉妹と鹿角姉妹は鏡に写したかのようにとても良く似ています。

 この「鏡」が割れてしまうのが、SaintSnowの失敗の瞬間。

 この時、ルビィの瞳に鏡の破片が突き刺さります。

 

 次にルビィは理亞と出会い函館に、つまるところ「雪の女王」の根城に残ります。

 そんなルビィを迎えに行くため、ダイヤは鞠莉から馬車(飛行機)を借り、雪の女王の城へ向かいます。

 

 童話の本編にて登場する不思議な家の場面にて「その家の窓は、赤や青、黄色の窓ガラスだったので、お日さまの光はおもしろい色にかわっていた」という場面があるのですが、【Awaken the power】のライブパートにてそれを示唆するような演出があったこともあり、童話「雪の女王」との関連付けてみても面白いかな、なんて思います。

 

 

 

  • 水と雪、宝石と結晶

 ライブパートの話題ついでにもうひとつ。

 AqoursとSaintSnowのコラボユニットの名前は「Saint Aqours Snow」.

 ド直球ですが、とてもいいと思います。

 

 ライブを始める前、小雨が降っています。

 

 

 ルビィと理亞が手を掲げ、「ComeOn! Awaken the power yeah!」の掛け声とともに雨は雪に変わります。

 

 水と雪がコラボしていたSaint Aqours Snowにピッタリだと思いませんか?

 雨はRainだろ!って言うのはロマンがないのでやめてください。

 

 【Awaken the power】で彼女たちが見せてくれた、隠されたチカラ・新たなる可能性・新しい世界。

 

 先ほども少し触れましたが、SaintSnowプレゼンツのユニットライブなんて「新しい世界」そのものです。

 

 

 アニメ本編では敗者として描かれたSaintSnowですが、彼女たちや他のスクールアイドルにも人生があって、矜持があって、物語がある。

 当初、理亞にはあまりいい印象を抱いておらず、「スカしたヤツ、なんかいけ好かないヤツ」というイメージでした。

 

 #8・#9を観た今ではもうそんなことは言えません。鹿角理亞のファンです。

 

 「知ることは好きになること」の第一歩、というのが個人的な持論です。

 

 Aqours 1stライブにて伊波杏樹さんが口にした「Aqoursをもっと知ってもらいたい」という言葉、これはAqoursだけじゃなくてSaintSnowもずっと思っている気持ちのはずです。

 そんなSaintSnowを、鹿角理亞を好きになるためにこの物語を作ってくれた、「知る」きっかけを作ってくれて、ただなんとなく散っていったライバル的なキャラで終わらせるのではなく、SaintSnowを愛せるようになったことに感謝したいです。

 

 

 Saint Aqours Snowの歌声はものすごく相性がいいと感じました。 

 Aqoursは声質が高めですがSaintSnowは低めの声質なので、お互いがお互いを補い合っています。

 

 お互いに補い合うというのは歌声の話だけではありません。

 宝石の瞳の色は「緑」。

 雪の瞳の色は「マゼンタ」。

 

 この2色は「補色」の関係にあります。

 

 補色とは「互いの色を最も目立たせる色の組み合わせのこと」です。

 

 #8・#9を観ていたら嫌でも分かることですが、お互いを最も引き立てていたからこその素晴らしい物語です。

 よく2話でこれだけまとめたものだと手放しで絶賛したいです。

 詳しく描写されることのなかった鹿角姉妹に対してもこんなに感情を入り込ませることが出来るのは、黒澤姉妹がいままで積み重ねてきたかけがえのない日々があったから・それを僕たち視聴者は知っていたからですね。

 

 

  • ルビィの輝き

  

 描かれなくても物語は存在する、ということでひとつ気がついたことがあります。

 たびたび「ルビィは台詞が少ない、不遇」などと言われていたことに疑問を持ち続けていました。

 

 ルビィは3年生以外のメンバーで一足早く「3年生の最後」を考えていた人間です。

お姉ちゃんたちは、3年生は、これが最後のラブライブだから。

だから、だから──
ぜったいに優勝したい。

  普段は自分の意志をハッキリと表示することがないのがルビィ。

 #8では、姉のことを考えて口数が少なくなってしまいました。

 

 もしかしたらルビィはずっと、ダイヤがAqoursになったときからずっと、画面に写っていなかったり描写されていなかったとしても、ずっとあの寂しい眼差しをダイヤに向けていたのではないだろうか。

 ともあれば、これは不遇でもなんでもなく「黒澤ルビィ」を最大最高に活かした「優遇」です。

 

 

 ルビーが語源となった「ルビ」という用語があります。

 漢字に並び立つふりがなのことですね。

 

 「黒澤ルビィ」という人物もまた、誰かと並び立つことで真価を発揮す人物だと思うのです。

 花丸であったり、ダイヤであったり、理亞であったり。

 ルビィと並び立った人間もまた同じように真価を発揮しているのです。

 

 「情けは人のためならず」ということわざがありますが、ルビィはこれでしょう。

 #8・#9では理亞を助けた形にはなりましたが、その根幹にあるものは「自分のため」です。

 

 誰かのために行動することが自分のためになる、自分のために行動することが誰かのためになる。

 これがルビィの魅力であり、ルビィの輝きです。

 

 1期#4「ふたりのキモチ」で花丸が語った「中に詰まっているいっぱいの光、世界の隅々まで照らせるようなその輝き」。

 

 

 

 その輝きが雪のかけらをも照らしてあげる、とても暖かく素晴らしいお話でした。

 

 

 貴石から 貴石へ送る 愛のうた

 照らし給うは 雪のひとひら

 

 

 

 お姉妹(しまい)

 

次回、「#10 シャイニーを探して」