朝鮮半島の地域差別と身分差別 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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朝鮮半島の古代の百済国のあった地域は高麗時代から差別されていたようだ。1100年以上前の昔の民族の相違が、差別として今も残っていた。古代の高句麗に相当する北朝鮮地域も南北朝鮮に分かれる前から方言的、文化的に南とは違っていた。


古代の百済、高句麗そして新羅の民は元々は原日本語を喋っていた(参考)。しかし、百済と高句麗は新羅や唐などとの戦いに敗れて多くの民が日本に渡来し、故地は後三国時代の後に遂に高麗に征服され、残留民に差別の苦難があったようだ。新羅は君臣を挙げて高麗に帰順して吸収合併されたが、そのまま高麗に移行した訳ではなく、やはり一部の民が東国武士として東日本へ渡来している(参考)。

男性遺伝子Y-DNA的には、現在の朝鮮半島の差別者も被差別者も漢民族とほとんど同じO3又はO2であり、現在は地域的な顕著な相違は無くなっている。高麗時代から民族浄化が行われたのであろう。かつての朝鮮には「奴婢の子供は例え片方の親が支配者側でも奴婢として扱われる」と言う悪習があった。ところで、現在、エベンキ族の男性遺伝子Y-DNA C3が全羅道(旧百済の故地)あたりと北朝鮮地域(旧高句麗の故地)あたりにあるが、高麗時代に現地支配の為に北の地域から移住させられたと見ている(参考)。

以上の高麗時代からの地域差別と李氏朝鮮時代の奴婢は異なるもので、前者は百済や高句麗の地域の残留民への差別に由来し、後者は高麗時代の良民が李氏朝鮮において奴婢とされたものであった(参考)。この高麗時代の良民が白丁と呼ばれていたものが、李氏朝鮮時代の最下層の白丁となったのである。古代に覇権を競った民族の興亡に関係があったことになる。

日本には地域差別や奴婢制度が無かったことは幸いである。例えば、徳川吉宗の母親は湯殿番をしていた美人の白拍子だったと言う話があるように、被差別民の母親の子供でも堂々と天下人になることが出来たし、現在の末裔の徳川宗家が出自で差別されることも無い。

第二次大戦後の朝鮮独立に際し、現在の北朝鮮と韓国(南朝鮮)に分裂し、その国境が古代の高句麗と新羅の国境とほぼ一致するのも、かつての差別・被差別の怨念からであり、済州島が韓国(南朝鮮)への帰属を嫌った四・三事件も同じ理由であった。


参考

① 地域感情①全羅道チョルラドVS慶尚道キョンサンド(参考)

▼歴史文献における全羅道忌避言説起源
歴史的に構築(捏造)された情緒:
・高麗の訓要10条:高麗王朝の初代王の王建
   →湖南地方の人々には位をあげない方がよい。
⇒芸術・学問に優れた人々を多く排出している湖南地方の人々は、このような偏見に強く反発・抵抗

▼『鄭鑑録(チョンカムロク)』『擇里志』(風水書)
「反逆の土地、風俗が宜しくない、ムダンが好きなので災いの地」
「湖南の地は遠く、風俗がよくない。人間がずるくて道理にかなわない」
⇒社会的偏見(Ex)1960年代以前:結婚、間借り困難。


② 様々な差別ある韓国 全羅道が長く地域差別の対象となった訳(参考)

韓国大統領の出身地は、11人中6人が慶尚道(韓国の南東部に位置。慶尚北道および慶尚南道)で全羅道(道韓国の西南部に位置。1896年に全羅北道と全羅南道に分かれた)は金大中氏わずか1人(2017.5.10、文在寅大統領が2人目)と不自然なほど片寄っている。背景には、長い歴史を持つ地域差別があった。ジャーナリスト、岸建一氏がレポートする。

* * *

ソウルの居酒屋でテーブルを囲む同年代の男たち。焼酎やマッコリを酌み交わし、すっかり酔いも回ってそろそろお開きとなったとき、1人の男がトイレに立った。それを見届けた別の男が、皆に向かってこう言った。

「会計はオレがやるよ。(トイレに立った)あいつにやらせたら、割り勘をごまかすに決まってるからさ。なんたって、あいつは全羅道の人間だからな」

それを聞いた残りの男たちは、にやけたような顔で笑った。トイレに立った男以外は、日本人の筆者を除いて、全員が慶尚道出身だった。

筆者が10年ほど前に体験したエピソードだが、韓国社会には、こうした出身地をめぐる「地域差別」が、現在も根強く残っている。自国や自民族に対する差別には非常に敏感な反応を示す韓国だが、国内に目を向けると学歴信仰や男尊女卑など、さまざまな差別意識がはびこっていることに気付かされる。中でも地域差別は、その代表格だ。

韓国では、全羅道が、長く地域差別の対象となってきた。とりわけ、木浦や光州などの全羅南道エリア一帯は「湖南」と呼ばれ、気候温暖な米どころとして豊かな食文化を持ち、歌舞音曲にも秀でていることで知られ、著名な料理家や芸能人を輩出してきた。だが、韓国内では「湖南の奴らは信用できない」と疎んじられる対象でもあった。

そのルーツをたどっていくと、後百済(892年建国。全羅道地域を治めていた)を滅ぼし、朝鮮半島を統一した高麗(王建が建国した朝鮮王朝。918~1392年。935年に新羅を、936年に後百済を制圧して、朝鮮半島を統一)の王建(太祖)が、全羅道からの人材登用を厳しく戒めた歴史にあると言われている。

そうした中で培われた差別意識は、現代にも引き継がれて、1961年の軍事クーデターで朴正熙が政権を掌握してから顕著になる。


③ 朝鮮半島の奴婢

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④ 奴婢について(ヤフー知恵袋より)

奴婢は、道を歩いていて強姦されてもそれを拒否することはできませんし、子供の両親のどちらかが奴婢であれば、子供は奴婢になります。当時の朝鮮では、土地以上に奴婢は貴重な財産でしたので、女性の奴婢はどんどん子供を産まされたそうですね。中央でも地方でも、役所にはかならず女性の奴婢を置いて、役人への性的接待に利用していました。奴婢の制度を廃止させたのは日本です。


⑤ 朝鮮の歴史(wikiより)

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