朝鮮半島の差別構造とエベンキ族 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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朝鮮半島の内部に地域差別があるとか!全羅道と慶尚道の間の対立は有名である。つい最近、当選した大統領は全羅道派で北朝鮮と仲が良い。前大統領の出身の保守派は慶尚道派であった。さらに済州島も差別されている。(参考)

現代朝鮮人の分類をY-DNAの観点でみると、朝鮮半島はほとんどO3とO2であり、漢民族と同じであった。しかし、北方遊牧民、例えばエベンキ族などと同一のC3を持った人々が北朝鮮あたりと全羅道あたりに見いだせる。済州島は日本人にも見いだせる海人族系統のC1であった(参考)。

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Y-DNAの観点では、大まかに全羅道あたりと北朝鮮にC3が見られる。済州島はC1。全体的にはO3とO2が分布。

古代の朝鮮半島の百済、高句麗、新羅の三国は元々、日本語の通じる国であった(参考)。現代の朝鮮半島の全羅道あたりは元々、百済や後百済に相当し、北朝鮮あたりは高句麗や後高句麗に相当する地域であった。途中、これらの地域は一時的に新羅になったこともあるが、最終的に高麗に吸収された。そして、慶尚道あたりは新羅から高麗になった。

すなわち、新羅であった地域は古代の中国の属国と言える高麗の国として素直に漢民族(O3+O2)化して行くが、元々が百済や高句麗であった地域は日本列島に人口が移って過疎になったため、靺鞨人(エベンキ族の祖先、挹婁の後裔、C3)など北方遊牧民を北から移住させたのであろう。高麗と言う国はごく少数の旧高句麗人と多数の漢民族化した旧新羅人と下層の靺鞨人になってしまったことになる。

現在の朝鮮は李氏朝鮮の国がそのまま移行したものであるが、前の高麗と比較すると、仏教国から儒教国になり、内臓肉食など文化的に高麗と李氏朝鮮には大きな断絶がある(参考)。現在の朝鮮人はエベンキ族の祖先の靺鞨人の遺伝子と文化を引き継いでいると見られている。これをどう説明するか?!

高麗時代末期、一時期、元帝国の支配体制下にあったが、この時、高麗の良家の女を元帝国に献上する貢女の悪習があったことで説明できる。減った女を補う為に下層の靺鞨人の女を娶ったことで、エベンキ族の祖先の靺鞨人と同じ血と文化を引き継ぐ階級が徐々に出来上がり、遂に彼らが支配する李氏朝鮮につながったのである(参考)


参考

① 朝鮮半島のY染色体の分布図(参考)

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(※引用元はKorea DNA - Y-DNA Member Distribution Mapから)★FTDNAのサイトによる「朝鮮半島のY染色体分布地図」(皇紀2673.10.7)

朝鮮半島のY染色体の分布状況は、我が国とは全く趣を異にしている。

総覧して言えるのは、「C3e1」が南西と東北に分断されて存在していることだろう。

これは、元々北方系の「C3e1」が朝鮮半島のほぼ全域に分布していた処に支那大陸から東進した「O3a2」が半島に来住し、九州北部から「O2b」ないし「O2b1a」「O2b1b」が北上した結果、「C3e1」が南西と東北に分断されたのではないかと思われる。この北東から南西へと南下した【C3e1】の種族は、現在もオロチョン(91%)、エヴェンキ(68%)、ブリヤート(84%)の高頻度の割合を占めていることでも分かるが【扶餘族】であろうと思われる。

(※Y染色体に関して書かれている文献の中で、往々にして、不穏なる半島国家のプロパガンダ(妄想)を論じたもの、もしくはその孫引きである可能性の高いものがあり注意を要する。その見破り方は、用語の中で、朝鮮半島を「韓半島」・朝鮮民族を「韓民族」と呼んだり、北朝鮮を「北韓」日本海を「東海」と書いたりする類の輩である。こういう用語を使う論者の文献は全く信用してはならない)

著者コメント: 
C3が朝鮮半島の原住民の扶余族なら、古代の日本に渡来したC3なりエベンキ族がいるはずだが、皆無である。


② 朝鮮半島内の差別(wikiより)

a全羅道と慶尚道の間の対立

なかでも特に有名なのは後三国時代にまでさかのぼるといわれる全羅道慶尚道の対立である。しかし、対立が現在のように露骨に表れるようになったのは、5・16軍事クーデター朴正煕が政権を掌握して以降である。

西北・東北差別

李朝時代には「西北」や「東北」と呼ばれた北部地域(現在の北朝鮮領の大部分にあたる咸鏡道平安道黄海道など)に対する差別も盛んだった。

c 済州島差別

全羅道地域や出身者に対する差別よりは大幅に、弱い偏見だが、韓国では古くから済州島差別が大きくある。原因は、済州道は朝鮮半島本土とは異なる独自の文化があり(耽羅国)、交流が少なかったからだと思われる。


③ 統一新羅の後の国、高麗の前(参考)

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後三国時代


④ 朝鮮の歴史(wikiより)

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⑤ 挹婁(ゆうろう、コトバンクより)

沿海州(現沿海地方)から黒竜江(アムール川)下流または松花江(しょうかこう)流域にかけて居住した古代民族。初め夫余(ふよ)の支配を受けていたが、3世紀の前半に独立し、周囲の諸民族と争った。高句麗(こうくり)や夫余などと違った言語を用い、毒矢を使い、また穴居して(かわや)を住居の中央に置きそれを洗浄用に使用するなど、独特の習俗をもっていた。このような習俗の特異性から、旧アジア系の種族と考える人もいるが、エベンキ(ツングース)とする説もある。[護 雅夫]


⑥ 靺鞨(まつかつ、拼音:Mòhé、wikiより)

中国の時代に中国東北部(現在のロシア連邦沿海地方)に存在した農耕漁労民族南北朝時代における「勿吉(もつきつ)」の表記が変化したものであり、粛慎挹婁の末裔である。16部あったが、後に高句麗遺民と共に渤海国を建国した南の粟末部と、後に女真族となって朝,朝を建国した北の黒水部の2つが主要な部族であった。


⑦ 追加(2020.9.15) 韓国・朝鮮人のルーツ(参考)


⑧  追加(2020.9.15) 高麗は旧新羅人が大部分を占めるのに対し、次の李氏朝鮮は賎民が革命で支配者となった国であった(参考)