HLAハプロタイプが証明する日本人のルーツ | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

HLAハプロタイプを用いた日本人のルーツの流れについての報告を読んだ。この報告の結果はもちろん否定出来ないが、日本国は多民族の集合体と言う解釈について検討が必要である。指摘できることは、この報告は現代日本人と現代東アジア人のHLAハプロタイプの対応関係を根拠とした解釈に基づくものであることである。

古代史から学んだことは、民族には興亡というものがあり、勝者は好条件地への移動、定着、拡大があり、これに対して敗者は悪条件地への移動、縮小の運命が待っている。さらに勝者は敗者に影響を与えることが出来ることである。古代の朝鮮半島には、異民族に女を献上する貢女というものがあり、代わりに弱い民族から女を略奪してきた(参考)。古代中国では、異民族男性は殺されるか、宦官と言う生殖出来ない男性奴隷にされた。現代でも民族浄化と言われる強姦が存在している。例え現在においてHLAハプロタイプを共有しても、元々から同じ場所にずっと定着していた同一民族であったとは言い切れない。

また、HLAは民族を超えて男女の交わりを通じて拡散することを指摘したい。すなわち、例えモンゴル人のHLAが日本人に見つかったとしても、モンゴル人の祖先が日本に渡来したとは言うことは出来ない!古代の原日本人が異民族のモンゴル人とセックスして子を作り、その子孫がモンゴルに定住していることも考えられる。

日本では異なるHLAハプロタイプが複雑に沢山あるから、多民族が日本に渡来して混住したとも言い切れない。はるか古代の原日本人が苦難の道を歩いて日本列島にたどり着くまでの過程でHLAハプロタイプに変異を起こし、途中で原住民と交雑して現地に残留した子孫も居る可能性もある。

確実に主張できることは、現代日本人のHLAハプロタイプを共有する中原(黄河中下流域)に住む現代漢民族はほぼいない!ことである。ここに漢民族の起源と日本民族との関係が伺える(参考)

もう一つ言えそうなことは、⑴ある時期(数万年前)、日本列島を含む東アジア全体に広がっていた原日本人が、日本列島に集中して渡来したか、または⑵原日本人とHLAハプロタイプを共有した子孫が中国の中原あたりから押し出されて東アジア全体に広がると同時に日本列島にも渡来した。しかし、漢民族の中原への進出時期を3000年前頃(参考)すると、前者⑴の方が尤もらしい。

著者がここで前提としていることは「縄文人を含む原日本人は多民族の集合体では無かった」ことである。これは、日本語が多民族の言語の集合体と言うより、近縁言語がほぼ無い孤立語であったことを根拠としている(参考)

また、「いったん集団中で頻度を増したHLAハプロタイプは数千年から数万年は存続することが期待される」ことから、多様なHLAハプロタイプを有する現代日本人のルーツは数万年にも遡る旧石器時代からと言えよう。縄文人は既に1万年を超える歴史を有していると言われている。

雑談
HLAハプロタイプで朝鮮半島発のルートが無いことに注目して欲しい。現代朝鮮民族と現代日本民族には、つながりが無いことになる。wikiによると、HLAハプロタイプの観点では現代朝鮮民族は満州族や中国東北部の漢民族と近いと言われている。すなわち、原日本人が朝鮮半島経由で日本列島に渡来し、朝鮮半島から居なくなった後に現代朝鮮民族の祖先が朝鮮半島に入って来たことになる。すなわち、現代朝鮮民族のルーツは高麗時代以降に朝鮮半島に入り込んだことになる。


参考

明らかになった日本人の流れ、HLAハプロタイプの流れ(参考)

{35D1B8FF-E4DD-450E-9DFE-E179987F329F}
1. 中国大陸北部から朝鮮半島を経て北九州・近畿へ(赤)
2. 満州・朝鮮半島東部から日本海沿岸へ (青)
3. 中国南部から琉球諸島を経て太平洋側へ(オレンジ)
4. 中国大陸南部から直接、あるいは朝鮮半島を経由して北九州へ(緑)
5.さらにこれとは別に縄文系と想定される別の複数のハプロタイプが南九州や北東北に存在する。(詳細は徳永(1995,1998,2003,2006)を参照)


HLAハプロタイプとは:

1990年代、日本人の起源を解き明かす画期的な研究成果が発表された。東京大学医学研究科の徳永勝士先生の研究グループが、HLAの多型により日本人の起源のかなりの部分を解き明かしたと発表したのである。

日本人の成り立ちについて述べる前に、まず最大のキーワードであるHLAについて、ある程度紹介しておこう。人類をはじめ高等動物が自分の体を守る仕組みである免疫系の働きは自己と非自己を区別することにある。即ち外から入ってきた病原微生物やウイルスなどの感染を受けて「変化した自己」の細胞を「正常な自己」の細胞と区別して攻撃し排除せねばならない。その識別のための「目印」として使われる分子グループを、人間の場合HLA(ヒト白血球抗原Human Leucocyte Antigen)と呼んでいる。

このような役割を果たすために、HLAの遺伝子群は複雑で多様性に富んでいる。HLAは第六染色体の短腕の上に密集して存在する一群の遺伝子から構成され、しかもそれぞれの遺伝子が著しい個人差を示す。よって人類集団のより詳細な研究に役立つのである。下図のようにHLAの遺伝子群は染色体上で近接しておりそれぞれのHLA遺伝子座の特定の対立遺伝子がセットを組んで親から子へと伝えられていく。このHLA遺伝子セットを「ハプロタイプ」とよびぶ。ハプロタイプは個人差だけでなく、著しい集団差があることでも知られる。これは他の遺伝子標識と比べ明らかな特徴である。

このハプログループは非常に複雑なので全く同じものが異なる集団で別々に形成され、頻度を増すことは殆ど考えられない。よって同じハプロタイプが異なる集団で観察されれば、彼らは祖先集団を少なくとも一部は共有していると断定できる。またHLAハプロタイプは「保存性がいい」標識でもある。HLA遺伝子群は染色体上に密接に連鎖しており、いったん集団中で頻度を増したハプロタイプは数千年から数万年は存続することが期待されるからである。HLA遺伝子のセットの分布には明瞭な地域差・集団差が認められる。よって、容易に先祖集団の共通性(故郷)などを判断できるのである。