唐戸市場、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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右手が新築の唐戸市場(平成13年移転)、左手が旧唐戸市場跡(現カモンワーフ)

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平成28年(2016年)、中央が現カモンワーフ(旧唐戸市場跡)、右手に新唐戸市場、国道9号線の北側は青空有料駐車場となっている。

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昭和24年(1949年、参考)、市場が最下段の白いビル(国道9号線の北側と南側)として描かれている。

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昭和20年の空襲前まで、旧唐戸市場が全容を見せている(東京第一ホテル下関の壁面より)

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大正8年(1919年)、未だ市場は無い。料亭海月があった(参考)。


明治28年に唐戸湾が埋め立てられた。市場の前身は亀山八幡宮の北西の神宮寺町にあった(参考)。


参考

① 唐戸市場の歴史(参考、wikiより)

明治期、下関は西日本最大規模の金融街として栄えた。その中心地だった唐戸は明治42年、野菜や果物の路上販売が許可され、市場の始まりとなった。下関は山々が海に迫っており、唐戸市場は当初、国道9号北側の亀山八幡宮にあった。

大正13年、魚市場が阿弥陀寺町から移転して「唐戸魚市場」ができ、昭和8年には現在地に合併して「下関市唐戸魚菜市場」が開設された。当時から、日本では珍しい業者向けの卸しと、市民や観光客向けの小売りが混在する形態を取ってきた。

施設が手狭になったことを受けて、1976年(昭和51年)6月に青果の卸売部門を勝山地区に分離移転(この時点で卸売部門は正式名称を「下関市地方卸売市場唐戸市場」に名前を改めている)、さらに施設の老朽化に伴い2001年(平成13年)4月25日に下関市立しものせき水族館(海響館)の整備などとあわせたウォーターフロントの再開発事業により現在地に移転して、観光の要素を寄り強め、魚介類を中心とした総合市場として今に至っている。


② 金子みすゞが写真を撮ってもらった三好写真館が亀山八幡宮の階段下の西側にあったが(参考)、これを挟むように更に西側に市場を建てた。


③ 魚市場の出来る前、料亭魚百合があった(参考)


④ 昭和8年頃、新築の唐戸市場

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⑤ 亀山八幡宮 昭和9年2月12日(参考)

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出来て1年目の唐戸市場(北側)、鳥居の左手に三好写真館が見える。


⑥ 昭和9年の唐戸市場

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国道9号線を挟んで北側建物から南側建物(関門海峡側)を撮影している。


⑦ 昭和10年の唐戸市場(南側建物)

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唐戸魚菜市場、青果部、バナナ部、鮮魚部、雑部の4部構成だった(ふるさと下関より)


⑧ 昭和14年2月18日の唐戸あたり(参考)

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中央の建物は旧英国領事館、奥に唐戸市場の北側建物、右の建物は関門ビル(参考)


⑨ 昭和20年の空襲後

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唐戸市場は残っている。


10 昭和43年(1968年)の唐戸市場

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下関グランドホテル・関門ビルの右手に唐戸市場(国道9号線を挟んだ二列、現在のカモンワーフ、カラトピアと北側亀山八幡宮下の駐車場あたり、ふるさと下関より)


11 昭和52年(1977年)

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唐戸市場屋上での凧揚げ(ふるさと下関より)。正面に亀山八幡宮の鳥居が見える。


12 取り壊される頃

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平成13年以前、唐戸市場の北側建物、左手にカラトピア、右手に亀山八幡宮、現在は更地の有料駐車場となっている。


13 現在(平成28年、2016時)

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中央が旧唐戸市場跡(現カモンワーフ)、左手が現下関グランドホテル(旧唐戸桟橋)、右手か唐戸ターミナル(新唐戸桟橋)


14 別に岬之町にも魚市場があった

下関水上警察署(参考)が見える。


15 気さくな風情の市民の台所

この整備された市場は、しだいに関門の人々の台所として親しまれるようになり、発展していくのである。

青果部の卸問屋は108軒あり、組織づくりを行い、下関中央青果株式会社を設立。また仲買人は蔬菜101人、果実33人で構成されていた。

港町下関では、明治末頃から山陽の浜でバナナの叩き売りが行われるようになり、一躍有名になった。記録によるとバナナが初めて下関に荷揚げされたのは明治39年6月というが、それ以降、門司とともに関門港はバナナの移入地として全国に知られるようになった。

唐戸市場は、庶民の市場でもあった。気軽に品定めをし、売り手と買い手の駆け引きが市場内のあちこちでみられ、活気に満ちていた。鮮魚は瀬戸内や北浦の沿岸ものが主であったが、しだいにフクの取引が唐戸魚市場の目玉となり、有名になっていった。(野村忠司)

(図説「下関の歴史」より)


16 下関市地方卸売市場

下関市(参考)

本市の卸売市場は、昭和8年(1933)4月、下関市の中心にあった唐戸に「下関市唐戸魚菜市場」として開設されました。その後、卸売市場法の制定に伴い昭和48年(1973)に「下関市地方卸売市場」に名称を変更し、生鮮食料品その他各種食料品を扱う総合市場として地位を保ちながら、市民の台所として親しまれてきました。

しかしながら敷地の狭隘化と交通事情の悪化により市場機能に支障をきたすようになったため、青果部については、昭和51年(1976)6月に勝山地区へ新築移転し、翌昭和52年(1977)7月には農林水産大臣の認可を得て、「下関市中央卸売市場」となりました。平成20年(2008)4月1日には青果部の新下関市場(旧:中央市場)が中央卸売市場から地方卸売市場へ転換し現在に至っております。また、水産物部門は「下関市地方卸売市場唐戸市場」に残し、消費地市場として継続使用し、昭和49年(1974)に開設したふく中心の水産物産地市場である「下関市地方卸売市場南風泊市場」とあわせ、それぞれの特徴を活かして市民の食生活に寄与してきました。その後、古くから市民にも親しまれてきた「唐戸市場」は、施設の老朽化により平成13年(2001)4月に隣接地の埋立地に新築移転し、関門海峡沿いの景観も配慮し、市民の台所としての利便性を高め多様化する消費者のニーズに応える近代的な市場として生まれ変わり、旧市場とはまた違ったユニークな市場として市民の食生活に寄与しています。

また、平成17年(2005)2月13日、豊関地区1市4町の合併により、新たに「下関市地方卸売市場豊北市場」(旧名称:豊北町水産物地方卸売市場)が加わり、3市場の連携による、より一層の安定供給や水産業の活性化が期待されています。


また、平成21年(2009)4月1日には「豊北市場」から、地元で親しまれた「特牛市場」に名称を変更しました。