阿弥陀寺から赤間神宮、下関 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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赤間神宮は明治の廃仏毀釈以前は阿弥陀寺と言うお寺さんであった。阿弥陀寺から現在の赤間神宮までの境内を時系列として把握する。

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阿弥陀寺絵図(90度左回転)、鎌倉時代の1290年代に再建された(参考)、上が日本西門鎮守八幡宮、下が阿弥陀寺

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幕末の阿弥陀寺(参考)、右に日本西門鎮守八幡宮

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昭和20年の空襲で焼失する前、昭和初期の赤間神宮、水天門が無く、鳥居が無ければお寺の趣きがある。

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赤間神宮の現在(平成28年(2016年)、参考)、右端に日本西門鎮守八幡宮が小さく描かれている。


参考

① 赤間神宮、旧阿弥陀寺(参考)


② 日本西門鎮守八幡宮(参考)