下関の戦前から戦後復興のシンボル的ビル | 日本の歴史と日本人のルーツ

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下関の戦前から戦後復興のシンボル的ビルを2棟紹介する。

① 国道9号線を唐戸から下関駅に向かって走り、山口銀行本店の手前あたりに、下関第一ビルを左手に目にする。竣工年は戦後の何年かは未詳だが、昭和24年には豊前田町から西細江町で最も高層のビルとして地図には描かれていた。

戦後復興の第一の建物として、下関第一ビルと命名されたのであろう。

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下関第一ビル(下関市豊前田3-2)

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昭和24年(1949年参考)の豊前田町の下関第一ビルディング(中央)

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昭和20年の空襲後、旧下関駅周辺は旧山陽ホテルなど残っているが、右手の西細江から豊前田方向(下関第一ビル予定地方向)は空襲で破壊されている。


② 唐戸あたりで戦災を逃れたビルは、南部町郵便局、旧秋田商会ビル、旧英国領事館、そして関門ビルがある。その内、現役の民間ビルとして関門ビルを紹介する。

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関門ビル(旧・関門汽船ビル)(昭和6年(1931年)、参考)

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昭和43年(1968年)の関門ビルと下関グランドホテル

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昭和24年(1949年、参考)の唐戸の関門ビル(最下部の中央)

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昭和20年の空襲後関門ビル、唐戸市場、旧英国領事館、旧秋田商会、南部町郵便局の建物が見える。


参考

① 下関第一ビル

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② 関門ビル

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