関門海峡フェリー | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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下関市の自宅から北九州市戸畑区の大学に通っていた時代、通常は国鉄の汽車から電車に乗り継いで通っていた。しかし、気分転換に偶に門司港・唐戸間の渡船又は彦島・小倉間のフェリーを使うことがあった。

ちなみに、門司港・唐戸間を利用する場合は下関市内はサンデン交通バス、彦島・小倉間を利用する場合は自転車に乗り、フェリーに持ち込んだ。

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日明港に入港する関門海峡フェリー

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日明港

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北九州市の日明港と彦島荒田港を結ぶ

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中央が荒田港


参考

① wikiより

関門海峡フェリーは、かつて関門海峡を通り下関市と小倉北区を結ぶフェリーを運航していた海運会社会社。海運業のほかに、乗船・下船を行っている両港のターミナルで食堂を経営している。また、損害保険代理業や車輌のリース業もしている。海運業においてはフェリーのほかに、不定期に関門海峡クルーズなどの企画運航を行っていた

昭和45年12月26日 関九フェリー設立。昭和51年8月24日  山九渡船が設立される。同年内に関九フェリーから事業を引き継ぐ。平成4年(1992年)4月1日 関門海峡フェリーに改称。2000年代に入り、原油価格上昇による経費増や関門橋の通行料金値下げなどによるフェリーの利用台数減を受けて経営合理化を進めたが、2010年(平成22年)度のフェリー利用台数がピーク時の4割以下の16万8千台にまで落ち込み、2011年(平成23年)11月30日をもってフェリーの運航を休止した


② 北九州市・日明港と下関市・荒田港を13分(九州⇔本州最短)で結んでいました。しかも普通(小型)車なら車に何人乗っていても1台あたり750円。しかも関門橋や関門国道トンネルを通過できない大型車両も運ぶことが出来た(参考)。


③ 関門新ルートの建設計画、関門鉄道トンネルは開通から70年以上、関門国道トンネルは建設着工から70年以上、共に経過している。

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関門を結ぶ新ルートの建設の必要性が指摘されているが、最適なルートは彦島・日明を結ぶ関門海峡フェリーの航路に重なる(参考)。