古代の海の灯台 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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下関市南部の航海に関わる寺社を列挙してみた。元々は海岸縁にあり、常夜灯などを点火して沿岸航海を助けていたと思われる!航路の変更などで役割が変わったのでしょう!


金毘羅山譜応寺 --- 元は金毘羅山頂にあり国際航路の仏様


黒崎妙見社 --- 元は綾羅木海岸の鼻面にあったが、挨拶して航行しないと船を沈めるので場所を変え、垢田八幡宮に遷座させた。


安岡の村崎鼻の紫雲山東福寺と菅原神社(今は無い) --- 下関市大字安岡、観音岬(かんのんばな)とも呼ばれる岬に十一面観世音菩薩があった。現在、玄空寺に安置、菅原神社は横野天満宮になる(参考)

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安岡八幡宮も小高い丘の上にあり、海から見えたでしょう。


福江八幡宮--- 元は海岸近くの岡崎にあったが、西の響灘の船を沈めるので、東に向け低地にお祀りした。

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久留見瀬は、福江の林地区の福江八幡宮の背を延長した沖合いにある海中の浅瀬。江戸時代までは、海が荒れると漁船、北前船などが難破することが多かった。今は小さな灯台が潜水艦の艦橋の様に立っている。


大綿津見神社、吉見字古宿 --- 内陸の龍王神社に合祀、神功皇后が帰陣した伝承がある


黒嶋観音、吉母 --- 神功皇后の三韓征伐や白村江の戦いに、神々が集まったとか、出兵した伝承がある


川中神社、小串 ---  祭神: 伊邪那岐命、速玉之男命、伊邪那美命、古くは西南海岸の稲荷山頂に祀り、のち新宮川の川上字奥の権現に迂祀す。明和8年再建の工あり。 文政5年現在地に迂祀す。古くは新宮大権現と称し、明治初年権現号を廃し、川中神社と改称す。

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参考