孫はなぜ可愛いのか? | さむたいむ2

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今日も元気で

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孫はなぜ可愛いのか?愚問と思われることを考えてみました。
 
ユイは女の子です。改めてそう言わないと男の子に間違われてしまいそうです。
長男夫婦はユイに似合う洋服を探して着せています。どうしてもピンク系の服が多いのです。私はブルー系の方が似合うと思うのですがあまり受け入れてもらえません。何故ならどう見ても男の子に間違われてしまうからです。
 
一歳五ヶ月です。夫婦共稼ぎのため一歳から保育園にいっています。最初の頃はよく熱を出して休んでいました。するとどうしてもママの方が休まなければいけません。保育園で風邪をもらってくると長男は言っていますが、まだ小さいだけでなく体力が付いていないからだと私は考えています。だって休まず来ている子だっているのですから。だから私はあんまり心配していないのです。成長すれば体力だって少しずつ付いてくるでしょう。
 
それよりママ(お嫁さん)実家が大変のようです。家が近いので何かあるとお祖母ちゃんに来てもらうそうです。お祖母ちゃん(といってもまだ若く)仕事をしているのですが何かあると、自由がきくといって甘えています。車を運転できるので時間を遣り繰りして飛んできてくれるのです。でもいくら孫可愛さでも限度があります。大変だと思います。しかしママとしても実家の方が頼みやすいはずです。
 
いずれにしても子育ては大変です。共稼ぎだから尚更で、長男の仕事が遅出なので保育園に送っていき、帰りはママがお迎えです。本当ならばもう少しママの手元で育てたいでしょう。でも住宅ローンもあることだから仕方ありません。これも本人たちで決めたことです。バックアップしてあげたいけどこちらも余裕がありません。金は出しても口出すな、とまでは、まだまだ無理です。
 
昔なら長男は家に入り、もし嫁さんが働くなら、私たちが孫の世話をしなければならなかったのでしょう。しかし現代は核家族化しています。長男だからといって自分の家庭は自分たちで守っていくものです。私も同居などは最初から考えていませんでした。私自身、長男ですが両親が老いるまで別々に暮らしていました。70歳を越すと不安になったからか同居を希望してきました。子供たちも学校へ行き出し、両親に世話をかけずに済むので私も同居に賛成しました。しかし奥さんと母は複雑な思いであったと思います。一応上下のニ世帯住宅ですが手狭なため互いに気を使ったのではないでしょうか。
 
私の考えとしては今後も同居は考えていません。いずれ二男も独立するでしょう。親は親、子供は子供です。それぞれの家庭を守ればいいのです。これは私だけでなく奥さんもその考えです。奥さんの実家は千葉で帰るといっても年2回でした。子供の夏休みと正月です。だから覚悟はできているのです。早くに父を亡くし、母ひとりで住んでいました。たぶん心配だったでしょう。偶に電話をしているようでしたがそれ以上帰ることはしませんでした。私より奥さんの方が自立心が強いのです。
 
でも義母は孫をとても可愛がってくれました。偶にしか会えないからかもしれませんが、長男にも二男にも分け隔てなく接してくれました。息子たちが小さい頃は近所のスーパーのゲームセンターで遊ぶのを楽しみにしていました。そのため二人分の小銭をビニール袋に分けてくれたものです。孫たちが来るからと楽しみに貯金してくれたのです。
 
私が孫を授かって思ったのは係累が増えたということです。先祖からの枝分かれです。父方、母方の先祖の融合がこの私です。ユイもそうです。私たちの方とママの実家のご先祖との融合なのです。ユイはまだ一歳五か月ですがこの子の血には悠久の時間が流れているのです。私がユイの誕生でまず考えたのはそのことです。
 
限りある人生のなかでの奇跡です。縁がとり持つ奇蹟です。人間は孤独に生まれて孤独に死ぬといわれていますが、唯一血の繋がりは親から子、子から孫へと繋がるのです。だからきっと可愛いのでしょう。この小さな生命が様々な試練を受けて成長し、そしてまた新たな家族を作るのです。その継続は永遠であって欲しいものです。
 
これからの世の中を不安に思い、結婚しても子供を持たない夫婦がいます。それは個人個人の考えで自由なことです。しかしその不安は何処から来たのでしょう。大変な世の中は確かです。しかし皆そうして今日まで来たのではないでしょうか。私たちの両親は戦争を経験しています。それでも尚子供を儲けたのは係累を絶やしたくなかったからではないでしょうか。
 
なかには自分でこの血を絶やしたい、といった悲壮の覚悟のひともいるでしょう。
 
しかし人生、そう悪い事ばかりではありません。両親の他に祖父や祖母の顔を記憶できているだけでも良いでしょう。私は残念ながら母方の祖母しか知りません。母に気性までよく似たひとでした。私もあと10年は元気でいたい。そうすればユイは両親のそれぞれの祖父母の顔も記憶できるのです。これがどんなに有難いことか、この歳になって気づいたことです。
 
そう思うと、このぶちゃむくれの男の子のような孫が尚一層とても愛おしくなってくるのです。
 
元々私は子供は苦手でした。我が儘で自分勝手だからです。しかしそれは私も同じことです。我が儘勝手をいえるからいいのです。ユイを見て自分の子育てを反省しています。長男とは事あるごとに衝突していました。最初の子であったから私も一生懸命だったのです。もちろん事の良し悪しは親が子に教えることです。しかしそれ以上のことは子供の自由です。苦労するのは自分ではなく子供なのです。それを親が先回りして教える必要はないのです。親子喧嘩は大体こんなもので子供が心配だから余計なことをいって端を発します。結局親子それぞれ我が儘勝手だからです。
 
だからユイには干渉することを気をつけたいです。この子の我が儘勝手を許そうと思うばかりです。月に一回程度しか遊びに来ないのでまだ懐いていません。馴れた頃に帰ってしまうのだから仕方ないのです。懐かれても当惑するでしょう。
 
先日来たときミニカーを買って待っていました。女の子に?と奥さんは呆れていました。しかしユイは意外とその赤いフィットが気に入って遊んでいました。彼女の周囲にはこうした玩具がなかったのです。本当はアイボリーかブルーのフィットが欲しかったのですが(何故なら私の車がアイボリーで、ママの車がブルーです)、赤い色しかなかったのです。しかし子供は赤い色に敏感です。私が箱から取り出そうとすると駄目というのです。取られると思ったのでしょう。ママが開けてあげると喜んで遊び始めました。女の子だって車で遊ぶのです。だっていつも乗っているのだから。
 
まあ男の子の遊びを教えるのは余計なお世話でしょう。しかし今時の女の子はナヨナヨだけでは生きていけない。もちろん私がユイを教育するつもりはなく、ただ逞しく育って欲しいと願うまでです。たぶんこの分だと心配することもないでしょう。