アングルの裸婦 | さむたいむ2

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『グラント・オダリスク』1814年。これはアングルの代表的な絵画です。
 
ダヴィッドから「新古典主義」の継承し、さらに当時のサロンに長く出品を拒んでいました。それは如何にサロンが古い考えに縛られていたかです。それに対抗するにはドラクロワのように「超人的な勇気」をもち、「同じほど太っ腹な大胆さはなくとも、劣らず立派な忍耐を与えられているアングル氏」は満を持して機会を待っていた、といっています。
 
この絵に対してボードレールは「ラファエロも心悩ましたであろう」と関心を示しています。アングル描く裸婦は皆一様にふっくらしています。
 
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『浴女』1808年。これなどもリアリティすぎるほどの女性の後ろ姿です。たぶんサロンに出品しても非難を浴びたでしょう。後ろ姿の裸婦像がせめてもの抵抗かもしれません。ボードレールは言っています。「アングル氏の絵は灰色であると考えられ、また認められている。愚かな国民よ、眼を開いて見るがよい。そして、今までにこれにもまして鮮やかな、目立つ絵を見たことがあるか、しかもこれほど大した色調の追及を見たことがあるかどうかを言ってもらいたい」と。
 
さらに、さきに挙げた『オダリスク』においても、「この追及は強度に押し進められ、色調は、その多様さにもかかわらず、すべて独特な品位を賦与されている」との事。
 
さすが我が詩人です。私は婦人のふくよかさしか眼に入りませんでした。できれは後ろ姿で泣く前向きでと思っているくらいです。確かに色の追及はアングルならではの冴えでしょう。サロンを構成している人々だけでなく観客もまた、私程度の節穴だったのです。思えば当時のサロンに出品されて評価を受けた作品を私は知りません。
ボードレールはそれらを酷評せず、こうした沈黙した画家たちに光を当てることで当時のサロンを批判していたのでしょう。
 
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『泉』1856年。これはまさにアングルの真骨頂です。この絵に対してはボードレールは語っていません。まだこの「バザール・ボンヌ=ヌーヴェルの古典派美術展」を書いたときには描かれていなかったのだから仕方ないのです。