マダム・レカミエの肖像 | さむたいむ2

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うら若きジュリエットのこの愛くるしい表情を見事に捉えた肖像画家の名はフランソワ・ジェラール(1770~1837)というダヴィッドの弟子です。
 
モデルは銀行家ジャック・レカミエの30歳以上歳の離れた夫人(ジュリエット・レカミエ)です。当初ダヴィッドに肖像画の依頼があったのですが、多忙のため弟子のジェラールが描くことになったのです。贅を尽くした生活を彼女は満喫しているかのようです。しかし20代半ばに思える彼女の表情からは歳の離れた夫より、彼女を描く画家への熱い視線が気になります。ジェラールは男爵であって銀行家にはない気品が備わっていたに違いありません。
 
これは全くの私の想像ですが、画家とモデルの関係は複雑です。
終始和やかななかにもある緊張があります。たぶん銀行家は自慢の美しい夫人を誇りたくてその肖像画を依頼したのです。しかし最初当てにしていた著名なダヴィットではなく、その弟子の若い画家だったのです。夫人も最初は不満でした。やはり有名な画家の手になる肖像画の方が良いに決まっています。
 
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ジェラール男爵です。このレカミエ夫人を描いた当時、彼は35歳ですがこの自画像からそう遠くない面持ちでしょう。年寄りよりは若い男の方がいいでしょう。向き合っている時間が長くなるにつれて会話も弾み、夫人はこの親密な時間を楽しんだに違いなく、この肖像の微笑みは時より様子を見にくる夫へではなく、自分をより美しく描いてくれるジェラールに対する意思表示ではないでしょうか。
 
夫人の衣裳は誰が決めたのでしょう。胸を強調するポーズは画家のアドバイスかもしれませんが衣裳はきっと夫人です。自らのプロポーションに自信がなければ出来ないポーズです。有閑マダムと呼ぶにはまだ若く、ジュリエットの青春は内面から溢れるばかりに輝いています。こんなモデルを眼の前にして油断しない男はいないでしょう。もちろん依頼主の夫人です。失礼があってはなりません。しかし画家の心は足しげく通う間男の心境に近くなっているのではないか。
 
こんな勝手な想像をさせる絵です。18世紀フランスの新古典主義を代表するひとりの画家ですが、彼も男です。画家とモデルの関係だって時代は関係ないでしょう。
 
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「プシュケとアモル」(1798年)という神話から想を得た絵画を皮切りに、男爵は肖像画家として名をあて行きます。
 
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「戴冠式の正装の皇帝ナポレオン」(1805年)
 
これによって名実ともに肖像画家として認められたと云われています。しかしナポレオンの表情とレカミエ夫人の表情を比較して見て下さい。一目瞭然でしょう。いくら皇帝の前で緊張しているとはいえ、この無表情はありません。それに比べジュリエットを描く時には画家の心が絵に現れているのです。こうしてモデルに惚れることだって画家の仕事ではないでしょうか。
 
ボードレールの『バザール・ボンヌ=ヌーヴェールの古典派美術展』が一向に先に進みません。出てくる画家の名前を検索していると今まで知らなかった絵画に出会います。これも美術鑑賞の楽しみです。気長にやることにします。
 
ちなみに、
 
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ダヴィットの手になるレカミエ夫人です。やはり美しいひとだったのですね。
これで未完の作(1800年)だそうです。ダヴィットはやはり凄いです。
 
それにしても夫人はまだ可愛らしいあどけなさが残っています。