プラトンの『ソクラテスの弁明』を読む | さむたいむ2

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ダヴィッドの『ソクラテスの死』という絵画を観ていたらソクラテスにもう少し近づきたいと思いました。これではボードレールの『美術批評』が捗りません。しかし急ぐことはないのです。ドラクロアに辿る道ですが、他の画家を知り、その絵画をも鑑賞できるならこうしたチャンスはそうありません。ただ気まぐれに画集を探しても、それは一時の時間潰しにしか成りません。
 
その新潮文庫はプラトーンの『ソクラーテスの弁明』となっていますが、私はあえてプラトン、ソクラテスと呼ぶことにします。いまさら原語に近づけて発音しても何の変りもないでしょう。要はソクラテスが弾劾裁判で如何に語ったかが問題なのですから。
 
プラトンはこの裁判劇を巧みに描いています。さらに訳者の田中未知太郎はこの「一人芝居」を見事に演出しています。ひとりステージに立つソクラテスが観客を聴衆に見立てて演技しています。これは哲学書ではありません。プラトンは師の姿を後世に残すために苦心しています。
 
ソクラテスの弁明は「無知の知」に終始しています。「わたしは自分が、大小いずれにしても、知恵のある者ではないのだと自覚している」といい、そのために広く憎まれるようになった経緯を語っています。それは自分は知者であると自認しているひとに対して「そうではないのだ」ということをはっきり分からせてやろうとした結果です。
 
ソクラテスは「この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりこのちょっとしたことで、わたしのほうが知恵のあることになるらしい」といい、「知らないことは、知らないと思う、ただそれだけのことで、まさっているらしい」として、次々にまた知恵があると思い込んでいるものに行って、さらに憎しみを受けることになったのです。
 
これでは裁判沙汰になるのは無理ありません。さらにソクラテスは若者にかなり影響を与えています。「神だけが本当に知者なのだ」と。真実を語るものはいつの時代も迫害されます。世論は決して彼に味方しないのです。何故なら「無知」を恥じているからです。無知蒙昧とはこのことです。
 
さらに「死を恐れるということは」「知恵がないのにあると思っていることにほかならない」、なぜなら、「それは知らないことを、知っていると思うことだから」であり、しかし「死を知っている者は、誰もいないからです」ということは、人間にとって「一切の善いもののうちの、最大のものかもしれないのに、彼らはそれを恐れている」と指摘しています。
 
ソクラテスだって死を恐れています。わずかな時間で重大な中傷を解こうとしているのだから「容易なことでない」といっています。この裁判に勝ち目のないことは最初から分かっていました。しかし「毎日談論するというのが、これが人間にとって最大の善なのであって、吟味のない生活というのは、人間の生活ではない」、しかしそれを信じさせるのは容易なことでないのです。しかし彼は量刑を軽くして欲しいなどとは願っていないのです。死を恐れること以上に「無知の知」を否定する方が恐ろしいのです。
 
そしてソクラテスは彼に死刑を投票した人々にこう言います。
 
「もし諸君が、人を殺すことによって、諸君の生き方が正しくないことを、人が非難するのを止めさせようと思っているのなら、それはいい考えではない。なぜなら、そういう仕方で片づけることは、立派なことでもないし、また完全にできることでもないのだ。むしろ他人を押さえつけるよりも、自分自身を、できるだけ善い人になるようにするほうが、はるかに立派で、ずっと容易なやり方なのだ」と予言を残しています。
 
またソクラテスは無罪に投票してくれた人々にも言葉を残しています。たぶんこれは弟子たちにです。「私にいつも起こる例の神のお告げというものは、これまでの全生涯を通じて、いつもたいへん数しげくあらわれて、ごく些細なことでも、わたしの行なおうとしていることが、当を得てない場合には、反対したものです。(中略)ところが、その私に対して、朝、家を出て来るときも、神の例の合図は、反対しなかった。また、この法廷にやって来て、この発言台に立とうとしたときにも、反対しなかったし、弁論の途中でも、わたしが何か言おうとしている、どのような場合にも、反対しなかったのです」
 
これはつまり「今度の出来事」(裁判)は「どうもわたしにとっては、善いことだったらしい。そしてもしわれわれが、死ぬことを災悪だと思ってるのなら、そういうわれわれすべての考えは、正しくないのです。何よりも、わたしの身に起こったことが、それの大きな証拠です。なぜなら、例の神の合図が、わたしに反対しなかったということは、わたしのこれからしようとしていたことが、何かわたしのために善いものではなかったなら、どんなにしても、起こり得なかったことだったのです」と最後の言葉を残しています。
 
神は知者であり、ソクラテスは神を信じていたのです。
 
そしてプラトンは師の教えを引き継いでこれを書いたのです。