日本語ユダヤ起源説⑯ついに証明、日本人にはユダヤの血が流れている | MATTのブログ ~ 政治・経済・国際ニュース評論、古代史、言語史など ~

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元新聞記者。 アメリカと日本を中心にニュース分析などを執筆します。

日本人のミトコンドリアDNAには、中東系のDNAが含まれていることは以前、このシリーズで書いた。進歩が目覚ましい遺伝子研究の結果、私たち日本人のDNAの中身は、お隣の中国人や韓国人とは異なる部分が多いことがわかっている。

 
 
 
 

 

D2グループを持つのは日本人だけ。D、Eグループは主にアフリカ、中東系である。

 

日本人の遺伝子には、世界の中でも非常に珍しい古代の血統(ハプログループ)とされるY染色体D系統が多いのだ。しかも、日本人が持っているのはD系統のなかでもD2系統。D1やD3血統はチベット人や東南アジア諸民族にあるが、D2系統は、驚くべきことに世界の中で日本人しか持っていない(フィリピンのマクタン島、ルソン島でわずかながら発見されている)。しかも、かなり高い割合で残っている。とくにアイヌ人には9割近くも集積している。沖縄本島にも多く、本土の山間部にもやや多くなっている。ということは、D2系統が縄文人の特徴であったということだ。

 

さらに、この日本人のD2系統の中に、特徴的な変異である「YAP(ヤップ)」と呼ばれる挿入部分があり、この部分は、DとE系統のみが持っている。遺伝学者によれば、D系統とE系統は同じ仲間であるらしい。そして、E系統を持つのはユダヤ人であり、世界中に散らばるユダヤ人が共通して持っている。イスラエルの失われた12部族のうち、エフライムとマナセだけがYAPなどの挿入部を持つD系統。そのほかはE系統。つまり、日本人が持つD2系統は、古代イスラエルを起源とするユダヤ人と共通しているのだ。したがって、古代ユダヤ人がはるか東の日本まで移動してきて、そのまま住み続けたものとしか考えられない。やはり、イスラエルの失われた十部族の末裔は日本人らしい。

 

以前も書いたとおり、古代ユダヤ人は三度にわたって日本列島まで大移動してきたと考えられる。三度目の波は、平安京を造った秦氏の一族だ。秦氏は、5世紀頃(古墳時代)、日本に土木技術を始め大陸の先進技術を持つ集団として、朝鮮の辰韓より渡来したとされている。始祖はタミール高原の北端(現在のキルギスタン~カザフスタン)地域の遊牧王国である弓月氏(紀元前161年~5世紀)とされる。古代イスラエルに起源を持つ秦氏は、中央アジアに移動して弓月氏となり、さらに秦王朝(紀元前778年~前206年)への服属を経て、辰韓(朝鮮半島南部)に脱出した。

 

 

魏志倭人伝によると、朝鮮半島における秦氏は、その習慣も言語も文化も、朝鮮人(馬韓)とはまったく異なっていて、中国人でも朝鮮人でもなく、倭人の一派とみられていた。そして秦氏は朝鮮半島南部で任那(マナセ族の意)を建国したが、結局、日本列島へ渡来した。秦氏は景教(1~5世紀)由来の一族である。景教というのはネストリウス派のキリスト教、原始キリスト教、あるいは東廻りのキリスト教といわれるが、内容はキリスト教というよりも、ほぼユダヤ教だ。正統派キリスト教からは異端視されている。秦氏ら一族は、この景教を日本古来のアニミズム(八百神信仰)とを融合させ、神道に強い影響を与えたと考えられる。

 

   高野山の景教的な石碑

    マークはユダヤの五芒星

 

秦氏一族の日本大移動は、すでに日本に到達していた同胞たちを追ってのことだと考えられる。そして、この東海上にある「約束の地」で、古代イスラエルの十二支族すべてが出会い、日本の建国と文明化に取り組んだ。つまり、日本の平安時代の京都(平安京)で、旧約聖書の預言が成就されたわけだ。
  

芝山古墳(千葉県)から出土した埴輪。ユダヤ人特有の帽子と鬢がある。

 

さらに歴史家の田中英道氏(東北大学名誉教授、日本国史学会会長)が、考古学的見地からも、日本列島にユダヤ人が渡来している証拠を発見して報告した。千葉県の芝山古墳をはじめとする群馬、茨城県など主に関東地方の古墳から出土する埴輪に、ユダヤ教徒特有の帽子と鬢(びん)があり、少なくとも6世紀には少なくないユダヤ人が日本に住んでいたことを明確に示すものだとしている。これまで書籍やネット上では「日ユ同祖論」として指摘されていたことだが、マスコミや歴史学会では眉唾ものとして無視されてきた。しかし、正当な歴史家の手によっても、ついに日の目を見ることになった。