■#045 徳川家康 晩年はロリコン好き!?■ | みの吉の学校で教わらない戦国時代

みの吉の学校で教わらない戦国時代

群雄割拠の戦国時代。
戦国武将たちは自らの信念を持って必死に生きています。
そんな戦国武将から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。

日本の戦国時代を中心に学校の授業では教わらない、
エピソードや戦国武将の名言・家訓などのご紹介をしていきます。

長きに渡る戦国世に終止符を打った徳川家康
徳川家康














豊臣秀吉が女好きで多くの側室がいた事は有名ですが、

家康にも多くの側室がいました。



はじめ家康は後家好きであったとされています。



二代将軍秀忠の母お愛の方

彼女は武田家との戦で夫を亡くしていたところ、

家康が側室として迎え入れたとされています。



他になかなか勇ましい人ではお久の方がいます。

彼女は夫が喧嘩の末殺されてしまう不運に会い、

鷹狩りに出かけていた家康へ直接嘆願しに行ったところ、

気に入られたため側室となったのです。





家康が後家の女性を好むのは、

子供が産めるからという理由も決め手の一つとされていますので、

秀吉のようなただの女好きとはわけが違うと思われます。















が!?

これは最初の話。

晩年の家康はそんな話ではありません。

もう後家好きだったのはどこへやら。

ロリコン好きに一変します。



その名前を上げていくと、

太田道灌の子孫であるお梶の方(13歳)
(家康49歳)

正木氏のお万の方(14歳)
(家康54歳)

近江六角家の旧臣の娘お梅の方(15歳)
(家康59歳)

お梶の方の部屋子だったお六の方(13歳)
(彼女に至っては家康が亡くなる時、まだ19歳だったそうです(◦ε◦))



恋愛に年齢は関係ないと言いますが、

年が50も60も離れた相手との結婚とはどんなものなのでしょうね。

前回の秀次や秀吉もそうですが、

頂点に立つような人はここまでお盛んになるものなのでしょうか?

ここまで行くとただのスケ・、いやここは自粛しておきます(笑)















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