長きに渡る戦国世に終止符を打った徳川家康
豊臣秀吉が女好きで多くの側室がいた事は有名ですが、
家康にも多くの側室がいました。
はじめ家康は後家好きであったとされています。
二代将軍秀忠の母お愛の方。
彼女は武田家との戦で夫を亡くしていたところ、
家康が側室として迎え入れたとされています。
他になかなか勇ましい人ではお久の方がいます。
彼女は夫が喧嘩の末殺されてしまう不運に会い、
鷹狩りに出かけていた家康へ直接嘆願しに行ったところ、
気に入られたため側室となったのです。
家康が後家の女性を好むのは、
子供が産めるからという理由も決め手の一つとされていますので、
秀吉のようなただの女好きとはわけが違うと思われます。
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が!?、
これは最初の話。
晩年の家康はそんな話ではありません。
もう後家好きだったのはどこへやら。
ロリコン好きに一変します。
その名前を上げていくと、
太田道灌の子孫であるお梶の方(13歳)
(家康49歳)
正木氏のお万の方(14歳)
(家康54歳)
近江六角家の旧臣の娘お梅の方(15歳)
(家康59歳)
お梶の方の部屋子だったお六の方(13歳)
(彼女に至っては家康が亡くなる時、まだ19歳だったそうです(◦ε◦))
恋愛に年齢は関係ないと言いますが、
年が50も60も離れた相手との結婚とはどんなものなのでしょうね。
前回の秀次や秀吉もそうですが、
頂点に立つような人はここまでお盛んになるものなのでしょうか?
ここまで行くとただのスケ・、いやここは自粛しておきます(笑)
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