未来からの生還 臨死体験者が見た重大事件 ‥ 3 | inca rose*のブログ

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第八章    救済者

何千年ものあいだ臨死体験が報告されてきたとはいえ、医学界で取り上げられたのは、ようやく一九六○年代になってからだった。その時期、医療技術の進歩のおかげで、死にかけた患者が助かることが多くなったからである。心臓発作を起こした人間、交通事故で重傷を負った人間が、機械、薬、技術といったハイテクを駆使した治療で、救い出されるような世の中が突然現れたというわけだ。以前だったら死んでいたはずの人間が、生き延びられるようになった。そして完全に意識を取りもどすと、彼らはそれまで歴史の中で報告されてきた話と、非常によく似た体験談を語り始めたのだ。

そしてその話は、病院の別の場所で死にかけた別の患者の話とも似通っていた。問題は、ほとんどの医者がその体験談を無視し、患者に向かって、そんなことは聖職者に話せとか、起こり得ないなどと答えていたということだ。彼らのような医学の大家たちは、世の中に生じる物理的問題のほとんどを処理する才能を与えられてはいるが、それがこと霊的問題となれば、専門外となってしまう。

ムーディ博士は、そういった体験談に耳を傾け、ほかの人たちとはまったく違ったかたちで分析した人物だ。彼が最初に臨死体験と出会ったのは、一九六五年だった。当時彼は、ヴァージニア大学で哲学を学んでいた。そのとき、地元の精神科医ジョージ・リッチーが、軍にいたころ肺炎を起こし死の瀬戸際に立たされ、驚くべき臨死体験をしたという話を耳にしたのだ。彼は医者から死を宣告されたあと、自分の肉体を離れ、国中をめぐったという。彼の霊魂は、低空飛行のジェット機のようにすばやく動き回ったのだ。そのあと死を迎えたテキサス州の軍病院にもどると、自分の遺体をさがして病院の中をさまよった。そしてやっとの思いで自分の体を見つけたのだが、顔で見分けがついたわけではなかった。指にはめていたカレッジ・リングに見覚えがあったのだ。

リッチーの体験に、ムーディは大いに興味をそそられ、その話をつねに頭の片すみに置いておくようになった。一九六九年、彼は自分が受け持っていた哲学の授業でその体験について語り始めた。そんなある日の授業が終わったあと、一人の学生が前に進み出て、彼が死んだとき体験したことを話し始めた。ムーディは、彼の話とリッチー博士の体験との類似点に、仰天した。それから三年のあいだに、彼はそのほかに約八件ほどの体験談を入手していった。

ムーディは医学校に進んだが、「死後の世界」に関心をつのらせ、そういう世界を体験した人々からの話を、集め続けていた。そのうちに、彼が耳にした体験談は、百五十件にのぼるほどになっていた。
ムーディはこの体験談のほとんどを、『かいまみた死後の世界』の中で発表している。この本は、「臨死体験」という医学分野を誕生させ、人間への理解をより深めるために大きな役割を果たし、世界中でベストセラーとなった。このおかげで博識な医者たちも、患者が息を吹き返すまでのあいだに目にした霊界について、それは単なる夢だなどと簡単には片づけられなくなった。ムーディの研究から、その体験には共通点があるということも明らかにされた。死の淵に立たされた人々のほとんどまではいかないにしても、その数多くが共通の体験をしていたのだ。

彼はこの体験を、「臨死体験」と呼んだ。また、彼が集めたすべての実例を調べ、その共通要素を見つけることで、それをさらに明確に定義づけた。彼は、十五個の共通要素を見つけ出した。だが、それらの共通要素を、すべて体験したと報告する人間はまだいない。十二個の要素を体験したという人なら、数人ほどいるのだが。『かいまみた死後の世界』の出版後、その要素を合わせたり減らしたりして、結局は九個の共通な特色があるということになった。


「死んだという感覚」
その人は、自分の死を確認している。

「心がやすらぎ、苦痛を感じない」
相当な苦痛を感じているはずの人が、いつのまにか自分の肉体を感じなくなっている。

「肉体離脱体験」
その人の霊魂、つまり実在が、自分の体の上に浮かび、目にするはずのない出来事を見て、後にそれを供述することができる。私自身の臨死体験(NDE)から言えば、サンディが私の胸を強く押していたところを見たとき、そして病院で自分の遺体のもとへもどったときなど二つの例がある。

「トンネル体験」
「死んだ」人間が、トンネルの中をかなりの速度で抜けているという感覚を持つ。私も救急車内でこれを体験した。自分が死んだとわかったとき、思い切って、そのトンネルを昇り霊界へと向かったのだ。

「光の人々との遭遇」
トンネルの出口で、光に包まれているように見える人々、すでにこの世を去っている親族などに出会う場合が多い。私の場合、自分と同じように光に包まれた人々が数多くいるところは見たが、亡くなった親族には会わなかった。

「特定の光の存在の出迎えを受ける」
私の場合、トンネルの出口で迎えてくれた霊の案内役が、これに当てはまる。彼は霊界をくまなく案内し、人生を回想させてくれた。庭園や森のようなところに行って、光の存在に会ったと語る人々もいる。

「人生を回想する」
自分の生涯を目にすることができ、愉快、不愉快な面すべての評価を行うことができる。私の場合、自分の霊の案内役と交信しながら人生を回想した。

「もどりたがらない」
私ももどりたくなかった。だが、光の存在からの命令だったし、例のセンターを建てるという使命も言い渡されてしまったのだ。

「性格の変化」
ほとんどの人が、自然や家族をないがしろにするような態度をやめるなど、よい変化が起きた。私自身にもその種の変化が起きたが、一方で負に向かった変化もあったと自分では思う。自分の体験と、「センター」を建設するという地上における使命に強迫観念を持つようになったのだ。どうやってその施設を建設すればよいのか分からず、この強迫観念は欲求不満へとつながった。

『かいまみた死後の世界』を執筆中、ムーディは、上記した臨死体験者に共通の特色すべてを経験した人間には出会ったことがなかった。だから、私がその第一号となったのかもしれない。私はムーディの講演場所である大学へと、普段のいで立ちで出かけて行った。相当目立つ格好だったはずだ。講演会などのイベントでは、かなり明るい照明が用意されているだろうと思ったので、いつもの溶接工用ゴーグルをかけていた。ふくらはぎの中ほどまである丈の長い海軍用トレンチコートを肩にはおっていた。そのうえ二本のステッキを前につきながら、かちゃかちゃと音をたてて、大学の廊下を歩き回り、目当ての部屋をさがしていたからだ。

「カマキリみたいなやつがきたぜ!」講堂に入ると、だれかがそう叫んだ。講堂には、すでに六十人ほどの聴衆が席についていた。そこにすわったまま、ムーディが語る、私の心の兄弟たちについての話に耳を傾けていた。
彼は当時、ちょうど『かいまみた死後の世界』を執筆中で、彼自身の驚くべき調査結果を紹介しながら、講堂中の聴衆をとりこにしていた。その中でも特に心を奪われていたのは私だ。なにしろ、私はその死後の世界に行ったことがあるのだから。自分一人だけじゃなかった!
あの場所に行ったことがある人は、ほかにもいたのだ!

私は、ムーディ博士の話に勇気づけられた。そのころ、重圧に押しつぶされそうになり、あきらめる寸前までいっていたのだ私はすべてを失ったうえ、どこに行くべきか、なにをすべきかがまったく分からずにいた。それが突然、目の前に救済者が現れたのだ。
私が経験したことを理解してくれる人物だ。たちどころに、新しい力がわいてきた。公演の最後に、ムーディは前に進み出て、こうきいてきた。「きみたちの中に、このような体験をした人はいますか?」
私は手を上げた。

「そういう体験をしました」と、ためらいがちに話し始めた。「じつは、雷に打たれたんです」
驚いたことに、ムーディは私の事故を新聞で読んだことを思い出した。彼は、臨死体験の可能性がありそうな事例を集めていて、その一つの方法として、瀕死の事故にあった人に関する新聞記事を切り抜いていたのだ。彼は、いつか私に連絡を取ってみるつもりだったという。

「今度話を聞かせてもらえるだろうか?」と彼はきいてきた。
もちろんです、と答えた。「なにはともあれ、逃げ出さずに話を聞いてもらえそうですからね」
講堂中に笑い声がもれた。ムーディ博士と私以外の人にとっては、単なるジョークに聞こえたのだろう。博士は、私の思いをちゃんと理解してくれているようだった。溶接工ゴーグルの下をのぞく人がいたら、私がいまにも泣きださんばかりなのが分かっただろう。だが反対に、私は笑い始めた。震えを止めようと必死だったが、笑いが込み上げてきて、もう少しで大声をあげそうになった。

「なにがそんなにおかしいんだい?」と隣の人がきいてきた。
「自分自身で体験する前に、もしだれかが臨死体験なんてことを言い出したら、ぼくはそいつらのことをからかってたと思うんだ」と私は答えた。「それがいまや、このぼく自身が体験者だなんて」













『未来からの生還     臨死体験者が見た重大事件』
著 . ダニエル・ブリンクリー/ポール・ペリー共著

から抜粋。