「お疲れ様」考 | 日本語あれこれ研究室

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日常生活の日本語やメディアなどで接する日本語に関して、感じることを気ままに書いていきます

 

 

 早朝、キャスターが開口一番「早起きお疲れ様です」と挨拶するTBSのテレビ番組があるのだが、何か少しヘンだなと感じる。

 アメブロに投稿すると「投稿お疲れ様でした」と文字が出ることがあるし、ラジオでは交通情報で「長時間の運転お疲れ様です」と言ってたりするし、ツイッターで投稿者のプロフィールに「プロフィール見にきてお疲れ様です」と書いてあることもあり、やはり何だかヘンだなと思う。

 これらの違和感について考えてみたい。

 

 赤塚りえ子(フジオプロ社長)が、外国暮らしから帰国したらメールでも電話でも職場のあいさつでも「お疲れ様」ばかりで驚いた、と数年前に新聞で話していた。

 「ご苦労様」という挨拶もある。かつては広く使われていたが、近年は目下から目上へは使うべきではないという考え方が増えてきて、替わって「お疲れ様」が多用されるようになった、という記述も見かけた。確かに「お疲れ様」は日常で頻繁に使われている。

 

 おれ自身は、社会人になった時から「お疲れ様」を普通に使ってきた。周りがもっぱらそう言っていたから、というのが大きい。目下や同世代には「お疲れ様」、目上には「お疲れさまでした」。

 特にアニメ業界なんかは、仕事場に来る時間や帰る時間が人によってまちまちなことが多い。それもあって、顔を合わせたときは「おはようございます」、帰るときには「お先に」「お疲れ様」などと、時間帯に関わりなく使える挨拶が便利だったりするのだと思う。

 

 というふうに、主に「お疲れ様」は残る人が帰る人に言うか、または仕事のあと一緒に帰る途中で別れる際に互いに言うなど、仕事を終えた人をねぎらう意味合いが非常に大きい。だから普段は何の抵抗もなく使っているのだが。

 とはいえ仕事上であっても、メールの冒頭がいきなり「お疲れ様です」から始まっていたりすると、やはり少々の違和感を持ってしまう。

 

 最初に書いた「早起きお疲れ様です」などの実例を考えてみるに、要するにテレビやラジオのアナウンサーだとか定型文の中だとかそういう、面識もない相手からの「お疲れ様」だから引っかかるのだと思う。

 さらに「早起き」や「投稿」や「運転」などは好きでやっている場合も多いわけで、別に疲れてるわけじゃないよ、と反発したくなる(場合もある)のではないか。

 ねぎらいの言葉を、知り合いでもない人から気持ちも込めずに言われることによる違和感。