西本願寺の隠しホール | 行雲流水 ~所長の雑感~

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

『広大な西本願寺の庭には、四季折々に花が咲き乱れる名庭「百華園」があって池の周囲は濃い緑に包まれている。その向うに平らな芝生の庭が広がり、大谷家と隣接する。実はこの芝が曲者で、近づいてみるときれいに刈り揃えてあって、なんと中央にはカップが切られていた。物陰から本物のピンが登場し、カップに差し込まれると、それまでの美しい庭が一転してグリーンに変貌し、難易度の高いゴルフコースが誕生するという仕組みだ。

「西本願寺の隠しホール!」そう思って、ゾクッとした。

門前さんこと大谷光照師によると、9ホールでパー「27」。かつて杉原輝雄プロもここでプレーしたことがあるが、六甲より難しいとつぶやき、パープレーは出来なかったとか。

ウェッジ一本を持って、「西本願寺カントリークラブ」をスタートしたが、いやはや、そのレイアウトの巧みさには舌を巻いた。茂み、木立ち、蹲(つくばい)などの各所に、庭園を散歩する人の目からそれとわからないようにティグラウンドが設置され、マットが固定してあった。短いアイアンを振る空間しかない上に、すぐ目の前に枝や葉が迫って、プレッシャーは強烈である。………日本のゴルフのルーツをたどっていくと、やがて西本願寺に行きつくことをつくづく思い知らされた愉快なラウンドであった。

――「読むゴルフ」(夏坂健)』

西本願寺前門主、大谷光照師は京都ヨットクラブ(KYC)のオールドメンバーで、琵琶湖ヨットクラブ(BYC)とは長い付き合いで何度もお会いしています。当時70歳代だったと思いますが、その頃、KYCとBYCで盛んだった最小クラスのディンギー、ヨーロッパ級でよくレースをされていました。沈(転覆)の用心に、艇尾に小さな縄梯子をつけておられたのを記憶しています。また、桂ゴルフ練習場でも何度かお会いし、気軽に声をかけて頂いていました。

 

 昨年暮れ、TKC全国ゴルフ同好会の全国大会が京都で開催されました。その世話役の一人だった、滋賀県の鈴木勝博先生が「こんなん知ってるか。」と冒頭のメモを私に見せてくれました。夏坂健は、35年間シングルを維持し、作家として『するゴルフ』『見るゴルフ』の2種類しかなかった日本に『読むゴルフ』の分野を開いた人として有名です。興味をもってインターネットを開いてみますと、いろんなことが見えてきました。

 

 まず、光照師のお父上、大谷光明さんは、ゴルフ黎明期の日本で有名なゴルファーで、1922年には日本アマになっています。また、川奈ゴルフの大島コースや、難コースで有名な名古屋の和合コースも設計されているとは、今まで知りませんでした。20世紀初頭シルクロードの研究に功績のあった大谷探検隊で有名な、大谷光瑞22代門主の弟が光明さんで、そのご長男の光照師が16歳で23代門主を嗣がれたようです。話があちこち飛びますが、現在のKYCの会長は、光照師の三女、大谷紀美子さんです。家内とは京女の中高での同級生で、最近、丹後プロジェクトなどでお会いする機会が多いのですが、例のメモをFAXすると、「そう言えば、庭でクラブを振らされた記憶があるが、ヨットは教えてくれたけど、ゴルフクラブは2度とさわってへんわ。」と、メールが返ってきました。また、221号で紹介した、『しょうがのたいたん』をつくって頂いた㈱オノウエさんの社長からも、実家が大谷家の近くだったのか、「子供のころ大谷家の庭に潜り込んで遊んでいて、よう追い出されたけど、芝生みたいなもんがあったなあ。」という情報も入って来ました。さて、西本願寺ゴルフコースは現在も実在するのでしょうか。期待は大いに高まったのですが……。

 

 年が明けて1月も終わりになったころ、大谷紀美子さんから家内へメールが入りました。用件の最後に、大谷家の新年会があったそうで、隠しホールが話題になったようです。メールに曰く、『9ホールはかなりの誇張のようです。そんなには無かった。ホールは開けてないけどマークがつけてあり、カップみたいなのをおくらしい。ティグラウンド?スタートのとこはあったそうです。もうゴルフに関連するものは一切ないとのこと。宗教施設に娯楽関係のものを作ってマスコミの餌食になるような事はしたくないので、すべて撤去したとのこと。なお新門はゴルフをするそうですが、家で練習するほど熱心ではないとのことです。』

 

 残念でした。