全国都道府県対抗女子駅伝 | 行雲流水 ~所長の雑感~

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

 皇后杯・全国女子駅伝が30回を迎えました。今年も京都は、連覇の期待がかかっていたのですが、残念ながら中盤の追い上げも実らず2位に終わりました。我が家から小川通を北へ300メートル行くと、往路は2区の勝負処、紫明通のS字カーブ、帰路はアンカーの序盤の走りが見られます。鞍馬口通を東へ500メートル行くと、往路は第二中継所、帰路は第八中継所、アンカーへの最終タスキリレーが見られます。地の利に恵まれすぎて、毎年どっちで見ようかなと迷っています。今年はキャノンの流し取りを試みようと紫明通へ出かけました。


 12時30分、西京極競技場のスタートから五条通を東へ、西大路で左折して北へ、正面に見える左大文字を目指して、6キロのゆるやかな登り道を一気に駆け抜けます。47人の大集団が徐々にばらけだし、数人に絞られ、残り100メートルで大阪の木崎選手が一気にスパート、トップでタスキを渡し、大阪優勝の流れを作りました。京都は、トップ集団の中ほど、3位か4位か、有力チームの兵庫、岡山がずいぶん遅れているようです。競技場でずいぶん遅れていた福島が気になりますが、トップがぼちぼち千本北大路にさしかかるぐらい、中継のヘリコプターの爆音が大きくなってきました。防寒具に身を固め、カメラを片手に自転車を引き出します。

 

 紫明通に着いてしばらくすると、まず、露払いの白バイが現れます。少しの時間差で福知山自衛隊の応援トラックが、続いてNHKの放送車、そのあと赤い制服の白バイ2台に導かれて選手の姿が見えて来ました。ゼッケン22は愛知です。大阪2位、京都は3位、中盤ぐらいに兵庫の小林選手の姿が飛び込んで来ました。3年前に、同じ2区で29人抜きの区間賞を獲得した選手です。小林選手は8年くらい前、須磨学園高校時代、12月の高校駅伝で3年間一区を走り、常に先頭でテレビカメラの正面に20分足らず映り続けていましたので、一目で分かりました。いつもはほんの2分ほどで全員が駆け抜けるのですが、今回は5分ほどの空白がありました。そして福島が来ました。最後のランナーへの大声援はいつもの事なのですが、今年は「がんばれ福島!」と大歓声です。


 3区から8区まではテレビ観戦。中学時代、連続区間賞を取り、京都の連覇に大いに貢献した久馬萌、悠の双子の姉妹の活躍に期待もしたのですが、順位は変わらず。後半は、1区30位から4位まで盛り返した兵庫の粘りや、千葉のアンカー、新谷選手の7位から一時は京都の2位をおびやかしそうな走りが目立っていました。トップでテープを切った大阪の徳田選手を迎えるチームメートの中で、3区中学生区間で区間賞の高松選手(ケニア人の父親がコーチ)の真っ黒い顔と白い歯が印象的でした。

 

 19年ぶりに大阪が2回目の優勝をしたのですが、複数回優勝は意外と少ない。京都の14回は別格ですが、他は千葉と兵庫の3回ずつだけです。地域別に見ると近畿の京都、大阪、兵庫の19回が突出していますが、関東が5回、九州が4回、中部と東北が1回ずつ、この大会が女子の長距離ランナーの底上げに寄与していることは疑う余地もありませんが、中学生から社会人まで9人、補欠を入れると12人の選手を揃えることの難しさがしのばれます。


 翌日の新聞から2つ、3つ。


 その一。閉会式での有森裕子さんの「……私が高校1年の時から大会が始まり、私は3年連続補欠。それから20年後、西京極の門外に足型ができる選手になれました。……この場にいるのはあなたたち。最高のチャンスです。ここから先はあなた次第で変えられる。京都から世界へ羽ばたいてほしい。駅伝は日本の誇れる、たすきをつなぐ競技です。この大会を大切にしてください。」というエールは、この場にいる選手に、勇気と希望を一杯与えたことでしょう。


 その二。30回大会を機に出来た「京都OG会」、第6回の優勝メンバーの一人、真木(現姓・山岡)和さん(43)が御所の前で中学生に応援する姿が写っていました。20数年前、烏丸鞍馬口周辺で、練習している姿や、アンカーとして緊張した表情で待機している姿を何度も見かけ、「がんばって!」と声をかけたこともあるだけに、変わらぬ可愛い顔に思わず懐かしさが込み上げてきました。


その三。「強い大阪の復活」という見出しで、3年前に32位と低迷した大阪の強化策と、優勝の感想が出ていました。「実業団選手が引っ張り、中高生が奮起するという、女子駅伝の一番いいところを出しての優勝は素晴らしい。」と前回優勝時のアンカー藤村(現姓・比護)信子さんの話が出ていました。停滞気味の政界に波紋を投げかけそうな「大阪維新の会」とともに関西の復権がなるといいのですが。