文楽 | 行雲流水 ~所長の雑感~

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

大阪は黒門市場の近くの「国立文楽劇場」へ、みどり会のレクリエーションに、顧問先の皆様と大勢で出かけたのは、いつだったのかなと、「みどり会タイムズ」を1号から繰ってみても記事がありません。ということは1993年以前、20年以上前の経験でした。そのときの感想は、古くさい難解なものという先入観が見事に払拭され、意外と親しみやすい面白いものでした。特に、失礼ながらお名前を忘れてしまいましたが、ご高齢の人間国宝の人形使い、人形宜しく左右から支えられて舞台に登場されたのに、人形を使い出すと別人のように滑らかな動き、永年鍛えた芸の力に圧倒されたのを思い出します。機会があれば、また行こかと思っていたのが、大阪の黒門は近くて遠い、あっという間に20年の年月が経過していました。

 

 ところが、わざわざ出かけなくても、毎年3月と10月に「文楽地方公演」と題して京都でも毎年やっていることを今回初めて知りました。2月25日から3月17日まで、おきなわ、かごしま、北九州市、大分、広島、京都は3月4日(日)、その後、倉敷、東京、尼崎、姫路、堺、津と22日間に12公演とかなりの強行軍です。結構頑張っているじゃん、というのが率直な思いです。大阪市長の橋下さんが、文楽への市の補助金を減らすと言ったとか、言わなかったとか。真意は分かりませんが、彼は文化、芸能の価値には無関心なのか無教養なのでしょうか。

 

 日曜日の5時、京都府立文化芸術会館へ出かけました。玄関へ入ると文楽人形が握手で迎えてくれました。あとで知ったのですが、本日のヒロイン、玉手御前でした。演目は、夜の部「団子売」と「摂州合邦辻」(合邦住家の段)。昼の部「新版歌祭文」(野崎村の段)ならご存知、お染、久松の心中噺、少々の予備知識はあるのですが、夜の演目は全くの初対面です。心配ご無用、太鼓拍子木の鳴り物とともに舞台に登場した裃姿の太夫さんが、見所、聞き所、勘どころ、あらすじなどをリズミカルに話してくれました。こころ準備が出来たところでいよいよ文楽の始まりです。

「団子売」は、江戸市中の団子売り夫婦、お臼と杵造の舞踊劇。「サァサァこれは大評判」、「御ひいき高い飛び団子」、「そんならお臼」、「杵造さん」、「さらばこれから始まりはじまり」と、4人の太夫の吟ずる声と、3人の太棹三味線の力強い音色が迫力一杯に、二人の踊りを盛り上げます。人間が踊るよりも、3人使いの人形ならではの振りが、色っぽく感じられました。

 

 さてさて、メインイベントの「摂州合邦辻」。元武士の出家、その妻、その娘 辻―今は玉手御前(河内の国高安家の老主君の後妻)、妾腹の子 次郎丸、前妻の子で嫡子の俊徳丸、その妻 浅香姫が繰り広げる波瀾万丈の物語。親子の情愛、嫉妬故の女同士の乱闘、お家大事と一死をもって殉ずる玉手姫。義理と人情のてんこもり、人形とはとても思えない表情と激しい立ち回り、充分堪能しました。また、人形使いの正面を見据えたままの無表情と、対照的な浄瑠璃語り(太夫)の物語の進行に合わせ千変万化する顔、体。英文の紹介によれば、He chants(歌い、吟じ)、shouts(叫び)、whispers(ささやき) or sobs(すすりない)the dialogue for all characters appearing in the play(劇中、全てのキャラクターのそれぞれの場面に応じて)―ていました。

 

 戦後、日本の歴史と伝統をないがしろにする風潮が、長い間続いてきたように思います。未だに公務員であり、なおかつ、子供を指導すべき教師でありながら、日の丸や国歌に対し、素直に敬意を表せない馬鹿者も若干いるようです。安倍内閣の「戦後レジームからの脱却」や「美しい国、日本」の発言あたりから、やや見直しの傾向は出ていたようですが、特に昨年から日本人の特質、優れた伝統を見直す発言が目につくようになりました。それには芸能は最高の媒体です。能、歌舞伎も大いに結構ですが、やや難解や、エクスペンシブな印象があります。その点、文楽は最高です。床本(台本)を目で追ってゆくだけで、充分楽しめます。また、一般4,000円、シルバー3,500円でした。