山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

幕末の最盛期には、江戸の人口が100万人を超えていまし

た。今の東京と比べれば全然少ないので実感はないかもしれ

ませんが、当時としてはかなりの人数だったのです。

 

そして驚くのは、江戸にプロの売春婦、というか売春を仕事

にして生活している女性が5700人ほどいたということで

す。

 

幕府公認の吉原の他にも100ヵ所以上の岡場所があり、そ

こでの私娼を合わせると5700人ほどになるということで

す。これも、かなりな人数です。

 

女性の仕事が他になかったわけでは、ありません。農業だけ

でなく町人の場合にはほぼ全てが共稼ぎでした。独身でもそ

れぞれの地域にも女性だけの労働ネットワークがあり、便利

屋のような形で仕事を積極的にしていて、その気になれば女

性が色気を抜きに仕事をすることはそこそこに出来ました。

 

それでも売春婦が多かったのは、ギャラが他の仕事よりも良

かったのと同時に、需要が凄く多かったからのようです。

 

江戸には独身の男性や単身赴任の男性が多く、その人たちは

現金収入がそれなりにあった一方、寂しい日々を送っていた

のです。なので収入の多い人は吉原へ、特別多いわけではな

い人は近くの岡場所へ足を運んでいたそうです。

 

そうなると、体を売る仕事は女性にとって手っ取り早く稼ぐ

一番の手段となってしまっていたということです。

1872年、日本で実質徴兵制度ともいえる「徴兵告論」と

いうのが出されました。

 

その中に、「(国民が)生血を以て国に報する」という文言

がありました。これは「兵役」のことを言っているのだそう

です。

 

以来「兵役」のことを「血税」と呼ぶようになったそうです。

生血を国に捧げる。生血を「命」という意味に捉え、税金代

わりにお国に捧げる。理不尽な話ですが、まあ「血税」とい

う解釈は出来ますね。

 

1945年、第二次世界大戦が終わって徴兵制度が廃止され、

「税金」を強調した言葉としてこの「血税」という言葉が使

われるようになり、今に至っているそうです。

かつて加藤清正といえば、槍を持って虎と対峙している絵が

ポピュラーになっておりました。朝鮮出兵の際に「虎退治」

をしたという話が、独り歩きしていたためかと思われます。

そして例の絵は、『絵本太閤記』に実際に描かれていたもの

なのだそうです。

 

この『絵本太閤記』というのは娯楽読物としてかなり誇張さ

れたものなので、信憑性は薄いものです。なので加藤清正の

虎退治にしても、架空の話とされてきました。

 

ただ実際には、全くのフィクションでもありません。絵にあ

るように虎と1対1で対峙したというのは、まず嘘と考えて良

いでしょう。

 

ただ大きくて猛烈に強い虎なので、その肉が強壮剤になると

いう話は当時信じられており、秀吉に虎肉を献上しようと諸

大名が試みたそうです。そして加藤清正は、それに成功した

ということです。

 

虎は戦うとライオンよりも強いし、人間が槍を持って臨んで

も勝てるとは思えません。ただし単独行動が多い動物です。

従って、かつての戦国武将たちが集団で作戦を練って臨むと、

単独行動の虎を仕留めるのは可能だったようです。

 

徳川美術館には、2頭の虎の頭蓋骨が、所蔵されているそう

です。ただ兵庫県宝塚市の伊和志津神社には、不確定情報な

がら加藤清正が虎を生け捕りにして連れて来たという伝説も

あるそうです。

 

果たして生け捕りにした虎を乗せて航海をすることが果たし

て出来たのか、疑問です。一方で、日本にいる秀吉に大陸の

明にいる虎の肉を腐らせずに保存して帰るというのも、難し

い気もしますね。ただし加工して氷で冷凍してという方法は、

考え出していたのかもしれません。なのでまだ、信じられま

す。

 

尚、生け捕りにした虎ですが、大坂城内で飼うのは無理で、

神社の境内の隣りにある藪の中で飼っていたというのが、伝

説の中味です。