心に住まう悪。いつも素直にありがとう。 | 豊崎愛生と結婚への道

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あなたの太陽のような笑顔と共に生きたい  http://www.nicovideo.jp/mylist/29130422

戸松遥3rdライブツアーHarukarisk*Land 3公演目の大阪公演参加から、1日かけて鈍行で名古屋まで来て漫喫でこの記事を書いてます。距離的に一日かからない(まっすぐ行けば大阪⇒名古屋は鈍行でも3-4時間)ですが、私は社畜なので大阪5箇所、滋賀1箇所、名古屋1箇所の八百屋やスーパーを見ながらだったのでそんな結果になってます。

ここ最近、スフィア運が良すぎて(;´Д`)ハアハアしてます。
Harukarisk*Land1公演目5列目、2公演目5列目、そして今回1列目。それ以外にも愛生ちゃんのリリイベに応募した2種類とも当選したり、内インストアイベントの方が整理番号3番だったりと強運中の強運。

しかしながら今回の席次には驚かざるを得ませんでした。スフィア関係のイベントで最前列に行けたのはこれで4度目、自力当選は3度目でしたが、なんと今回最前列の文字通りのど真ん中。これははじめてでした。
はるちゃんの歌になぞれば、I am a No.1 Boy.
もちろんはるちゃんともたくさん目があった(気がする)し、とても楽しいライブでした。

…ですが今回のオリックス劇場、余計なことに舞台から1列目の間に「前舞台」というスペースがあって、今回は1列目の前に簡易な柵が敷かれ、スタッフ専用の通路になってました。それが残念な結果を生むことに。そのスペースでカメラマンがうっとうしいくらいうろちょろしてて。我々ははるちゃんに集中したいのに、目の前をちらちらと動かれては気が散ります(私の集中力=愛が足りないのでしょうか)。でもね、最前列の私の目の前20cmほどの場所にそれなりの身長のカメラマンに直立されたら、いくら180cmの私でも視界が塞がれます。バラードですごく素敵な雰囲気をはるちゃんとバンドの方々、演出家の方々が作り出しても、空気も読まずにカシャカシャと音をたててとられたらぶち壊しですよ。オーラスでいい写真がとれるのも分かりますが、最後の最後にほんとうにおしまいだって時にも我々よりも前に出てきて動き回って撮影するのはどうなんでしょう。余韻もなにもありません。

にわとりが先かたまごが先か、ではないですが、ライブとはいったい誰のためのものなのかを問いたい。会場にいる人のためなのか、写真撮影や録画をしてそれらの販売で売上と利益を稼ぐことなのでしょうか。もちろんどちらも大切なのは分かりますが、あのカメラマン、ひいてはそれを許容する運営側が前者への配慮が足りないことは明らかです。もちろん、写真撮影や録画によって、会場に足を運べなかった人もそのライブの一部を媒体を通して味わえるという利点もあります。が、それはその場に赴いた人たちの気分を損なってまですることなのでしょうか。それを害さない程度に執行する方法はいくらでもあると思われますが。

と、考えたものの、一方で人間とはなんと強欲なんだろうとも思います。自分のだいすきな人に会えて生の声や歌を聞けるというしあわせ、はじめはそれだけで十分だったはず。それなのに、足繁くライブに通う度に我々の欲求は膨らむばかり。もっと近くで見たい、目が合って欲しい、指差して欲しい、ガチャで特賞が当たって欲しい。。一度でも少しいい思いをしてしまうと(悪く言えば味をしめてしまうと)、次もそれと同じかそれ以上でなければ満足しなくなる、満足出来なくなる。行き過ぎるとその相手に対して独占欲のようなものまで生まれてくる。
まだ記憶に新しいが、今年の美菜子の年賀状事件がその典型でしょう。彼は美菜子への投資額が大きかったり、思いも人一倍強かったりする分、自分が選択されなかったときのショックが大きかったのは容易に想像出来ます。タイミングや運が合わなければ当然はずれることがある。美菜子は彼だけのものではない。アイドル活動はビジネスですが、投資額によって扱いが変わるという公平性はない(当然ファンクラブがあったり当選しやすくなったりすることはあるだろうが)、あくまで平等なのです。

心に住まう欲望を悪、と呼ぶのは言い過ぎかもしれませんが、それを行き過ぎたものにしないために大事なのは、「ありがとう」それに尽きると思います。この精神はブログのタイトルにもある人物、豊崎愛生さんに学びました。彼女は事あるごとに「ありがとう」を何度も何度も言う。ライブで言ったのに、その後のブログやらじおでもまた「ありがとう」を何度も何度も言う。もうこの人、ありがとう神(しん)でいいよ。
当たり前のようなこと、当たり前ではないのに慣れてしまって当たり前のように勘違いしてしまうこと、それらを有り難いと思うこと、有ることが難しいことだと認識すること。彼女のデビューシングルlove your life, love my lifeの歌詞にもある。目にするすべてにありがとう。何その精神、あなたは神かと。一見それは簡単なことのように思えるが、年を重ねたり経歴を重ねたりするとくだらないプライドがもれなくついてきて、「ありがとう」と言うことは案外難しくなってきます。目にするすべてにありがとうなんて鍛え抜かれた精神を持たねば言えっこありません。ましてや愛生ちゃんほどまでに名声を勝ち取って、まわりにちやほやされて(全く嫌味のつもりはありません)いれば、天狗になってもおかしくはない。しかし、彼女はありがとう神なので、ことごとくその言葉を届けてくれます。

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これは昨日行った名古屋にある素晴らしすぎる居酒屋(詳しくは私のツイートを)の箸の写真です。2本ある内の1本にだけ「素直にいつも ありがとう」と書いてあります。しかも、テーブルにセットしてあるときはその文字が見えないようになっていて、客が使ってはじめて見えるようになっています。
ここ直近の愛生ちゃんのリリイベでの自分は、最前列なのに一度も目が合わない、ほおずきをサイリウム代わりにふってたのに気付いてくれない、勇気が足りなくて愛生ちゃんとしゃべれない、などうじうじしていました。でも、一歩引いて考えてみれば、自分が当選したということは誰かが落選したということ。行けただけで、会えただけで有り難いことではないか。今回の大阪ライブだって改善はしてほしいですが、はるちゃんに会えて、素晴らしい歌と演奏が聞けて、世界一美しいであろう腹部をまじまじと見ることが出来て、とても有り難いことです。楽しかった思いが無くなるわけじゃない。

意見が生まれることそれ自体はいいこと。
しかし不満が不満を呼び膨らんでしまいそうになったら、いつも素直にありがとう。
その精神で原点に立ち返るようにしたいものですね。
(ワ◯ミっぽいシメになりましたが昨日行った居酒屋は鳥開さんという地元に根付く素晴らしい居酒屋さんです(;´Д`)ハアハア)