民族地政学入門 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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地政学という学問があります。有名なアルフレッド・セイヤー・マハンの地政学があり、戦前においては各国がそれぞれの地政学をもっていて研究していたのです。特にその中で有名な言葉は「大陸国家であると同時に海洋国家であることはできない」という言葉です。

 地政学を知ってか、知らずか、中国は大陸国家であると同時に海洋国家になろうとしているのです。中国は最初から失敗です。

 例えば、中国は大陸での戦いは経験していますが、中国海軍は海での戦いの経験はまるでありません。我が国は帝国海軍の百数十年の歴史があります。しかも海の戦いの専門家です。中国海軍は日本の海上自衛隊には勝てません。実戦経験を持っている帝国海軍の後衛である海上自衛隊は、すごい実戦経験を持っています。中国海軍との戦争は半日で終わらせることができるのです。

 それも今日のテーマの通りです。大陸国家であるならば、海に出てはいけません。日本は反対だったのです。戦前、日本は海洋国家のくせに反対に中国に行ってしまったのです。これはダメなのです。海だけに専念すればよかったのです。

 日本は大陸国家ではなく島国です。巨大な大陸など相手にしても勝てません。相手はどんどん逃げ回ります。日本軍はどんどん追い回します。戦線拡大して窓口がどんどん開いてしまったのです。

 ロシアは大陸国家です。海には弱いのです。ウラジオストックという不凍港を持っていますが、海へどうしても出ようとするのです。だから北方四島は帰ってきません。海にある重要な拠点だと思っています。ロシアは北方四島を日本に返しません。ロシアも大陸国家でやっていればよいのです。海に出てきてはダメなのです。

 日本は海では絶対に負けないというものをつくっていけばよいのです。大陸を攻略するための戦車や大砲などあまり意味がありません。戦車など日本に来ません。戦車が日本に来るのは船です。

 日本に戦車で攻めてくるためには船がないと来れませんから、船を沈めてしまえば終わりです。海軍がしっかりしていれば、日本に上陸などできません。これが地政学の基本的な考え方です。

 ドイツの地政学もあれば、それぞれの国が自分たちに有利な地政学的を研究しているのです。日本の地政学とアメリカの地政学は違います。中国の地政学と韓国の地政学は違います。韓国は半島です。前を見れば日本があり、後ろを見れば中国があります。韓国は大国と大国に挟まれているのだから、ウソつきにならざる負えないのです。これは仕方ありません。これは地政学的にそうなのです。変えることはできないのです。

さて、そこで主に地理的な地政学はそうなのですが、民族的なものを加えて「民族地政学」を作ったらよいのではないかと思います。地政学には人間の性質など書いてありません。そこに人間の伝統を入れて民族的な地政学を作ればよいのです。

中国人の民族地政学では、シナ人は人食い人種です。事実そうです。何億人という人間を食ってきたのですから、「シナ人は食人人種」と言われても仕方ありません。しかも、シナ人は何の良心の呵責もなく平気で人間を食べます。有名な話があります。ある上官が家に遊びに来ます。食べる物がないので自分の女房を殺して、料理にして出したのです。それを「美味しい」と上官が食べたのです。

奥さんが出てこないので、「俺の食べた料理は奥さんだったのか」とわかって、その男は出世していくのです。食人はシナ人の伝統です。孔子は醤(ヒシオ)を食べました。醤は人間の肉をサイコロの大きさに切って塩と麹につけます。1年間くらい甕(かめ)に寝かせると、人間の肉が発酵してきます。それが孔子の大好物だったのです。彼らの歴史書に書いてあるのです。孔子は聖人君主のようなことを言っていますが、ただの人食いです。

シナの文献には随所に出てきます。食料がなくなると、自分の兵隊を食べてしまうのです。シナの軍隊は弱い人間から食っていくので、食料はいりません。戦争に行ったら敵を殺して食べてしまうので、食料はいりません。

敵がいなくなったら自分の弱い兵隊から食べていけばよいのです。すごい人種です。これはシナ人の常識です。二頭羊といい、人間の肉が軒先のぶら下がっているのです。食用人間がずらりと並んでいるのです。シナ人は人間を食べる民族です。

毛沢東の八路軍が日本軍に捕まったときに、干した人間の肉がリュックの中に入っていたのです。奴らは食うために人間の肉をリュックに入れているのです。人肉がリュックの中に一杯入っていたのです。

文化大革命では3千万人食べてしまったのです。中国人は人間を食べてしまうのです。独特の民族です。そのような民族性を研究して、民族地政学を作ったらよいと思います。こんな話はまだ序の口です。

「朝鮮人はどのような民族か?」というと、朝鮮人の住んでいる土地は半島です。地政学から言えば、海に囲まれているけれども、奥には大陸があります。巨大な陸に見張られています。海に出ていこうとすると、日本があります。

奥の大陸からは蒙古や女真族やエベンキ族がどんどん侵入してきて止められません。その辺りにいる人間はぶっ殺して、逃げたり、居座ったりして、どんどん異民族が攻めてくるのです。また、次の蛮族が攻めてくるのです。

そのうち、エベンキ人が入ってきて、そこに住んでいる人間をブッ殺して女は犯しますから混血児ができてしまいます。恋愛で混血するのではありません。男はぶっ殺して征服して、女を犯したのです。子供は自動的に生まれてしまいます。それが半島の常識です。

大国と大国に挟まれているとウソをつかないと生きていけません。朝鮮人はみんなウソつきになってしまうのです。だから朝鮮人を地政学的に言うと、ウソつきだと断定してよいのです。

それから朝鮮人は事大主義です。朝鮮人は「大きいものにかまれろ」といいます。そのように「あそこの国が力がある」と常に見ていて、力の大きい方につき、力の弱いと思うものを常に裏切るのです。

朝鮮人は裏切りの歴史です。しかも、あんな狭い半島に新羅・百済・高句麗にわかれて、争っていたのです。常に殺し合いです。朝鮮の風俗は恋愛などありません。恋愛などしている暇はありません。暇だから恋愛するのです。すぐに敵が来て攻めてくるのです。「男は殺せ! 女はかっぱらえ」というのが伝統的にあるから、朝鮮人は強姦民族です。それが当たり前です。

それで混血するので、朝鮮半島にエベンキ人の邪悪な遺伝子がどんどん増えてしまったのです。朝鮮人の先祖を追っていくと、幻のようなもので正体はありません。朝鮮人は何人なのでしょうか? 女真族、蒙古人、韃靼人、エベンキ人と追っていくと、「朝鮮民族」という固まりはないのです。消えてしまうのです。いつの頃からか、よどみにたまった不審物が朝鮮半島にいたのです。気の利いた奴は日本に逃げてきています。

逃げない奴が朝鮮半島に住み着いて、まだんなく略奪が行われてきた土地です。略奪が行われているところは、人間が卑屈になってしまい、怠け者になってしまうのです。一生懸命働いてお米を造っても、馬賊が盗りにくるのです。

ちょうど、黒澤明監督の「七人の侍」で描かれています。働いても野武士がお米を盗りにくるのです。それで持っていってしまうのです。なくなったと思いますが、隠してあるのです。隠したものを食べていたのですが、すると今度はそこに他の馬賊がくるのです。野武士が「お米を出せ!」と言うと、百姓は「持っていかれて何もありません」と言うと、野武士は「ウソをつくんじゃない。まだあったじゃないか」とすべて盗っていくのです。そんな奴らが何回も来るのです。だから「村は自衛しなければいけない」というのが、「七人の侍」の物語です。

すると働こうとか、勤勉という精神がなくなってしまうのです。どうせ取られてしまうのです。お米は今あればよいのです。貯めておくと取られてしまうのです。するとおしゃれもしなくなってしまうのです。

李氏朝鮮の宮廷ではおしゃれをしても、庶民はおしゃれなどできません。着物は色もなく白色だけです。庶民は土間に寝ているのです。

江戸時代、庶民は土間と床があります。土間で煮炊きをして、ちょっと高い場所に畳があります。部屋は四畳半と土間で最低1軒です。土間がないとご飯が炊けませんから、土間は必ずあったのです。

しかし、朝鮮では畳はありません。土間だけです。小屋があり、土間だけですから、土間で寝たのです。衛生観念が育つわけがないのです。

李氏朝鮮時代は儒教の国なので、庶民は2階建ての家を造ってはいけません。水道も下水も区別がつかない家に住んでいたのです。これは地政学です。このようなところから生まれた民族はどのように物を考えるのでしょう。まず、清潔・勤勉・忠誠という概念がありません。みなドロボウです。ドロボウに忠誠を尽くす人などいません。

それから人間を信用しません。朝鮮人はウソでその場を乗り切るので、ウソが大事な道具です。食料が隠してあっても「ありません」と平気でウソをつくのです。朝鮮人はすぐにバレてしまうことを平気でウソをつくのです。そのようなウソをつくのが朝鮮半島の人間です。

朝鮮人に公共の観念はありません。天皇に忠誠を尽くすことはありません。両班(ヤンパン)は平民や白丁(ペクチョ)を苛めるためにいるのです。このようなところに育った人間は何百年経っても変わりません。日韓併合時代は日本が韓国を統治して日本並みの教育を行いました。写真ではキレイに見えます。建物はレンガ造りで立派な建物ですが、38年間も教育したけれども、結局朝鮮人はダメだったのです。

何故、朝鮮人がダメであったのかというと、李氏朝鮮のダメであった時代が長すぎたのです。日本が学校を造って38年間教えてあげても、その時は聞いているフリをしているのですが、結果的に李氏朝鮮時代に何百年かけて作り上げた性格は変わりません。あの地形でこの中にいる人間はこのような人間です。このようなことを研究していくことが民俗地政学です。注意すべき点はたくさんあります。

朝鮮と中国だけの問題ではなくて、様々な民族性があります。日本でも県民性があります。福島県人と鹿児島県人は、県民性が全然違います。県についていえば地政学です。県民性まで入れれば民族地政学です。このような学問を作り上げてもらいたいと思います。

その一冊を読めば民族性と地政学がわかるようなものが大事です。非常に面白い研究です。やる気のある人は研究してください。

 

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