最終戦を終えての涙 | 我らが徳島ヴォルティスと共に

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2015年のシーズンも、アウェイの四国ダービーで終わった。色々と思うところがあるが、順を追って書いていく。




難しい試合だった。徳島のモチベーションを保つ唯一の理由は『四国ダービー』だった。対して愛媛は、四国ダービーのみならず、プレーオフ進出に向けての大事な最終戦となる。更に徳島は監督の解任という状況。明らかにモチベーションの違いはあっただろう。


この試合、立ち上がりから劣勢。攻め込まれる場面も多く見られたが、ディフェンスの連携がとにかく悪かった。守備面でヒヤヒヤする場面が多く見られた。愛媛の勢いある攻撃にリトリートし過ぎなのかとも思ったが、ゴール裏からでは良く見えない部分もあった。


前半を0-1で折り返す。この日の最終ラインは右から、藤原-石井-福元-冨田だった。冨田にはサイドバックは無理だ。センターバックの選手であってサイドバックじゃ無い。それならば内田を左サイドに入れるべきだ。


内田の攻撃力を生かそうとしての事だろうが、内田はスピードに乗ってから勝負できる選手だ。本来のサイドバックが合っている。なにより、センターバックの選手をサイドバックに置くよりはるかに安定し、オーバーラップという攻撃オプションを使える。後半、石井が2枚目のイエローで退場。このカードはよくわからなかった。後で見返してもわからなかった。


ここまで書いてなんだが、試合内容などどうでもよくなってきた。書きたかったのはこんな事では無い。


この試合、ゴール裏には色々あった。テレビではわからない事が。


 

 

 

真面目な話をします。


テレビには映らない今日の試合でのゴール裏での出来事。色々ありました。愛媛の河原選手に対して『河原死ね』との発言。何度もです。ビックリしました。そんな事を相手選手に投げかけるのかと。アホ、ボケ、カス。そんなのは良いです。子供の喧嘩です。でも『死ね』はいけない。人として言ってはいけない言葉を大勢の前で、サポーターの中心となる位置にいる人達が発する。近くには友人の子供達もいました。この子達は、間違ってもそんな事は言わないのに。あの中に人の親が何人いたか。我が子には聞かせたくないでしょう。教職者はいたのか。どんな気持ちだったのか。


気になっていたので録画していたNHK放送を見ました。後半39分。河原選手が徳島サポーターの言葉を聞き、「死ねは無いだろう!」と言ったのが公共の電波に乗って聞き取れました。河原選手をなだめる福元選手、長谷川選手。この時点で徳島DFのモチベーションは急降下し、河原選手の負けられないという思いは急上昇したと見て取れました。味方が足を引っ張る。それでは勝てません。前半終了でベンチに引き上げる中、福元選手は河原選手に声を掛けていました。詫びていたんでしょうね。申し訳ないです。


試合途中、それまで立っていた場所を離れました。近くにいた見知らぬ小学生。愛媛クソッタレと何度も声を上げ、真っ赤な顔をして中指を立て、誹謗中傷を繰り返す。聞くに耐えれなかったです。まあ、「くそったれ」という言葉は、やられた者がやった相手に対して、やりやがったなクソッタレが!と発する言葉ですから、間違っては無いんでしょうけど。あの状況だと、向こうからすれば負け犬の遠吠えにしかならないです。時間が経った今でも、あの子供の声が耳から離れません。どんな大人になるのか。


そんな環境ってどうなんですかね。サッカーの応援がどうとか、ダービーがどうとか、そんな事ではなく、人として大人として当たり前の事、子供に対して模範となる言動ができていない場所ってどうなんですか?何を正当化しようと、人を育てる場所ではないです。間違ってます。死ねという発言をした人が誰かは知りません。ですが、その人の子供は確実に人に対して死ねと口にする人間になるでしょう。人を平気で傷つける人間になるでしょう。私の身内、友人には教育者と警察官が多くいます。学生時代の友人の中には真逆の道を進んだ者もいますが。。。まあ、そういう環境もあり、言ってはいけない事、やっては行けない事はわかっているつもりです。私自身、決して人の模範となれる生き方をしてきたわけではありません。先生や親父にシバかれた事もありましたがですが、自分で責任の取れる範囲です。間違っているかどうかの判断は付けられるつもりです。


大人だけが集まる場所。同じような仲間が集まる場所なら良いです。何を言っても、最後は自分で責任を取れば良いです。それが大人です。だから行き過ぎた行動をしても、最後は社会的責任という事で責任が取れるんです。


試合終了が近づくにつれ、自然と涙が溢れました。何故そうなったのか。負けたから泣いたのではありません。それくらいでは泣きません。私が泣くのは、大切な人の死と向かい合った時くらいです。


太鼓の無い終わりの無いチャント。試合後のヴォルティスコール。声が枯れそうになるまで声を出しました。ここに来てゴール裏がまとまりかけている事への思い。最後、サポーターが無償の応援を続ける事で見えた選手達の意地。それが嬉しかった。それと同時に、なぜこんな形になったのかという辛さ。その涙でした。


試合後の愛媛コール。ダービーで相手チームのコールをするなどあり得ない。そういう声もあります。それはそれで一つの考え方です。それでも良いと思います。ただ、相手を讃え、やってこいと言える大きさと強さ。それは相手を敵では無くライバルとして見ているからでしょう。愛媛コールをした人を否定するのは間違いです。人それぞれです。ただ、声を出さない事も間違いでは無いです。それぞれの自己表現です。それに、一部の人達の全てを否定しているわけでは無いです。遠いアウェイの地まで足を運ぶことそれだけでも凄い事だと本当に思っています。



考え方は様々です。一部の人には、その人なりの考え方があるんでしょう。ですが、1つ言いたい事があります。そういう考え方を持つ人がいる会社が、私の取引先にあれば、すぐにでも切ります。実際にあるでしょう。あまりにも私とは考え方が違う。私はお客様ご家族の笑顔が溢れる住まいを造ることが仕事です。ですが私とは全く違う、そういう教育しか出来ない会社を使う気はありません。私のチームは必要ありません。プライベートな事であろうが、社会人である以上色んな責任を背負っています。それを忘れてはいけません。受け取り方、それに対しての考え方も人それぞれなんだなと感じました。


いつもはコメント欄は消してありますが、今回に限り開けておきます。それも、私のこの記事に対する発言の責任です。批判もあるでしょう。ただ、返信は致しません。何度も書いたように、考え方は人それぞれで、私の考え方が間違っていると言う人もいるでしょうし。私は自分の意見をここに書いただけです。自分の意見を発信する事は大事です。Twitterやブログ、Facebookなど皆さんがご自身の場で、それぞれの考えを出す事で、徳島ヴォルティスをより良いチームにし、ビッグクラブへの第一歩となる事を願います。



と、ここまで書いて小林監督が清水の監督になる事が決まったようですね。私は昨年の途中で監督は代えるべきだとずっと思ってましたし、あちこちで発言していました。選手を能力やコンディションでは無く、自身の感情で外すやり方は上に立つ資格は無いです。この1年、私的には無駄にしたとの気持ちもあります。お疲れ様でしたの一言は言えても、ありがとうの言葉は言えませんでした。それも私の思いです。


ここに書いてきた事は個人的な意見と感情です。私は徳島ヴォルティスの一部のスタッフや選手とプライベートで個人的な付き合いもあります。その部分からどうしてもクラブや選手寄りの考え方になるのかも知れません。クラブとは一線を引いて付き合っていくという彼らの姿勢は、お互いに敬意も必要としますがプライドなんだなと思います。素晴らしいです。


最終戦の前日、ドグの応援に広島へ行きました。ドグのハットトリックと広島のセカンドステージ優勝。楽しかったです。でも、嬉しいのとは微妙に違うんです。愛媛戦を終え、やっぱり私は徳島というチームが好きで、涙が出るほど好きなんだなと確信しました。


来年こそは、色んな意味での改革が見える1年になれば良いですね。


勢いだけで書きました。誤字脱字はご勘弁下さい。



※ すみません。コメント欄を開けておこうと思ったんですが、出てこないのでそのままで。