先日、オウム死刑囚一斉移送のニュースを見ました。
3月20日、あの地下鉄サリン事件から23年経ったのですね。
元号が変わる前に、平成で起きた事件は平成で終わらせる―つまり死刑執行が近いのではないか―
と週刊文春が報じています。
平成最大の国内テロ事件を起こしたオウム真理教も、
初めは少人数のアットホームなヨガ教室だったわけですよね。
ところが、教祖の麻原は解脱して空中浮揚等の超能力があるとされ
神秘体験への憧れや超能力を身に着けたいという願望を抱く人々を引きつけて
多くの信者を獲得していきました。
麻原の能力と、彼の信者がどうのめり込んでいったのかを示す興味深い記事を
清水友邦氏が書かれています。
以下一部抜粋させていただきます(太字当方編集)。
麻原の著作には次のような記述がある。
<相手のクンダリニーが覚醒してゆく様子は、霊眼で見ている。
まず、相手の眉間に当てたわたしの親指から白銀色の光がスシユムナー管(クンダリニーの通り道)を通って尾てい骨のムーラダーラ・チャクラまで降りていく。
これを三回ほど繰り返すと、光はパッと消えてしまう。
これは、スシュムナーにクンダリニーの通り道ができたことを意味する。>
<さらにシャクティーパットを続けていると、小さな豆粒ほどの赤い点が相手のムーラダーラ・チャクラに四点くらい見え始める。
このとき、わたしのムーラダーラ・チャクラも呼応してむずがゆくなる。
それらの点は初めは離れて見えるのだが、やがて一カ所に集まり、逆三角形を作る。
そのとき、わたしのムーラダーラ・チャクラは熱くなる。
三角形は次第に大きくなり、骨盤ほどの大きさにまでなる。
わたしのムーラダーラ・チャクラはいっそう熱くなり、エネルギーが上へと昇り始める。
同時に相手の赤いクンダリニーも上へと昇り始めて、それがわたしの親指のところまで到達すると、相手の身体全体が赤く見えるようになる。>
<これで第一回日のシャクティーパットは終了である。
たいていこれでクンダリニーの覚醒も終了する。
シャクティーパットを受けた人は以後超能力をどんどん獲得していくことができるのである。>
(「超能力 秘密の開発法」オウム出版 より引用)
麻原はヨーガの修行の結果、内部にエネルギーを集中させることができる様になり、信者の身体と共鳴させることができるようになったようだ。
シャクティパットは一回5万円だったようだが、受けた信者は金色の光に包まれた。
涙がながれ至福に包まれた。などの感想を話す。
以下信者の体験談
<身体全体が筒のようになった感じで、幅の広い帯状のエネルギーが上昇していくようだ。
気分と身体が軽くなり、心地よくなった。
セックスよりも強烈な快感が、足やおなかから頭項に向かって走った。
シャクティー・パットを何回か受けていると、時々、意識がなくなってしまうこともある。
シャクティー・パットを受けているということを承知していながらも、意識は部分的に違う世界にいってしまったような気がした。
それは眠りに近い心地よさを伴っていて、白い光が見える。
終わったあとは心が穏やかで、身体はまるで雲の上にいるような感じであった。>
雑誌 トワイライトゾーンNo.126号 ワールドフォトプレス
<白い光が内側から額に広がるように見えた。
尾骸骨のところに小さい粒が動いているような感触があった。
1回目のシャクティー・パットでは、何だかよくわからないながらも感動して涙が込みあげてきた。
麻原先生が「君は前生で私の弟子だった」とおっしゃったとき、それを確信した。
最高に至福感があって、自分が聖者になったような気分だった。
首にたまっていると感じていた邪気が全部とれて、すっきりとした。
2回目のシャクティ・パットでは、気分が軽くなって心が解放されたような感じだった。
物事を考えなくても、必要なことは自然と脳裏に浮かんでくるようになり、行動にムダがなくなった。>
雑誌 トワイライトゾーンNo.126号 ワールドフォトプレス
のちに麻原の愛人になり子どもを宿してしまったマハー・ケイマこと石井久子は次の様に報告している。
<快感が走る。震動する。しびれる。そして、太陽の光のようにまぶしく、ものすごく強い、明るい黄金色の光が頭上から眼前にかけて昇った。
金色の光が、雨のように降りそそいでいる。その光の中で、私は至福感に浸っていた。
この太陽は、その後何回も昇り、そして最後に黄金色の渦が下降し、私の身体を取り巻いた。
このとき、私は光の中に存在していた。いや、真実の私は光そのものだったのだ。
その空間の中に、ただ一人私はいた。ただ一人だが、すべてを含んでいた。
本当の幸福、真実の自由は、私の中にあることを悟った。
真実の私は光の身体であって、肉体ではないことを悟った。
真実の私は、光であることを知った>
マハー・ケイマ(石井久子) オウム真理教 機関誌「マハーヤーナ」No.2 号 オウム出版
この話を聞けば、おそらくオウムと別の名前であれば今でも、はまり込んで行く人はいるのではないだろうか?
オウムの引用を長々としたが、通常、霊能力や神秘体験と言われるものが、悟りと解脱とは直接的には結びつかない事を示している。
変成意識を体験させる身体技法は、自我の境界が揺らぐので誰でも神秘体験がおこる。
それは体験への執着や依存を生み、カルト団体のビリーフシステムを強化してしまう危険性がある。
なんらかの原因で 無意識の領域に溜め込んだ欲求に無自覚でいると、抑圧したエネルギーが表出したとき、それを外の世界で行動表現してしまう。
内面で起きている問題を自覚しないまま外の世界で表現しても、内面の問題は解決しない。
麻原彰晃が教祖稼業に手を出すのであれば、低次元の欲求は解消しておかなければならなかった。
彼は修行不足のため自己を洞察するという智慧が開かなかったので、自己の満たされなかった無意識のエネルギーに振り回され、欲望を欲しいままに満たそうとして自滅してしまったのである。
―引用ここまで―
麻原は、修行で得る非日常的な体験は教えの正しさを証明するとして、神秘体験を利用していたようです。
解脱あるいは霊力によって人々を救済する等、どんな名目があるにせよ
霊能力を身につけ神秘的な体験をしたいという人々の内なる欲望がなくならない限り
また同じような事件が起こる可能性は十分にあるのではないでしょうか。
むしろ、社会情勢が不安定な今だからこそ
人々はスピリチュアルに拠り所を求めて、カルトや偽グルにはまったり
スピリチュアル詐欺にあう危険性も高まっています。
自分が霊性の教えやグルに何を求めているのか。
もう一度よく考えてみる良い機会かもしれません。