「夏への扉」を読み、「夏への扉 Never end ver.」を考える | 肯定ログ

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好きなものは好きと言います。肯定ペンギンなので。備忘録。

先日、気になっていた本をようやく発見したので購入、読了しました。

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「ぼくの飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にあるいくつものドアのどれかひとつが、夏に通じていると固く信じているのだ。1970年12月3日、かくいうぼくも、夏への扉を探していた。」

ロバート・A・ハインライン 著「夏への扉」。

Aqours デュオトリオシングル「夏への扉 Never end ver.」について調べていたところ、検索ウィンドウにサジェストされていたのがきっかけで気になっていた1冊です。

「『夏への扉 Never end ver.』となにか関係があるのかも知れない」と思い、ささっと駆け足気味に読んでみました。

結論から申し上げますと、なんの関係もありませんでした

ジャンルとしてはタイムスリップ系のSF物語であり、舞台も1970年代のアメリカという無関係っぷり。
とはいえ物語自体は面白くて、読み進めていくうちに解消されていくパラドックスが痛快なもの。

そしてこの小説と「夏への扉 Never end ver.」。
無関係ではあるのですが、作中に気になるワードや登場人物の関係性などがあったので書き出していこうかと思います。
特にオチはないです。

いつものようにこじつけまくりなのと、作品の内容について言及するものになりますので、ネタバレを避けたい方・読むに耐えなくなった方はブラウザを閉じて頂けたら幸いです。

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自分なりに感じたあらすじをざっくり書いていきます。

舞台は1970年代のアメリカ・ロサンゼルス。
人工冬眠(コールドスリープ)が流行・実用化され始めた世界

ダンという青年が本作の主人公であり、彼の友人マイルズ(男)とベル(女)の3人で会社を経営するのですが、経営方針の違いからダンとマイルズが仲違いをしてしまいます。

3人で分権していたため、経営方針は多数決で決めることとなります。
ダンとベルは結婚の約束をしており、ベルの所持している会社の株もダンが与えたものなので、当然ベルはダンの決定に即するものだろうとダンは考えていました。

ところがベルはマイルズと結託していて、1対2の多数決の後ダンを解雇。
ベルはマイルズと結婚までしてしまいます。

紆余曲折あり、30年間の冷凍睡眠(コールドスリープ)を経て職や立場を奪われたこと、奸計に嵌められたことの復讐をしようというものになります。(このへんは物凄く端折ってます。)


ダン・マイルズ・ベル。
この3人の関係性に、ラブライブ!サンシャイン!!9話「未熟DREAMER」にて、果南とダイヤが結託し、鞠莉を海外へ送りやったところと近いものを感じました。
(無論、マイルズとベルはダンを嵌めるために画策したのに対し、果南とダイヤは鞠莉に対してそんなことは微塵も思っていません。)

「未熟DREAMER」を観るうえで僕はダイヤの気持ちに沿って観てしまうので、「嵌められた側」である鞠莉の気持ちに対してノータッチだったように思います。

「夏への扉」にてダンは「嵌められた側」の視点なので、鞠莉の気持ちに寄り添うきっかけを与えてくれたと思っています。

30年のコールドスリープの後ふたたび30年のタイムスリップを行ったダンと、2年間海外へ行ったあとふたたび浦の星へ戻ってきた鞠莉。
自らが動き、手を回して、自分の欲しかった未来をつかむ。
キャラクターの立場として、2人は同じ位置づけにあると感じました。

そして、鞠莉の気持ちを考えると「嵌められた」という感情からくる"負"の気持ちは大きいものだったのではないでしょうか。

ともあれば、「未熟DREAMER」にて果南の言った「リベンジだとか、負けられないとかじゃなく、ちゃんと言ってよ」というセリフの「リベンジ」とは、鞠莉が果南を奮い立たせてもう1度スクールアイドルをさせることの意味の他に、鞠莉が再び浦の星へ戻ってくることこそが果南とダイヤに対する小さな復讐、リベンジの意味も含んでいたのかなと思いました。


・「夏への扉」とはなんなのか

約360ページほどあるのですが、冒頭と最後のあたりくらいにしか「夏への扉」という言葉は出てきません。

この「夏への扉」とは、いったいなんなのか?

「(家の中にある11の扉のうち)少なくともどれかひとつが、夏に通じているという固い信念を持っていた
(「夏への扉」P8~9)


猫であるピートは、冬になると暖かい夏への扉を求めて家中のドアを開けたがるといいます。
作中の季節は冬のため、いくら開けても待っているのは当然寒い冬しかなく、夏への扉とはいったいなんなのか?本当に存在するのか?という疑問を一番最初に提起されたまま物語は進んでいきます。

「夏への扉」という作品の結末はハッピーエンドになります。
ダンがタイムスリップとコールドスリープを駆使し、時間を超えてリッキィという女性と結ばれる結末には胸がすく想いでした。
ダンはコールドスリープしている時
寒い冷たい夢の中でぼくはがたがた震えながら、幾重にも曲りくねった暗い廊下を、出くわす扉という扉ひとつ残らず開いてみては、この扉こそ、いやこのつぎのこそ夏への扉、リッキィの待っているあの暖かい扉だと、ひたすら思い続けていた。(p354)」と、夢を見ます。

そして
ぼくは現在をこよなく愛しているし、ぼくの夏への扉はもう見つかった(p367)」
と、彼自身の夏への扉探しを終えました。

ダンにとっての「夏への扉」はリッキィという存在でした。
無事、扉探しを終えたのが「夏への扉」だとしたら、終わらない夏への扉を探し続ける「夏への扉 Never end ver.」ではどうでしょうか。
大切な誰か・なにかが待っている暖かい扉が「夏への扉」であるならば?

「夏」という言葉について考えてみます。
「夏」はラブライブ!サンシャイン!!において重要な季節であり、果南・鞠莉・ダイヤが作った旧Aqours終わりになった季節でもあります。

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"あのとき置いてきたものを、もう1度取り戻そう"(13話「サンシャイン!!」)

「あのとき」というのは旧Aqoursが終わりになったときのこと、つまり夏。

私見として「夏への扉 Never end ver.」はソロパートやセリフパートの入りから、鞠莉をフィーチャーしている曲だと思っています。
「夏への扉」を探していたダンと、ダンとキャラクター的立場が似ていると感じた鞠莉のことを重ねて、より一層そう思うようになりました。

鞠莉個人にとっての「夏への扉」はおそらく、果南とダイヤ、新生Aqoursとの出逢い。

 でも結局、歌われている「"終わらない"夏への扉」が人物なのか、物体なのか、事象なのか、分かりません。
これから探す物語なので、行先が分からないのもそれは当然かなと。

「夏への扉」では扉を探したところで物語が終わるけれど、「Never end ver.」では扉を探すところからはじまる終わらない物語
みたいな対比が面白いな、といったお話です。


更に言うと、置いてきた「あのとき」を「夏」とするならば、
Summer Summer Summerはみんなのモノ!
という歌詞の意味は「これからのAqoursはみんなでつくっていく」ということになり、こじつけにこじつけた結果ぼくの中では「新しいみんなで叶える物語」と同じ意味を持つようになりました。



最後まで読んでくださった方、長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。