総角(チョンガク)
参考文献1によると、李朝時代には、男の子の頭髪を真ん中で左右に分けて頭上に巻き上げて、双角状に両輪を作ったが、それがまるで二つの角のようであった。
この髪型を総角(チョンガク)といった。これが転じて、今日では結婚しない成年男子を指す語になったと書いてあります。
戦後に朝鮮半島から引き揚げて来た人が広めたらしく、ひと昔前の日本でも「チョンガー」という言葉が独身男性の意味で使われていました。
日本での「チョンガー」という言葉には、何となくしょぼくれたイメージがありますが、参考文献1には、素早くて力も強く、雄々しい男性を「総角」というようになった。
人間にはない角をつけたことによって動物的な力の所有者となり、社会的な人間となるのであると書いてあります。
総角(チョンガク)がどんな髪型か気になって画像を探しましたが、『韓国服飾文化事典』などの本には載っておらず、ネットで検索すると「チョンガクキムチ」の画像がほとんどですが、「水汲み男―総角― 髷が見える」というキャプションのついた写真が一枚見つかりました。
『悲劇の朝鮮』という本に載っている写真とのことで、小さくてよくわかりませんが、頭の上に髷を結っているようです。
「チョンガクキムチ」は大根のキムチで、総角の髪型に形が似ているからそう呼ばれるそうですが、あの写真の髪型と似ているのかどうかは分かりません。
日本では、「みづら」の事を「総角 あげまき」とも呼ぶそうで、Wikipedia「角髪(みづら)」の項には「日本の上古における貴族男性の髪型。中国の影響で成人が冠をかぶるようになった後は少年のみに結われ、幕末頃まで一部で結われた。美豆良(みずら)、総角(あげまき)とも。古墳時代の男性埴輪などに見られる。」などと書かれています。
聖徳太子や光源氏の少年時代の髪型も「角髪(みずら)」の一種なのでしょう。源氏物語の47帖の巻名も「総角 あげまき」です。
韓国の史劇で「総角」らしき髪型を見た記憶は無く、子供や少年は大抵お下げ髪です。
奴婢など身分の低い階層の子どもはボサボサ頭だったり、お下げでない場合が多いようです。
『ホジュン』にはユ医院の薬草採りの一人ヨンダルとかドルセ(科挙に向かうホジュンに寄り道をさせて、母親の治療を強要したあげくに、母親の眼が見えなくなったと怒鳴りこむ男)などお下げ髪のおっさんも出て来て、彼らは独身のように思えます。
朝鮮王朝末期の朝鮮半島を旅した英国人女性イザベラ・バードの旅行記『朝鮮紀行』には「若者は長くゆたかな髪を二本のおさげに編んでうしろにたらし、・・・外国人からはいつも女の子とまちがえられる」と書いてあります。(参考文献2)
参考文献3にはおさげ髪の男の子の写真が載っており、「未婚の男子 女子のように髪は長いが着衣によって相違がある。」と書かれています。
史劇に総角が出てこないのは、なぜでしょう?私が気付かないだけでしょうか?
参考文献
1『韓国文化シンボル事典』2006 株式会社平凡社
2イザベラ・バード 1998 『朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期』 講談社学術文庫
3金奉鉉1982 『朝鮮の通過儀礼』 国書刊行会