日本の霊魂観
多くの研究者が日本人の霊魂観でも霊は複数であると言っており、諏訪春雄氏によると、霊魂には動く霊魂つまり自由霊と動かない霊魂つまり身体霊があるということです。
中国やその影響をうけた朝鮮ほどには「魂」・「魄」、陽の霊魂と陰の霊魂の区別は明瞭ではなく、荒魂(あらみたま 荒々しいおこないをする神霊)と和魂(にぎみたま おだやかな徳をそなえた神霊)のように霊魂の機能、人間にあたえる影響によって分類していたとのことです。
(参考文献1)
古代の日本には、霊のようなものをあらわす言葉として「おに」「かみ」「もの」「たま」などの言葉があり、これらを中国から伝来した漢字で記述しようとした当初は、区別がされていませんでした。
やがて、どちらかと言うと人間にプラスの存在であるものが「神」、どちらかと言うとマイナスの存在であるものが「鬼」になっていったということです。
「もの」とは、「もののけ」の「もの」で)によると、「いまだ共通の名称をもたぬもの、見慣れぬもの」、「それ自体特定の意味を喪失しているので、どんな意味でもひきうけることのできる万能の記号のようなもの」という事です。
「もののけ」は人間の世界と異界の境目にいる精霊で、普段は人間と関わりなく暮らしており、ときおり人間と出会い、その関わり方によりプラスにもマイナスにもなるのでしょう。
そして、人間が「もののけ」の領域に踏み込んで荒らすと祟る存在である。アニメ『もののけ姫』の世界です。
「たま」は「たましい」の「たま」で、プラスでもマイナスでもなく、眼に見えない霊魂の事でしょう。
鬼についての研究は多数あり、研究者により見解が異なりますが、諏訪春雄氏によると以下のようになります。
日本の鬼も自然に充満する霊魂すなわち精霊であるという本質は中国や朝鮮と一致するが、神との区別があいまいな場合が多い。
これは、本来一体であった神と鬼の分離が明確でなかったことによるもので、ナマハゲなどは土地の人たちによって鬼とよばれるが、本質は先祖の神々である。
日本の鬼には自然系と人間系、生者と死者の両方があり、また善悪が存在し、両者に共通する条件が敗者であるという点である。
あたらしい神々との争いにやぶれた古い神々が、強力な人間集団に追われた弱小の人間集団(東北地方の坂上田村麻呂に攻め滅ぼされた蝦夷、大江山の酒呑童子等)が、そしてみずからの情念に屈服した個人(源氏物語の六条御息所等)が鬼とみなされる。
勝利した側は、自分たちと差別するために、また自分たちの心のやましさや哀惜の念ゆえに、敗者に鬼の名を贈るのである。
(参考文献1・2)
「おに」の語源は平安時代の辞書『倭名類聚鈔 わみょうるいじゅうしょう』に「隠 おん」のなまりで、鬼は隠れて姿を現さないから「隠」というと書かれているが、とってつけたような説明だという研究者もいて、定説はないようです。
日本の「おに」が現在私達のイメージする妖怪「鬼」に変わっていった過程も、良くわかっていません。
中国の陰陽五行説の思想により、鬼は牛寅(東北)すなわち鬼門の方角にいるから、牛の角を生やし、虎皮のパンツをはいたあの姿になったという説が一般に広まっていますが、これは俗説だという人もいます。
前述のようにインドから中国に伝わった地獄の獄卒の影響を考える研究者が多く、『山海経 せんがいきょう』という中国の地理書に妖怪のような想像上の生物がたくさん載っており、この影響があったのではないかという研究者もいます。
(参考文献 3・4・5・6・7)
寺尾善雄氏は奈良時代に仏教の影響で〝飢鬼 がき〟が生まれ、平安時代には〝地獄の赤鬼青鬼〟が現れ、仏教の〝夜叉 やしゃ〟や〝羅殺 らせつ〟と混同して、今日描かれる鬼になったとしています。(参考文献 8)
鬼の図像は江戸初期から牛の角と虎の皮のふんどしを主要素として描かれるようになったといわれる。(参考文献 9)
参考文献
1諏訪春雄 『霊魂の文化誌 神・妖怪・幽霊・鬼の日中比較研究』
2 山内昶 2004『ものと人間の文化史 122-1 もののけⅠ』法政大学出版局
3知切光歳 1978 『鬼の研究』 大陸書房、
4島根県立八雲立つ風土記の丘 2006 『鬼の源流』、
5馬場あき子20000 「鬼の誕生」、
6小松和彦 2000 『怪異の民俗学 4 鬼』河出書房新社、
7Books Esoterica 24 『妖怪の本』 1999 学研
8寺尾善雄 1982 『中国文化伝来事典』 河出書房新社
9吉野裕子 1990『神々の誕生 易・五行と日本の神々』 岩波書店