『座頭市』 | やりすぎ限界映画入門

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■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『座頭市』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2003年/日本映画/115分
監督:北野武
出演:ビートたけし/浅野忠信/夏川結衣/大楠道代/橘大五郎/大家由祐子/ガダルカナル・タカ/岸部一徳/石倉三郎/柄本明/樋浦勉

2003年 第19回 やりすぎ限界映画祭
2003年 ベスト10 第3位:『座頭市』
やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞/やりすぎ限界審査員特別賞:『座頭市』

2003年 第60回 ベネチア国際映画祭
銀獅子賞


※この記事は「不適切」な表現の言葉を使用してます。時代背景においてリアリズムを重視した監督の意図を尊重し、映画に記録された言葉をそのまま使用したことをご了承の上お読み下さい。


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:ビートたけし


やりすぎ限界男優賞:浅野忠信


やりすぎ限界男優賞:ガダルカナル・タカ


[北野武監督第11作目]



ベネチア国際映画祭銀獅子賞受賞。『HANA-BI』に続く二度目の狂気。もう黒澤明監督だけではない。ヴィム・ヴェンダースやチャン・イーモウ達と同じ “棲息速度域” に棲む映画監督まで到達した。…「怖い」。『リべリオン』『インファナル・アフェア』『猟奇的な彼女』『ラスト サムライ』の時代。改めて淀川先生の真実を見極めた「眼力」の「怖さ」に漏らした。

[勝新太郎への挑戦]


■勝新太郎『座頭市』より

勝新太郎なくして「座頭市」は語れない。数多くの映画、TV番組が作られた「座頭市」。その「全作品」を勝新太郎が演じた。もはや「座頭市」という言葉を知らない日本人がいない領域まで昇華させた。映画史を超えて歴史にその名を刻んだと言って大袈裟ではない。



もはや「人間国宝」の領域に見える「勝新」の「居合斬り」。「ビートたけしが」ではなく、「誰一人超えることはできない」と言う方が正しい。だが「誰も見たことがない」「新しいもの」でなければ「世界の北野」が「座頭市」をリメイクする意味はない。「勝新」の「居合斬り」=「殺陣」を超えねばならない課題を背負った。だが北野監督はそのプレッシャーを「ベネチア国際映画祭銀獅子賞」で撃ち砕いた。

[「血のCG」]



「誰も見たことがない」「新しいもの」として「座頭市」の「血のCG」は前代未聞。その斬新なアイデアに度肝を抜かれた。北野監督がこれほど全編に「CG」を使用したのは初めて。「勝新」の「居合斬り」を超える答えを「この世で作れない映像がない」「神への冒涜」の「CG」で挑んだ。



流血の「鮮やかさ」を研ぎ澄まされた「ショック」「瞬間の感覚」で叩きつけた。だが一番恐ろしいのは「俳優」「ビートたけし」。実は「居合斬り」の「殺陣」ができた狂気におしっこ垂れ流し状態だった。

[「ショック」「瞬間の感覚」]



「血のCG」だけでここまで迫力は出ない。「血のCG」の「暴力」を際立たせたのは市(ビートたけし)の「居合斬り」。『その男、凶暴につき』から積み上げてきた「ショック」「瞬間の感覚」の「緩」「急」が『座頭市』で爆発した。



「座頭市」に「CG」。「裏をかく」とはこういうことだろう。『ルパン三世』の石川五ェ門「斬鉄剣」もブっ飛ぶ「灯篭斬り」。あまりの怖さに泣きながら笑う以外もはやなす術はない。また「座頭市」の「伝統」市と服部源之助(浅野忠信)の「宿命の対決」に震撼。ビートたけしの「殺陣」その「一瞬」の「緩」「急」でパンツに「一瞬」でついた。この「ショック」「瞬間の感覚」にベネチア国際映画祭もおしっこが全部出尽くした。

[「金髪」「タップダンス」]



極限のくそリアリズムに妥協を許さない北野監督。だがこの時代に「金髪」「タップダンス」はない。これはあまりに強烈な「勝新太郎」=「座頭市」の印象を超えられない「敬意」に見える。「フィクション」を際立たせることで「勝新」とは「全く違うもの」にした。それほど偉業を成し遂げた「勝新」への「敬意」を込めた「開き直り」に見えた。だが「誰も見たことがない」祭の「タップダンス」の面白さ。常に攻撃的に「新しいもの」へ挑戦する姿勢を尊敬した。

[「視覚障害者」の英雄]



身体障害者が「英雄」である創作物は日本にしかないという噂を聞いた。どの外国にも例を見ない「視覚障害者」が「無敵」の英雄である「座頭市」は、世界を震撼させる「日本文化」の誇りかもしれない。



人間の理論で説明できない能力。「五感」を持つ人間が「一感」を失ったら残りの「四感」が冴えることはありえるだろう。『シザーハンズ』ではないが「やったらやれる」ということを込めた思いが「座頭市」を生み出したのかもしれない。僕は「日本の美徳」と考えたい。

[「目が見える」]



■「何だ てめえ
  めくらじゃねえのか?」
 「そうだよ」
 「何でめくらのふりなんか
  してるんだ?」
 「めくらのほうが
  人の気持ちが分かるんだよ」


だが「座頭市」が「目が見える」のはもはや本末転倒。「勝新」とは「全く違うもの」にした「新しいもの」。限界の「オチ」におしっこは全部出尽くした。「目が見える」理由。「めくらのほうが 人の気持ちが分かるんだよ」。「めくらのふり」をする「新しい」英雄に震撼する以外もはやなす術はない。

[「一生 めくらで暮らせ」]



■「誰が殺すかい…
  一生 めくらで暮らせ」


市が「他人のことを考えない人間」の目を斬ったのは、犬畜生を「人の気持ちが分かる人間」に変えるため。「殺さない罰」。……「怖い」。北野監督、……「あんたに殺されたくねえ」。




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画像 2017年 3月