『愛の渦』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『愛の渦』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2014年/日本映画/123分
監督:三浦大輔
出演:門脇麦/池松壮亮/新井浩文/滝藤賢一/三津谷葉子/中村映里子/駒木根隆介/赤澤セリ/柄本時生/信江勇/窪塚洋介/田中哲司

2014年 第30回 やりすぎ限界映画祭
2014年 ベスト10 第5位:『愛の渦』
やりすぎ限界審査員特別賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『愛の渦』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:門脇麦


やりすぎ限界女優賞:三津谷葉子


やりすぎ限界女優賞:中村映里子


やりすぎ限界女優賞:赤澤セリ


■第2稿 2020年 9月26日 版

[「R18+」「成人指定映画」となる審査基準]




「映倫」による「R18+」「成人指定映画」となる審査基準は、「(1)性表現(2)暴力表現(3)犯罪(4)薬物の扱い」によって判断される。「(1)性表現」によって「R18+」「成人指定映画」に区分される最も有名なジャンルが、日本独特に「ピンク映画」と呼ばれる「ポルノ映画」だろう。



「ピンク映画」と同格の「性模写」を見せる『愛の渦』は、「劇映画」なのか「ピンク映画」なのか?

[「セックス映像」の種類]




「ピンク映画」と「AV」で「セックス映像」の種類が違う理由は、「ピンク映画」は「セックス映像」があっても完全に映画であり、人間を描いてること。「コメディ」とか「シリアス」とか作風はあっても、人間を描く映画になってる。だが「AV」は「絶対人間を描かない」。追究されるのは「セックス映像」「そのもの」の、極限のくそリアリズムを「徹底的」に「見せること」「のみ」。ここに決定的な違いがある。

[「R18+」「成人指定映画」と同格の「性模写」]




「ピンク映画」の知識は殆ど「皆無」。「全然詳しくない」。生涯で数本しか「ピンク映画」を見てない。だが「その道の人」から「見ろ」と言われた「伝説」の『天使のはらわた 赤い教室』を見て、ビビッて震え上がり「泣きながら」大きい方を漏らした。恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「水原ゆう紀」と「蟹江敬三」が見せた極限のくそリアリズム、恐るべきやりすぎ「恋愛映画」の「泣かし」に、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」するしかなかった。




「R18+」「成人指定映画」と同格の「性模写」を見せる『愛の渦』と比較して、『天使のはらわた 赤い教室』が「ピンク映画」に見えなかった。『天使のはらわた 赤い教室』が「ピンク映画」に分類されてしまうなら、『愛の渦』が「劇映画」か「ピンク映画」か判断できなくなると思った。同時に『天使のはらわた 赤い教室』が「劇映画」か「ピンク映画」か判断できなくなった。「性模写」がある「R18+」「成人指定映画」の、「劇映画」か「ピンク映画」かの基準が、実は「曖昧」でしかないことを思い知るしかなかった。




生涯で数本しか見てないのに、「ピンク映画」の中にも「劇映画」として評価されるべき崇高な映画があることを思い知った。「劇映画」として認識されてる『愛の渦』も、実は評価されるべき崇高な「ピンク映画」なのかもしれない。

[「ピンク映画」の存在を問う「事件」]



「ちょっと」調べると、日本の「ポルノ映画」は1960年代から始まる。いろいろあって日本独特に「ピンク映画」と呼ばれるようになり、超有名な「日活ロマンポルノ」が生まれる。『男はつらいよ』シリーズの恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「美保純」が、「日活ロマンポルノ」出身なことは小学生から知ってたが、最近になって「名前だけ知ってた」「東てる美」「風祭ゆき」「白川和子」「亜湖」も出身だったと「知らなかった」ことに「震撼」「驚愕」「絶句」。さらに「もうちょっと」調べると、僕でも知ってる「金子修介監督」「崔洋一監督」「周防正行監督」「相米慎二監督」「滝田洋二郎監督」「中原俊監督」「那須博之監督」「森田芳光監督」達も、「日活ロマンポルノ」出身だったと「今頃」思い知って、「反省」「懺悔」「償い」しかなかった。




「真実」は、評価されるべき崇高な「ピンク映画」が数多くあったから、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「美保純」「東てる美」「風祭ゆき」「白川和子」「亜湖」…………達が世に出たのだろう。また「金子修介監督」「崔洋一監督」「周防正行監督」「相米慎二監督」「滝田洋二郎監督」「中原俊監督」「那須博之監督」「森田芳光監督」…………達も世に出た。「ピンク映画」は作る人間の “本気” で「劇映画」に「豹変」してしまう。『愛の渦』への評価が、今一度「ピンク映画」の存在を問う「事件」のように感じた。



『愛の渦』が「凄かった」のは、「もしも乱交パーティーが実在したら?」という状況で、女子大生(門脇麦)とニート(池松壮亮)の感情が変化する「恋愛映画」だったから。フリーターに嫉妬し、女子大生を「好き」になってしまったニートに「感情移入」してしまった。




また「映画」でありながら「AV」に迫る「セックス映像」を “本気” で見せたこと。「全裸」を見せた恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「門脇麦」達の、「潔さ」に、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。魂を撃ち砕かれた。ビビッて大きい方を漏らすしかなかった。

[「門脇麦圧倒的悩殺限界全裸」「極限の美」]






「男は絶対見たくない」僕は、男の「全裸」が「大嫌い」。逆に女子は女の「全裸」が「大嫌い」なのだろうか?




男の「全裸」が「大嫌い」な僕は、男が「全裸」になっても、女の「全裸」「極限の美」を超えることなどできないと思ってる。僕にとって女の「全裸」は、「この世にもうこれ以上美しものはない」まで「崇高」な、「極限の美」の存在。男の「全裸」はここまで神々しく輝けない。




僕は「女優」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” は、「全裸」「極限の美」を「見せるべき」だと思ってる。「この世にもうこれ以上美しものはない」まで「崇高」な「極限の美」を、「生涯記録に残さないまま一生を終える」ことの、何という「もったいなさ」。男が「全裸」になっても超えることなどできない「極限の美」を、「生涯記録に残さないまま一生を終える」で「後悔」はないのか? 僕は見せなければ「もったいない」と思ってる。



僕は「全裸」「極限の美」を見せた恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 達に「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」、「崇拝」してきた。その「偉業」を心から「賞賛」する。「捨て身」で見せた、「門脇麦圧倒的悩殺限界全裸」「騎乗位」の「極限の美」は、映画史に刻まれるべき、「この世にもうこれ以上美しものはない」まで「崇高」な「極限の美」を見せた。僕は「門脇麦圧倒的悩殺限界全裸」「極限の美」を生涯忘れないだろう。

[「立てる姿」「よがる姿」]




人間は「セックス」なしに生きれない。どんな偉大な人間も絶対「セックス」する。男が「あそこ」を「立てる姿」。女が「よがる姿」。仮にもし自分が、「立てる姿」「よがる姿」を他人に見られたらどうなるだろう? 「AV」のように職業にしてる人間もいるが、殆どの人間は見られた「ショック」でかなりダメージを受けるはず。ダメージを受けるのは「立てる姿」「よがる姿」が、「恥ずかしい姿」である「思い込み」「先入観」のせいかもしれない。

[「絶対格好良くなれない」「恥ずかしい姿」]






人間はどんなに格好良いことしてもこの「恥ずかしい姿」から逃れられない。「PC」を発明した。「東大」に合格した。「金メダル」を獲った。いくら社会的「地位」「名誉」を手に入れても「恥ずかしい姿」から逃れられない以上、人間は「絶対格好良くなれない」。どんなに偉大なことをしても「絶対格好良くなれない」「哀れさ」「おかしさ」。「セックス」の本能に縛られてしか生きれない人間の「面白さ」を『愛の渦』に見た。

[「性欲に勝てない」「男」の極限のくそリアリズム]




僕は「乱交パーティー」の経験もないし実在するかもわからない。だが『愛の渦』は「もしも乱交パーティーが実在したら?」の「嘘」が、「本当にそう見える」極限のくそリアリズムに到達する。もしかしたら本当に「実在」するのかもしれない。




このニートは布団がなくてどうやって寝るのか? 生活できないほど苦しくても「性欲に勝てない」「男」の極限のくそリアリズム。女子大生、OL(三津谷葉子)、保育士(中村映里子)、常連(赤澤セリ)達「女」も、本当にそうなのか? フリーター、サラリーマン、童貞達「男」の、「感情」「行動」の「根源」が、「殆ど」「完全」に「セックス」の本能に縛られてる「事実」、「性欲に勝てない」ことが、「怒る」「笑う」ことの「根源」である「事実」を思い知る。「共感」せずにいられなかった。




画像 2020年 9月