浪士組&新撰組 勢力争い | 歴史の舞台に立つ!!

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歴史の舞台を時系列にてわかりやすく紹介していきます。

浪士組&新撰組 勢力争いについておさらいしてみましょう。


伝通院に集まった浪士は約230名。

もっとも清河八郎が企画したわけだから清河八郎が中心なのはあたりまえ。


清河八郎が尊王攘夷を打ち出し江戸に戻ることなり

清河に追随した約200名と近藤ら24名に分かれます。



もっとも当時は



残留者の取りまとめの責任者である殿内義雄。

根岸友山を中心としたグループ。

芹沢鴨を中心とした水戸グループ。

そして近藤勇を中心とした試衛館グループ。


といくつかの派閥がありました。


根岸友山を中心としたグループが離脱。

そして四条大橋で主導権争いの果て 斬殺された殿内義雄。


1863年6月の時点(浪士組が京都入りしてから4か月後)では

局長は近藤勇(試衛館)、芹沢鴨(水戸グループ)、新見錦(水戸グループ)

だったのですが

やんちゃが過ぎた 芹沢鴨、新見錦の粛清後  水戸グループは一掃され

近藤勇を中心とした試衛館グループが実権を握り組織化されていくのでした。



水戸グループの拠点だった八木邸は歴史の表舞台から姿を消し

新撰組屯所は前川邸(試衛館グループの拠点)のみにシフトすることになるのです。