朝鮮人の思想 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※文在寅はペクトー山に登って、顔を真っ赤にして「おお、ここが我々の聖地なのだ。ここで将軍様がお生まれになったのだ」と興奮してしまったのです。文在寅は、一人で自己暗示に入ってしまったのです。そのような話です。朝鮮人は何もないから主体思想をつくったのです。何もないから統一原理もつくったのです。

 

 

 「朝鮮人に思想はあるのか?」と言われたら、何もありません。朝鮮にあるのは、中国の思想です。それは儒教の思想です。思想などというものは朝鮮にはありません。  

 儒教で大事なことは、礼法です。儒教には仁義礼智信という教えがありますが、そんなことはどうでもよいのです。礼法だけやるのです。「年上の人がきたら、3回頭を下げる」などの礼法があります。人によっては12回頭を下げるなど、身分によって違います。儒教では、そのようなことを教えているのです。「そうすれは国が治まるだろう」というのです。王様が来た時には、30分間くらい頭を地面にこすりつけるのです。これは、儒教の教えです。  

 話は違いますが、顕正会の浅井昭衛が伏せ拝をやらせているのです。会長先生が来た場合は5分間、頭を下げ続けるのです。これは、儒教の教えです。  

 本当は、儒教は内容ですが、内容など学んでいません。内容とは、仁義礼智信です。「約束は裏切ってはならない」という教えがあります。儒教には礼法があり、それと同時に音楽もあります。儒教というと、孔子の教えだと思っていますが、音楽もあるのです。  

 「どのような儀式で、どのような音楽を使うのか?」ということです。「ドンチャン・ドンチャン」とドラを鳴らし、「ピー」と笛を鳴らすのです。楽法といって儒教の音楽です。「このような人が来た時には、このような音楽」と決まっているのです。そのような儀式です。  

 そのようなものは学ばせるのですが、朝鮮人は儒教の中身については受け入れなかったのです。ただ一つだけ、受け入れたものがあります。それは「親は大事だ」ということです。祖先は大事にしなければいけません。  

 それは大事にするだけで、朝鮮人は仁義礼智信のどれも学んでいません。それを学んだとしても中国の思想です。科挙の試験では、そのようなことを習うのです。習った人は、自分自身が入り込んでしまうのです。  

 朝鮮は自分たちで思想をつくる必要はなかったのです。小中華ですから、中国からみんなもってきて真似をすればよいのです。中国から見ると朝鮮王は冊封された第7番目の王です。だから、全く相手にされていないのです。  

 朝鮮王はみすぼらしい格好しかできないのです。皇帝の使者がくると、迎恩門(げいおんもん)を通るのです。この門は清代には朝鮮王が、「三跪九叩頭の礼」によって清の使者を迎えるために作られた門です。シナの皇帝は朝鮮になど絶対に来ませんから、皇帝の使者が来ると、1か月間飲んだり食べたりの接待をするのです。  

 それでご機嫌伺いをして、帰らせるのです。皇帝の使者が「朝鮮へ行くとよい待遇でした」と言うと、「よかよか」と言うのです。皇帝などは絶対に朝鮮に行きません。朝鮮は自分で何かをつくるという習慣がなかったのです。和歌も、文学も何もありません。

 日本には言霊思想(ことだましそう)があり、「言葉は神である」と考えているのです。考えてみると、言葉というものは、人間の頭に中にわいて、スーと出てくるのです。「この言葉は何処から出てくるのでしょうか?」というと、何処からか出てくるのです。  

 それは「神が現れた」ということです。言葉は大事です。言葉は神が現れてきたものですから、ウソなどをついていると、もう神は現れなくなってしまうのです。「神はお前の頭の中に生まれて出てくるのだから、真剣に耳を澄ませて聞かないと、お前には神様は何も与えないよ」と言われてしまうのです。  

 朝鮮人はウソつきです。朝鮮人は、言葉を信じていません。「言葉は神だ」という「言の葉の思想」がなければ、和歌も生まれないし、万葉集も生まれません。「何故、韓国に和歌がないのですか?」というと、韓国人は「昔はあったのだが、みんな壊したのだ」というのです。「誰が壊したのですか?」と聞くと、「秀吉が壊したのだ」と言うのです。ウソを言うものではありません。朝鮮にはもともと和歌などなかったのです。  

 朝鮮人は、「秀吉が朝鮮に関するものは、全て燃してしまったのだ」とウソをつくのです。ウソをついていると文化は生まれません。朝鮮人はお互いにウソをつきあっているのです。  

 言葉は神なのですから、大事な言葉を通して自分の中に神が現れてきてくれているのです。それを言葉にしたのが、言霊思想(ことだましそう)です。ウソつきの朝鮮人に神には現れません。  

 「言葉を使って考えましょう」というのが、思想です。朝鮮人にとって「言葉はだますもの」ですから、朝鮮人に思想はありません。北も南も同じです。彼らは「朝鮮人の思想をつくらなければいけない」ということは、わかったのです。  

 思想がないと国はまとまりません。中国の奴隷のままではダメなので、「何か思想をつくろう」と思って産まれたのが、統一教会の統一原理です。このような流れがあるのです。朝鮮人が変な宗教をつくったのではなくて、思想をつくったのです。  

 その統一原理とは何かというと、「文鮮明は神である。キリストが朝鮮に生まれたのだ」この第一条件をつければ、第二条件は「韓国は神の国である」となるのです。そうなると、「韓国は神の国であるから、何処の国よりも偉いのだ」というように、勝手なことが言えるのです。  

 何故、韓国にキリストが再臨したのかというと、「韓国はもっとも可哀想な民族だから、神様が憐れんでキリストが再臨されたのだ」という理論です。これもウソです。文鮮明の娘は「お父さんは詐欺師です」と言っています。  

 統一教会に洗脳された国会議員が自民党の中にも大勢います。一旦、統一原理に洗脳されると、「神の国は韓国だ」と思い込んでしまうのです。「神の国は韓国で、日本は悪魔の国だ。悪魔が神の国から収奪したのだ」と教えられるのです。  

 朝鮮人から何を奪ったと言うのでしょうか? 米も作れない、針もつくれない、車もつくれない連中です。本当は日本が財産を置いてあげてきたのです。それを逆手に取って朝鮮人は、「日本人が神の国からみんな奪ったのだ」と言うのです。統一教会は、これを日本人に刷り込んでいるのです。  

 「だから、日本は悪い国なのだ。日本を神の国にしなければいけない。神の国になるためには、文鮮明をキリストとして崇めなければいけない。日本が神の国になりたければ、朝鮮を拝め」と言うのです。それで信者は、「ネッ(はい)!」と言うのです。馬鹿なのです。それが韓国で生まれた思想です。韓国に思想はありません。  

 北朝鮮はどうかというと、北朝鮮も思想はありません。あるのは、檀君神話です。「熊と虎が人間になりたくて修行して、虎は断念して、熊が人間と交わってできたのが、朝鮮民族である」という神話です。ペクトー山神話です。  

 その話を作り上げたのです。それがチュチェ思想です。「朝鮮民族は思想がないから、我々は独自で主体を持たなければいけない」と考えたのです。日本のように天皇という主体がないから、「我々は何を主体にしたらよいのか?」と考えたのです。  

 そして、「そうだ、我が国を開国した抗日パルチザンだ」と考えたのです。「抗日パルチザンは日本から独立するために命を懸けて戦った人達だから、一番目覚めた人達である。この人達は神である」このように持ちあげたのです。  

 そこに金日成をはめ込んで「金日成は神なのだ。ペクトー山で日本軍と戦った金日成は神なのだ」と言ったのです。そこから作られたのが主体思想(チュチェ思想)です。革命の第一原理は、革命をやった人が一番偉いのです。その人の言うことを聞いていかなければいけません。それは主体性をもって朝鮮民族をまとめていくのだというのが、チュチェ思想です。  

 最初からチュチェ思想は、ウソなのです。何故かというと、金日成は抗日パルチザンではありません。実際は山賊のような奴らが逃げまくっていただけです。しかも、金日成のロシア名はユーラです。金日成はソ連の中にある朝鮮族の朝鮮軍の中尉だったのです。  

 北朝鮮は金日成を英雄に祭り上げて、チュチェ思想をつくりあげたのです。「朝鮮民族の主体はチュチェ思想なのだ」これに文在寅が酔ってしまったのです。「我々韓国には主体がない。金日成こそ、朝鮮民族の主体なのだ。我々はこれに合流しなければいけない。これが朝鮮民族の正義なのだ」と言ったのです。

 それで文在寅はペクトー山に登って、顔を真っ赤にして「おお、ここが我々の聖地なのだ。ここで将軍様がお生まれになったのだ」と興奮してしまったのです。文在寅は、一人で自己暗示に入ってしまったのです。そのような話です。朝鮮人は何もないから主体思想をつくったのです。何もないから統一原理もつくったのです。  

 朝鮮から日本にますますそのような思想が流れてきますが、みんなインチキ思想です。よく注意しないと毒されて、巻き込まれてしまいます。蓮池さんがそうです。相当熱心な信者ですから、今でも北朝鮮の洗脳が抜けていません。

 蓮池さんに「朝鮮の主体は何ですか?」と聞けば、「はい、金日成です。あそこに我々は合流していかなければいけないのだ。主体はお亡くなりになるが、ちゃんと子孫がいて、今は三代目の金正恩につながっているのだ。これこそが私の祖国です」と思っているのです。一旦、思想を入れられてしまうと抜けないのです。  

 そのような話です。朝鮮に思想はありません。朝鮮には思想がないから、つくられたインチキ思想です。日本のように事実からつくった思想ではありません。そのことを知っておく必要があります。

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

 

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137