朝鮮人、両班の呪い | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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両班は自分で歩いたりしません。不格好な一輪車に乗って領地を周るのです。重い物は絶対に持ちません。持つものは本とキセルくらいです。一切労働はしません。李氏朝鮮時代は、このような儒教文化です。

 

 今、ヒドイことになっています。韓国の文喜相国会議長が天皇陛下に「謝れ」と言った事件がありました。文喜相はあの後、セクハラをやったのです。セクハラで責められて病気になって入院してしまったのです。元罰てきめんです。  

 これは、「天皇に謝れ」と言った現罰です。何故、韓国からこんな変な人間が出てくるのでしょうか? 韓国は、「海上で自衛隊機が近づいてきたら、全て照射する」と言ったのです。もうレーダー照射をするのを当たり前にしてしまおうということです。それをやると宣言したのです。

  文在寅は、「日本は韓国の敵である」と明言したのです。散々、日本にお世話になりながら、ふざけた話です。日本政府の最大の間違いは、この汚らしい朝鮮を日本国に併合したことです。

 あれは大失敗です。100年のちまで言われてしまうのです。そこに原因があるのです。朝鮮のような汚らしい国を日本にして恥ずかしいと思わなかったのでしょうか? 日本人は間違っていたのです。「朝鮮人を教育すればよくなる」と思っていたのです。  

 それは朝堂院大覚先生も言っています。「日本は朝鮮人に多額のお金をかけて教育したのだから、元をとらなければいけない。そのためには韓国人に日本でもっと働いてもらってよいのだ」そのような考えです。  

 本当は、朝鮮人にさわってはいけなかったのです。アンタッチャブルです。朝鮮がソ連から苛められても、シナから苛められても、日本は「知らないよ。悪いけど手助けはできない」と言えばよかったのです。  

 福沢諭吉も「韓国に触れるな。近づいてはいけない」と言っているのですから、日韓併合などあり得ません。それをやってしまったのです。明治政府はどのようなわけで日韓併合をしてしまったのでしょうか?   

 当時、防衛上の問題があり、朝鮮半島は日本にとって大事な防衛線だったのです。そうでないと、いきなり中国がドドッと日本に攻め込んでくるのです。朝鮮半島を素通りして日本にやってくるのです。北にいるロシアもドドッと日本に降りてくるのです。すると朝鮮半島がロシアとシナのつっかえ棒になっているのです。それは戦後も言われています。

 朴 正煕大統領は、日本に「金を出してくれ」と言ったのです。「韓国は日本の防波堤になっています。韓国がなければいきなりロシアとシナが日本に攻めてきます。韓国を防波堤にして軍備を巨大にして核兵器を持とうと思っています。我々が核兵器を持てば日本を守ることになるのだから、お金を出してください」と言ったのです。  

 それで日韓基本条約は成立したのです。「わかった、いくら出せばよいのか?」と聞くと、「8憶ドル出してくれ」ということになったのです。朴 正煕は陸軍士官学校出身だから日本の財界をまわって歩いて「応援してくれ」と言ったのです。それで漢江の奇跡が起きたのです。  

 朴 正煕には、そのような意識があったのです。アメリカは「韓国が核兵器を持つだと? では、殺してしまえ」ということになり、朴 正煕はCIAのスパイに撃たれて死んだのです。不幸な人ですが、本当は親日です。日本が大好きだったのです。  

 日本から比べてみたら、「韓国はどうしようもない国だ」とわかっていたのです。「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」—(朴正煕選集2 国家・民族・私 p.238と言っているのです。  

 日韓併合した時に恨みをもっていた連中がいたのです。それが両班です。朝鮮の身分制度を見ると王族の下に両班・中人・常人・賤民という階級があったのです。賤民の中で一番身分が低いのが白丁です。白丁は人間以下の扱いを受けていたのです。  

 両班は世襲制ではありません。一度限りです。そのために試験に合格しなければいけません。これは中国の科挙を真似しているのです。試験に受かると両班として絶大な権力を握ったのです。

 両班は武官ではないので、兵役の義務がありません。両班を侍だと言うのは、全くの間違いです。両班は刀をもっていません。武官と文官を比べると「文官のほうが偉い」という考えです。  「武人など人殺しをするのだから、野蛮だ」と言うのです。この両方の権力をもっていて、自分は武器をとらないというのが両班です。中人・常人・賤民を含めて全て両班の自由です。王様から「この区域をお前にやる」と言われたら、全て両班のものです。  

 その縄張りの範囲内で両班は何をやっても自由です。娘がいればかっぱらってもよいし、作物が穫れたらかっぱらっていくのです。両班は何かというと、ドロボウです。威張っていて、「おい、それを持って来い」と言うのです。  

 両班は自分で歩いたりしません。不格好な一輪車に乗って領地を周るのです。重い物は絶対に持ちません。持つものは本とキセルくらいです。一切労働はしません。李氏朝鮮時代は、このような儒教文化です。  

 明治政府は、日韓併合の時に両班に困ったのです。李王朝は皇族にすることに決まったのです。両班の連中は「世襲ではない」と言いながら、実際は世襲です。絶大な権力を他人にとられたくありません。両班の試験に身代わりの奴を受けさせて、両班の試験に合格します。結局は世襲になっている両班が大勢いたのです。  

 その主な連中を72人選んで日本の公侯伯子男にしたのです。後の両班はなくしたのです。明治政府は日本の武士もなくしたのですから、「両班を廃止する」と言って、両班をなくしたのです。この両班の恨みというものが、凄まじいのです。

 武士もそうです。刀をもって威張っていたのが、「刀を差してはいけない。丁髷を切れ。これからお前達は侍ではない」と言われたら怒ってしまいます。士族という名前は与えたのですが、実際は何の権限もありません。武士は怒っていたのです。金はない、名誉はない、士族という名前だけ残っていたのです。「岡山県士族」という名前だけ残っていたのです。それでは納得しません。名前だけ残っていても、待遇は平民と同じです。これを武士は怒ったのです。

 それが佐賀の乱、神風連の乱、西郷隆盛の西南戦争です。この底流は士族の流れです。これは、朝鮮でも同じです。明治政府は両班を無くしてしまったのです。あの恨み深い民族が、誇り高い両班の身分を取られたのです。

 そして朝鮮では「今時奴隷などいないのだから、奴隷を解放しろ」と言って解放してしまったのです。両班は全く普通の人と同じ扱いをされたのです。「この両班を無くされた恨みは千年も忘れない」ということです。今でも元両班の連中は日本に対して恨みをもっているのです。

 朝鮮半島は、百済の出身なのか、新羅の出身なのか、高句麗の出身なのかで、差別があるのです。民族的に全て違うのです。百済は全羅道と言って馬鹿にされたのです。新羅が統治した時期があるのです。その前は高句麗が統治したのですから、高句麗が一番偉くて、新羅、次に百済と決まっているのです。  

 金大中が出てきた時には、「これは両班の出身ではなく、全羅道だ」と、馬鹿にされたのです。奴隷は全てなくされてしまい、両班は普通の常人扱いになったのです。この恨みはずっと続くのです。日本に対する独立運動とは、両班の恨みです。これは両班の呪いなのです。この呪いをずっと日本にかけてきたのです。  

 両班は「日韓併合しやがって、ふざけるな。俺たちは納得していないぞ」ということです。それが旧両班です。李承晩大統領も、伊藤博文を暗殺した安重根も両班です。両班の恨みは根深いのです。庶民は奴隷だったのですから、奴隷から解放されて喜んでいるのです。白丁は学校に行けなかったのです。それを日本が学校に行かせてくれたのですから、庶民は喜んだのです。  

 朴 正煕大統領は白丁の出身です。一番虐げられた白丁の出身ですから、日本を理解して内心は「有難いな」と思っていたのです。ところが韓国の国内で元両班が仲間をつくったのです。「俺たちは朝鮮民族だ」と言うのは、本当は両班のことを言っているのです。

 本当は朝鮮民族などありません。ないけれども、「朝鮮民族が日本人に虐げられている。こんなことが許されるのか」と言ったのです。

 それで、抗日パルチザンの連中が抵抗運動をしたのです。その歴史はあったのです。両班の抵抗運動の流れが金日成です。ソ連も絡んでいます。両班が抵抗運動をやったのです。それを知らなければ韓国のことはわかりません。朝鮮は一つではありません。これを両班の呪いというのです。

 

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