国際法から集団的自衛権・安保関連法案を考える | なか2656のブログ

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ある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

1.はじめに


参議院で安保関連法案の審議が行われるなか、先般は国会前でデモを行っている大学生らのSEALDsをツイッター上で「利己的」と批判するなどして、自民党の武藤貴也衆議院議員(現在離党)が「炎上」しました。

その武藤議員は、別のツイートで、わが国が集団的自衛権を行使できる根拠として、「国連憲章により集団的自衛権は自然権であるから」という趣旨の投稿をしていました。

わが国の圧倒的多数の憲法学者や元最高裁判事、元内閣法制局長官などが安保関連法案は違憲と表明するなか、安倍政権、自民党・公明党はこのような国連憲章国際法にすがり、安保関連法案を正当化しようとしているようにみえます。

そこで、簡単ながら、国際法のこの部分についてみてみたいと思います。

2.「自衛」概念の歴史的変遷
国際法上、古代ローマのキケロから中世ヨーロッパのグロティウス(17世紀)などまで、自然法上の国家の自己保存の権利として、また、制裁戦争とともに正しい原因に基づく戦争の内容を構成する“正しい戦争”として自衛権は説かれてきました(正戦論)。

しかし、19世紀となり、戦争は交戦国の双方ともに自国側が正しいと信じるのが普通であり、いずれか一方を正しいとすることはできないとする理由づけの相対化と、超国家的判定者の不在(=イギリスの衰退)により、あらゆる戦争を事実上合法とみなさざるを得なくなり、正戦論は退けられることになりました。

また、この時代は、すべての戦争が適法の推定を受けるようになったため、特定の武力行使を「自衛」として特別に正当化する必要性もなくなりました。

ところがその後、20世紀における世界大戦の惨禍などを経て、戦争は原則として禁止され、例外として再び「自衛権」が登場する時代の流れとなってゆきます。

ポーター条約(1907年)、ブライアン条約(1914年)、国際連盟規約(1919年)などを経て、侵略戦争を禁止する不戦条約が1928年に成立しました。

この不戦条約を受けて、自衛権とは、一国が他国の国際法上違法かつ急迫した侵害行為に対して緊急の必要からやむを得ず行う国家の基本的権利であって、緊急性があり、侵害の程度との均衡を失しないものであれば違法性が阻却されると整理されるようになりました(=「従来の自衛権」)。(島田往夫『国際法[全訂補正版]』242頁、野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ[第5版]』168頁)

そして第二次大戦後の1945年国連憲章は、武力不行使義務を原則とし、その例外として憲章7章の国連の措置などを規定する構成を取ることとなりました。

国連憲章の前文の冒頭は、つぎのように国連の理念を規定しました。

国連憲章 前文(冒頭部分)

『われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救(うことを確認した)』


さらに国連憲章2条4項はつぎのように規定し、武力不行使義務が原則であるとしました。

国連憲章2条4項

『すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。』


ただし、武力不行使義務の例外として、①国連憲章51条の自衛権、②憲章7章の強制措置などが規定しました。

そしてその後も、1970年には友好関係宣言などが出され、1986年には国際司法裁判所で集団的自衛権が争点となったニカラグア事件裁判(後述)において、裁判所は「アメリカは国際慣習法の武力不行使原則に基づく義務に違反して行動した」と判示するなど、武力不行使原則は国際法の成文法だけでなく、国際慣習法になりつつあります。(島田・前掲246頁)

3.国連憲章以降の自衛権
(1)集団的自衛権は国連憲章ではじめて登場した
国連憲章上、たとえばNATOなどのような地域的機構が強制行動(相互援助義務の履行)をとるには事前に安全保障理事会の許可が必要(53条)とされますが、常任理事国が拒否権を発動した場合、これが不可能となります。

そこで米州諸国の強い要請により、安保理の事前の許可なしに発動できる権利が作られました。これが集団的自衛権であり、集団的自衛権を国連憲章に盛り込むために、第51条の条文が作られました。

そして国際法の教科書上、集団的自衛権とは「自国と連帯関係にある国への攻撃を自国に対する攻撃とみなしこれに反撃できる権利」と定義されています。(島田・前掲250頁)

(2)「固有の権利」の意味
国連憲章51条の条文はつぎのように規定します。

国連憲章51条

『この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。』


ここで、条文に「個別的又は集団的自衛の固有の権利」と規定されているところ、「固有の権利」の意味が問題となります。

固有の」の文言を重視して、ここで規定された自衛権は伝統的な「従来の自衛権」に制限されず、したがって、武力攻撃よりレベルの低い侵害への行使も可能であり、また、在外自国民保護のための発動なども可能であるとする説もあるようです。

また、「固有の」の文言に注目して、集団的自衛権は「自然法上の権利」であるとする説もあるようです。

しかしこれらの主張には多くの国家や学説が反対しています。

つまり、うえでみたように、国連憲章51条はあくまでもNATOなどの地域的機構が強制行動を行う際に、常任理事国の拒否権をすり抜けるために、集団的自衛権という新しい概念を作り、条文化したという歴史的経緯のものです。

そのため、集団的自衛権は個別的自衛権と違って、「国家の基本権」とはいいがたいとされています。また、「固有の」は「自然法上の権利」という意味でもないと解されています。(松井芳郎・佐分晴夫・坂元茂樹など『有斐閣Sシリーズ国際法[第5版]』293頁、松田幹夫『演習ノート国際関係法[公法系]』38頁)

なおこの点、「固有の権利」は、うえでみた不戦条約の際の「従来の自衛権」を指しているという見解もあるようです。つまり、ここに個別的および集団的自衛権の要件である「緊急性と均衡性」が規定されているとする説です。(島田・前掲249頁)

このように国際法の複数の教科書をみてみると、冒頭であげた元自民党の武藤議員や、安倍政権の解釈改憲を合憲として支持する西修教授のように、国連憲章51条の「固有の権利」の文言を根拠として、集団的自衛権を国家の自然法上の権利や基本権とする考え方は、国際法の分野においても少数説のようです。

また、国家の自然法上の権利や基本権とする考え方は、国際法における「自衛権」概念の19世紀以降の歴史的経緯からも妥当ではないと思われます。

(3)集団的自衛権の法的性質
集団的自衛権の法的性質(何のためにあるか)については、学説は大きく、①他国援助説②自国防衛説、のふたつに分かれており、従来は自国防衛説が有力であったようです。

しかし、この点は国際司法裁判所におけるニカラグア事件の判決において、他国援助説が相当との判断が示され、その後、多くの国家や学説がそれにならうようになったとされています。(小寺彰・岩沢雄司・森田章夫『講義国際法[第2版]』497頁)

(4)ニカラグア事件(国際司法裁判所 ニカラグア対アメリカ 本案判決1986年6月27年・森肇志「ニカラグア事件」杉原高嶺・酒井啓亘『国際法基本判例50[第2版]』166頁)
①事実の概要
ニカラグア事件とは、エルサルバドルにおける反政府ゲリラをニカラグアが軍事的に支援したところ、1981年以降アメリカがエルサルバドルを助けるとして集団的自衛権の行使を名目に、ニカラグアの反政府組織コントラに対する援助やニカラグアに対する武力攻撃などを行ったものです。

ニカラグアは1984年に国際司法裁判所に提訴し、アメリカからの強い抵抗があったものの、1986年に本案判決が出されました。

②判旨
判決はまず、武力攻撃に対しては個別的・集団的自衛権の行使が許されるが、それに至らない武力行使に対しては被害国自身の均衡ある対抗措置のみが許されるとしました。

また、うえでふれたとおり、集団的自衛権の法的性質について、他国援助説をとりました。

そして、歴史的に「自衛権」がしばしば侵略戦争の口実に使われてきたところ、本判決は、集団的自衛権の行使につき、「被害国自身による宣言および要請が要件」であるという歯止めをかけています。

さらに、うえでもふれたとおり、判決は「アメリカは国際慣習法の武力不行使原則に基づく義務に違反して行動した」とも述べています。

このように判示して、国際司法裁判所はニカラグア側の勝訴としました。

4.再び安保関連法案を考える
(1)「権利」としての国連憲章51条
このように国際法における自衛権を若干みてきました。

うえでみたように、安保関連法案に賛成する論者は国連憲章をしばしば援用します。

しかし、国連憲章の前文の冒頭部分や2条4項にみられるように、国連憲章の原則は武力不行使であり、第51条や7章などは例外となっています。

そして、国連憲章51条の条文をみると、「集団的自衛…固有の権利」と規定されており、集団的自衛権はあくまでも加盟国の権利となっています。

あくまでも「権利」であって、個々の加盟国にそれを義務付けるものではないのですから、その権利を行使するか否かは個々の加盟国の判断に委ねられます。わが国は最高法規たる憲法(憲法98条1項)において、自衛権に一定の歯止めをかけるという判断を行っています。

憲法96条に基づく憲法改正を行って、その歯止めをなくして集団的自衛権を行使できるようにするのならわかりますが、西修教授などのように、国連憲章51条があることをもって内閣が解釈改憲を行うことが可能というのはあまりにも理論の跳躍があります。

(2)安保関連法案は「自衛」なのか「他衛」なのか
また、うえでみた国際司法裁判所のニカラグア事件判決は、集団的自衛権の法的性質について他国援助説をとり、現在の世界の国際法の学説もそれにならうようです。

この点、政府・与党は今回国会に提出している安保関連法案は、「フルセットの集団的自衛権」ではなく「限定された集団的自衛権」だから、従来からの政府の公式見解である、憲法9条2項に抵触しない、必要最小限度の個別的自衛権の範囲内だと説明しています。

しかし国際司法裁判所の判決も、安倍政権が頼みとする国際法においても集団的自衛権の法的性質は「他国援助」だと世界的に理解されているのですから、集団的自衛は「他衛」なのであり、従来からの個別的自衛権の範囲内に含まれるという説明はあまりにも無理でしょう。

この点については、本年6月4日の衆議院憲法審査会の参考人招致において、公明党の北側一雄副代表が「9条でどこまで自衛の措置が許されるか、憲法解釈を変更した昨年7月の閣議決定に至るまで突き詰めて議論した」と主張したそうですが、長谷部恭男教授に「『他衛』まで憲法が認めているという議論を支えるのは難しい」と一蹴されたそうです。長谷部教授のご発言は、憲法だけでなく、国際法も念頭にあったものと思われます。

(3)集団的自衛権の新3要件について
さらにこの点、昨年7月1日に、安倍政権は集団的自衛権の解釈改憲の閣議決定を行いました。そしてわが国の自衛権の発動の要件を大きく変えました。

現在の自衛権の3要件はつぎのとおりです。

現在の自衛権の3要件

①わが国に対する急迫不正の侵害があること
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと


新しい3要件はつぎのとおりです。

新しい3要件

①(ⅰ)わが国に対する武力攻撃が発生したこと、(ⅱ)またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、(ⅲ)これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

・憲法と自衛権|防衛省

うえの国際司法裁判所のニカラグア事件判決で確認したとおり、国際法上の判例・通説は他国援助説です。

他国援助説からは(ⅱ)は親和的な要件です。また、(ⅰ)は個別的自衛権であるので、現在の要件の①に近い要件と思われます。

しかし、(ⅲ)はあまりにも漠然とした幅広な要件であるように思われます。

個人的には、「新しい人権」の根拠として、ある意味“ドラえもんのポケット”である憲法13条の幸福追求権というマジックワードを、必要最小限であるべき自衛権の発動の要件の一部分にいれることに違和感を持ちます。ときの政権がこの部分を何とでも解釈して自衛権を発動してしまう懸念があります。

(4)アメリカ軍の「二軍」
さらに、繰り返しになりますが、うえで集団的自衛権の定義や、その法的性質をみたように、集団的自衛権はあくまでも他国を守るものです。

安倍政権の念頭にあるのはもちろんアメリカです。“パックス・アメリカーナ”という呼ばれ方がされるように、アメリカが関係している地域は世界中にあります。また、アメリカは軍事力のリ・バランスを行おうとしています。

そのようななかわが国が安保関連法案を成立させることは、小林節名誉教授がおっしゃるとおり、わが国の自衛隊をアメリカ軍の“二軍”あるいは“弾除け”がわりにさせてしまうことではないでしょうか。それがわが国やわが国の国民のためになるとは思えません。

(5)口実としての集団的自衛権
加えて、戦後できた集団的自衛権は、うえでみたニカラグア事件のように、アメリカなどの一握りの軍事大国により「濫用」されてきた事例がほとんどです。安保関連法案を成立させることは、日本がアメリカの、集団的自衛権を口実とした侵略戦争に加担することになるリスクがあります。

また、現在、アメリカは「テロとの戦争」を行っており、そのような戦争においては、戦場の区切りがなくなり、戦場が世界規模となりつつあります。そのような戦争に日本が集団的自衛権により参加するということは、日本国内もが戦場となるリスクがあります。

安倍総理や閣僚はしばしば国会で「抑止力が高まる」「法律成立により、より戦争の危険が減る」と発言しますが、むしろ逆ではないでしょうか。

この点、集団的自衛権は国際法の教科書においてつぎのように批判されています。

『集団的自衛権は拒否権の行使により安保理が機能しないことが想定されており、共同武力行使が要件を満たしているかどうかはチェックされず、国連の集団的措置によってとって代わられることもない。

結局、集団的自衛権は、常任理事国たる軍事大国が自らは武力攻撃を受けていないにもかかわらず、同盟国や友好国などを支援する名目で、安保理の統制を受けることなく武力行使を可能とするものである。

このような集団的自衛権という権利を認めることは、武力行使をできるだけ制限しようとしてきた国際連盟以来の努力に逆行するものである。』(松井芳郎・佐分晴夫・坂元茂樹など『有斐閣Sシリーズ国際法[第5版]』296頁)


この「有斐閣Sシリーズ」は、「有斐閣叢書」や「有斐閣アルマ」シリーズなどの教科書のシリーズとならんで、それぞれの法分野のスタンダードな教科書集です。分担して共著している先生方が、できるだけ自説を抑え、判例・通説を解説しているものです。

憲法より国際法にすがろうとしている安倍政権の人々に、ぜひこれらの国際法の教科書を一読してもらいたいものです。

なお、『有斐閣Sシリーズ国際法[第5版]』の最後の「結び」の終盤の部分はつぎのようになっています。

『私たちが国際法を創る力、護る力を発揮するためには、さまざまな道筋がある。(略)

しかし、現在の国際関係における主要な行為体がなお国家であることを考えるならば、最も重要な課題は私たちの住む国日本が、国際法を創る力、護る力となることができるように努力することだと思われる。

このことは、第二次大戦に至るアジア諸国への侵略の深刻な反省に基礎をおく平和憲法を有する国日本の市民としての私たちが、世界に対して負っている重要な責務だと言わねばならない。

そしてこのような責務は、現代国際法と日本の平和憲法がともに深刻な危機に遭遇しつつある現在、ますますその重要性を増している。(後略)』
『有斐閣Sシリーズ国際法[第5版]』335頁


■参考文献
・島田往夫『国際法[全訂補正版]』242頁、246頁、250頁
・松井芳郎・佐分晴夫・坂元茂樹など『有斐閣Sシリーズ国際法[第5版]』293頁、296頁
・小寺彰・岩沢雄司・森田章夫『講義国際法[第2版]』497頁
・森肇志「ニカラグア事件」杉原高嶺・酒井啓亘『国際法基本判例50[第2版]』166頁
・中谷和弘・植木俊哉・森田章夫など『有斐閣アルマ国際法[第2版]』330頁
・杉田幹夫『演習ノート国際関係法[公法系]』38頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ[第5版]』168頁

■参照・過去のブログ記事
・【安保法案】砂川事件/違憲の指摘に対し政府が反論の見解を発表

・安保法案に対し那須弘平・濱田邦夫元最高裁判事らが違憲と表明/安倍総理がニコ動に降臨

・安倍政権の憲法上のクーデターに対して日本国民が闘っている|英インデペンデント紙

・安保法制に対して憲法審査会で学者3名が「違憲」と明言/国民安保法制懇が声明


国際法 全訂補正版 (法律学講義シリーズ)



国際法 第5版 (有斐閣Sシリーズ)



講義国際法 第2版



国際法基本判例50 第2版



国際法 第2版 (有斐閣アルマ)



演習ノート 国際関係法「公法系」



憲法1 第5版



検証・安保法案 -- どこが憲法違反か



現代思想 2015年10月臨時増刊号 総特集◎安保法案を問う



白熱講義! 集団的自衛権 (ベスト新書)



集団的自衛権はなぜ違憲なのか (犀の教室)





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