新日本のタッグリーグ戦じゃない年末シリーズ | ミスター・プロレス・アワー

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全日本プロレスは、体制や運営母体が変わっても頑なに「世界最強タッグ決定リーグ戦」を年末に開催しています。

正直、近年は昔に比べたら、その名にそぐわぬ状態になっているとは思いますが、1977年の「世界オープンタッグ選手権」から数えて41年連続で開催しているというのはたいしたものです。

 

元々、年末のシリーズとタッグリーグ戦は客が入らないと言われてたそうで。

それを覆したのが、全日本の世界最強タッグ。

日本のプロレスの常識を変えた大ヒットコンテンツなんですよね。

 

新日本も全日本の後を追うように、3年遅れて1980年の年末より、MSGタッグリーグ戦を開催。

5年ほど続いたあと、WWFとの契約が切れたのを機に、1985年は「IWGPタッグ・リーグ戦」に名称変更して開催。

1986年と1987年は、「ジャパンカップ杯争奪タッグリーグ戦」として開催しました。

 

名称が変わるのに比例して、リーグ戦のテーマやコンセプトも変わってましたよね。

MSGタッグリーグはプロレスの殿堂MSGのイメージを利用し、WWFとの関係の強さを強調したもの。

第一回は猪木さんとバックランドが夢の帝王コンビを結成して出場してますしアンドレやホーガンが常連出場選手でした。

 

IWGPタッグリーグは当時選手層が薄くなってはいたものの、初代のIWGPタッグ王者を決めるリーグ戦。

出場メンバーは冬の時代と言われた当時では一応ベストな面々ではありましたね。

優勝決定戦の日にひと悶着ありましたけど(汗)

 

ジャパンカップ争奪タッグリーグは出場チームをファン投票で決めるって方式でした。

ここで迷いが露わに……

 

というか、新日本は全日本ほどタッグマッチを重要視してないんだなと痛感しました。

 

新日本と全日本の違いは何かと言ったら、猪木と馬場、そしてタッグマッチの重用の違いだと思うんですよ。

全日本はシングルマッチも当然大切にしますが、団体の歴史のターニングポイントでタッグマッチが重要な意味持ったりしてますよね。

ファンクスという絶対的なコンビが日本人サイド以上にエースだった時期もありますし、ジャンボ鶴田は凱旋帰国直後そのファンクスと戦ってブレイク。

馬場&鶴田の師弟コンビと韓国師弟コンビの抗争が核になっていた時代もあったし、ブッチャー&シーク組も大きな役割を果たしましたし、ブロディ&ハンセンという歴史に残る最強コンビがリングを席巻したりもしました。

タッグ・タイトルも興行の重要に扱っていましたし、ジャイアント馬場はタッグマッチを非常に大切にしていたと感じます。

 

一方新日本は旗揚げ翌年の猪木&坂口vsテーズ&ゴッチの「最強タッグ戦」などがありますが、歴史で重要なのはシングル・マッチが多いですよね。

 

タッグ・タイトルは初期に北米タッグを持ち込んだりしてましたが、大エースである猪木さんはタイトル戦線から早々と勇退。

猪木さんのパートナーだった坂口征二はストロング小林や長州力と組んでタイトル争いを繰り広げました。

 

猪木さんの中には、「やっぱりプロレスはタッグよりシングルが見せ所」という考えがあったのかもしれません。

 

タッグリーグ戦も全日本に比べると雑な扱いになってたとも言えます。

まず参加チームがコロコロ変わってました。

昭和の時代2年連続で出場したチームは思い出せますが、3年連続で出場したチームはいないんじゃないすかね??

 

ジャパン・カップ争奪リーグでのファン投票で参加チームをエントリーという方式も、「タッグリーグはあくまでもお祭り」みたいな意識があったからのように感じます。

 

1987年のジャパンカップ争奪タッグリーグ開催をもって新日本の年末タッグリーグ戦は一旦休止。

 

翌1988年は、ジャパンカップ争奪イリミネーションタッグリーグ戦に。

3人チームのイリミネーションマッチのリーグ戦。

こらまた奇抜なアイデア(汗)

 

出場チームは、猪木&長州&星野、藤波&橋本&蝶野、マードック&オートン&S・ホール、坂口&マサ&後藤達俊、G高野&スマザース&S・アームストロング、越中&小林&ヒロ斎藤、

そして、SSマシン&ザ・ジャガー&ザ・タイガー(笑)

あとほかに出てたチームありましたっけ??

 

猪木さんと長州を組ませることに大きな意味があったんでしょうが、それにしても必然性が薄い急造チームばかり(汗)

笹崎と大矢を変身させたザ・ジャガーとザ・タイガーとかもう。

 

藤波と橋本と蝶野が組んでるのが「?」でした。

この年の夏の有明コロシアムで、武藤&橋本&蝶野の「闘魂三銃士」が揃い踏み、藤波と激しくやり合ったですよね。

若い三人の下克上って感じでワクワクしたものです。

武藤がスケジュールの都合でこのリーグ戦に参加できなかったんでしょうが、橋本と蝶野がやり合った藤波と組んじゃって何かもったいないなと思いました。

まあ藤波と組むからこそ優勝決定戦に進むむ説得力があったんでしょうけども。

 

優勝は、猪木&長州&星野組。

 

「タッグリーグ戦は客が入らない」と前述してますが、これって日本プロレスのNWAタッグリーグの失敗に由来してるんですよね。

猪木さんが星野さんやビッグサカと組んで優勝してますがこのシリーズコケたらしく。

 

当時の日本プロレスは日本テレビとNET(テレビ朝日)の二局中継時代。

馬場さんは契約でNETの中継には出られなかったので、NET中継のエースだった猪木さんを主役にしたシリーズを作る必要があり開催したのがNWAタッグリーグ。

馬場さんと猪木さんのBI砲はNETでは流せないので、猪木さんと星野さんやビッグサカと組ませたわけですが興行成績はイマイチ。

これが「タッグリーグ戦は客が入らない」の定説となった要因です。

 

そんなNWAタッグリーグの第1回に優勝した猪木さんと星野さんが、十数年の時を経てイリミネーションタッグリーグで再び優勝を飾るとは。

 

 

平成元年の新日本の年末シリーズは、シングルのリーグ戦、その名も「ワールドカップ争奪リーグ戦」を開催。

この年からソ連のレッドブル軍団が参戦し国別対抗をやたらに煽ったりしてたので、その総決算みたいな意味で開催したんでしょう。

ソ連のレッドブル軍団は参戦当初こそ衝撃的でしたが、時間を重ねると尻つぼみになっていきましたので国別対抗というコンセプトもインパクトに欠けるものになりました。

このワールドカップ争奪リーグ戦の優勝決定戦は長州vs橋本という「世代抗争」のカードとなり、国別対抗というコンセプトとかけ離れたものに。

 

その後新日本はSGタッグリーグでタッグリーグ戦を復活。

SGタッグリーグは当初秋の開催でしたよね?

優勝が藤波&ベイダー組という急造タッグだったりして、なんちゅうかやっぱしタッグリーグはそんなに重要視してないのかななんて思ったりしました。

 

SGタッグリーグは、マシンこと平田が「しょっぱい試合ですいません」と発したのが印象的です。

 

新日本の興行の核は1・4になってから数年は、直前の年末シリーズ前哨戦みたいな意味合いになることが続きました。

 

SGタッグリーグは、G1タッグリーグと名称変え、現在はワールド・タッグリーグとさらに名称を変え現在も継続開催中。

開催時期は年末に戻りました。

 

1・4直前だから、どうしても注目度は下がってしまうんですが、今後も続けてほしいものです。

今の新日本は個性的なタッグチームが多数いるんですが、ビッグマッチだと3WAYとかなることが多くて、もったいないなと思うことあります。

そういうときこそシビアなタッグリーグで優勝争いさせてタッグ戦線を盛り上げるべきと思うんだけどな。