太陽の帝国(1987年) | akaneの鑑賞記録

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『太陽の帝国』は、イギリスの小説家J・G・バラードの体験をつづった半自伝的な長編小説。スティーヴン・スピルバーグによって映画化され、1987年に公開された。


日中戦争中の上海。イギリス租界で生まれ育ったイギリス人少年ジェイミー(クリスチャン・ベイル)は、日本の零戦に憧れる少年。

だが、1941年12月にマレー作戦を皮切りに日英間で開戦し日本軍が上海のイギリス租界を制圧した際に、避難民の大混乱のなか両親とはぐれる。

独りぼっちになった少年は中国人少年に追い回されるが、不良アメリカ人のベイシーに救われる。
生き抜くために空き巣・泥棒などの悪事を重ねるが日本軍に捕らえられ捕虜収容所、そして蘇州の収容所へ送られる。

飢えと病気、戦争の恐怖で死や絶望に囲まれ庇護もなく淡々と成育していくジェイミーだが、しだいに収容所の人々との交流の中に生きる知恵と希望を見出していく。

一人の無邪気な少年が戦争のもたらす現実に翻弄されながらも、必死に生き抜こうとする姿をありありと描写する。
 

 

 

 

 


実は

 

スピルバーグ   

太陽の帝国

というキーワードで、なんとなくSF映画かと思っていましたが全く違いました。

 

 


戦争をテーマにしたスピルバーグの作品は 『プライベート・ライアン』『シンドラーのリスト』などもありますが、この作品は、戦争そのものを描くことはしません。
国同士の駆け引きや司令官、実戦する部隊や兵士、悲惨な戦地の様子もほとんど出てこないのです。
あくまでも突然一人ぼっちで投げ出されてしまった少年の目を通しての戦争描写であり、少年がアイデンティティを喪失しながらもたくましく成長していく姿にフォーカスしています。




上海。イギリス租界で生まれ育ったジェイミーは、英国本土を知りません。

 

 

大勢の中国人使用人に囲まれ、両親と3人、贅沢に暮らしています。
戦争真っただ中というのに、クリスマスには一家で仮装してパーティに参加するほど浮世離れしていました。

 

しかしいよいよ身の危険を感じ、上海の港から脱出しようとしますが、時すでに遅く、日本軍が怒濤の如く市街に進攻してきました。

砲弾、銃声の飛び交う中、逃げ惑う人々の波に押され、ジムは両親と離ればなれになってしまいます。
仕方なく1人自宅に戻りますが、そこで見たのは、かつての使用人が調度品を運び出す姿。
「何をしてるの!」と咎めたジェイミーは、平手打ちを食らいます。
唖然とするジェイミー。彼のアイデンティティが崩れる第1歩でした。

 

 

 

 


近所の家に忍び込んで食料を漁ったりしていましたが、とうとう食べ物がなくなり、市中へ。
中国人少年に身ぐるみはがされそうになったとき、助けてくれたのは、アメリカ人のベイシーでした。
アジトに連れ帰って、ジェイミーの身の上を聞いたベイシーは、「お前の名前は今日からジムだ」と言います。
「千と千尋の神隠し」みたいですね。

ここでジェイミーとしてのアイデンティティを失ったといえるでしょう。

 

 

ベイシーは食事を与えベッドで眠らせてくれましたが、彼を助けたわけではありません。
翌日、ジムを中国人に売りに行きますが、痩せこけた少年など誰も買い手がつきません。
「こいつは役に立たない」と見限ったベイシーに捨てられると思ったジムは、「僕の家の周りはお金持ちばかりなんだ!金目のものも一杯あるよ!案内するから!」と必死で食い下がります。

 

 


しかし、すでに自宅は日本軍に占領されており、日本兵に見つかったベイシーは袋叩き。
ジム共々、上海の収容所に送られます。

そこには大勢の欧米人が悲惨な暮らしを強いられていました。

 

 

 

 

 

怪我を負ったベイシーに代わり、いかに食料をうまく調達するかなどを仕込まれるジム。
ベイシーは友達であり、彼がいないと一人ではとても生きていけないと思っていたのに、元気で働ける人間を蘇州の収容所へ移動させる際、ベイシーはちゃっかり1人だけトラックに乗り込み、ジムが「僕も連れて行って!」とどれだけ叫んでも無視。

 

 

ジムは、日本兵に「蘇州に行くなら僕が案内する!僕は道に詳しいんだ!」と必死でアピールしてトラックに乗り込みます。

 

 

 

「道が違うよ!そこを左に曲がるんだ!」とかギャーギャー喋りまくり、運転手に「うるせえガキだな!ちょっとは黙ってろ!」と叩かれるのですが、その運転手は山田隆夫です!

 

 

 

いや~笑点の座布団運んでた山田君が、クリスチャン・ベイルをはたいていたとは…
 

 

 

 


蘇州の収容所に移ってからも、ベイシーはすぐに頭角を現してコミュニティーのボスに。
その下で、ジムは色々物を調達したり物々交換をしたり、生き生きと走り回ります。
すっかりアメリカナイズされ、次々といろんな知恵をつけ、いっぱしになっていくジム。

 

 

 


この収容所は基地に併設されていたため、たくさんの零戦も待機していました。
夢にまで見た憧れの飛行機に初めて触れるジム。

このシーンがポスターになっています。

実際には、捕虜の子供がこんなことをしたら許されませんが、ジムの純粋な心が日本兵にも伝わって、お互いに敬礼をするシーンが印象的です。

 

 

 

 


別れの杯を酌み交わし、零戦パイロットが飛び立っていきます。

 

 

 

 

 

飛び立っていく兵士に敬礼するジム。

 

 

イギリス式だから、手のひらを外に向けるのですね。

(ロジャーもこうやって敬礼します)
 

 


子供には敵味方や政治的ポリシーなど関係ありません。
その日、その日を生き抜いていくことだけが精一杯。
憧れているもの、畏怖の念を感じるものには、素直に敬意を表します。

 

 

 

 


しかしとうとう、蘇州の収容所もアメリカ軍の襲撃を受けます。
夕日の中、撃墜される零戦が「太陽の帝国」日本の凋落を表し、

 

 

 

 

真昼間、アメリカのP51の爆撃が基地をなぎ倒すのが、新しい「太陽の帝国」アメリカを象徴しています。

 

 

 


弾丸降り注ぐなか、ジムは興奮して「わー!P51だ!空のキャデラックだ!」と騒ぎまくります。
心配してイギリス人ドクターが駆け寄って取り押さえますが、彼の興奮は収まりません。

飛行機好きなジムの純粋な好奇心とともに、自分が大切にしていた「零戦」が打ち砕かれてしまった叫びでもあります。

 

 

ようやく落ち着きを取り戻した時、ジムは茫然として「お父さん、お母さんの顔が思い出せない…」とつぶやきます。
無邪気に暮らしているようでいて、もう心が壊れてしまうギリギリのところまで来ているんですね。


3年近くこの収容所で暮らしたのですが、終戦した途端、結局ベイシーはジムを置きざりにして収容所を脱走してしまいます。


このベイシー役がジョン・マルコビッチ。

 

いかにも悪賢く処世術に長けた曲者を好演。したたかで一癖ありそうな面構えです。
人生の師であり、友人であると信じていたのに、最後の最後までジムの思いは通じませんでした。
ここでも、ジムは大きな喪失感を味わいます。
 

 

 

 


襲撃された蘇州の収容所を出て、南へと向かう捕虜たちですが、道中ちから尽きてどんどん死んでしまいます。
ジムもすっかり生きる希望を失い、自分の宝物を詰めていたカバンを川に捨ててしまいます。

 


面倒を見てくれていた夫人も亡くなり、その時強い光が一面を覆います。
ジムはこの光を夫人が昇天していく光だと思いましたが、後になって日本の敗北を決定的にさせた原爆の光だったことを知ります。聖なる光ではなく、大量殺人の光だったと。
 

 

 


再び蘇州の収容所に戻って、唯一心を通わせた日本の少年兵と再会するシーン。

 

しかしマンゴーを切ろうと刀を取り出した時、アメリカ兵に撃ち殺されてしまいます。
この少年兵を演じたのは、歌舞伎役者の片岡孝太郎さん。

 

 



最後、ジムは戦災孤児の集まる施設で両親と数年ぶりの再会をしますが、彼はまるで死人のように無表情で、両親の顔も何も覚えていないほどでした。
ようやく母親に気付き、抱きしめられゆっくりと目を閉じますが、彼はジェイミーに戻ることはできるのでしょうか。







主人公ジェイミーを演じたのが、13歳のクリスチャン・ベイル。デビュー作です。

 

 

何千人のオーディションを勝ち抜いたのも納得。

まぁ演技が凄い!巧すぎる!
初めての映画出演だなんて思えません。

もう完成されてるもん。
顔も今のまんまだし(笑)声変わりしていないだけって感じです。


「栴檀は双葉より芳し」といいますか…

「北島マヤ!恐ろしい子!」って感じですね。


 

 

 

 

決して可愛い役ではないんです。
非常にこまっしゃくれてて、どちらかというと可愛げがない方。
「僕の家はお金持ちなんだ。僕を助けたらきっとパパからお返しがあるよ」みたいなことをまくし立てるし。
ともかく喋りまくるので、「うるさい、うっとおしい」って感じなんですけど、まぁファンからしてみれば「ちっこいクリスチャン・ベイル」が動き回ってるだけで大満足(笑)

 

 

本当に主役として出ずっぱり、周りの大人たちはピンポイントの出演で、あまり印象に残らない程です。
カタコトの日本語もしゃべりますよ!

米軍の襲撃を受けて荒れる将校に向かって

 

「キットナニカノマチガイデス。ボクタチハトモダチデスヨネ!」

 

と言って、サッと土下座するんだけど、あまりちゃんと正座ができなくて、変なポーズになっているのもご愛敬。



子役は大成しないとよく言われますが、彼はとってもクレバーなんでしょうね。








租界(そかい)とは、1842年の南京条約により開港した上海に設定された外国人居留地のことです。
当初、イギリスとアメリカ合衆国、フランスがそれぞれ租界を設定し、上海は欧州文化と中華文化の融合を見る独特の街となりました。

 

 

 

 

 

上海の雰囲気を出せるロケ地は世界中どこにもなく、スピルバーグはおよそ4年に渡って中国と根気よく交渉を続け、ハリウッド映画としては、第二次世界大戦後初となる中国ロケが決定。
上海映画公社の協力もあって、撮影は大規模なものとなり、約500人のクルーを率いて中国の土を踏んだスピルバーグは、約1万5,000人のエキストラとともに16週間の長期撮影を敢行したのでした。
この圧倒的な物量感や熱気は、CGでは表現できませんよね。





戦勝国、敗戦国といった色合いはあまり出していませんが、したたかな中国、静かだけれど不気味な日本、食料(札束)で頬を殴るアメリカ、という雰囲気は感じられます。

「戦争がいかに少年の世界に影響を与えるのか、感受性に富んだ無垢な心は戦争を通じてどう変わるのか」を描くことによって、戦争による「市井への被害」をテーマにしています。

 
映画のオープニング。
淀んだ揚子江には壊れた棺桶がいくつも浮かんでいます。
ラストシーンでは、ジムが投げ捨てたカバンが同じように流れてきます。

 


収容所でのジムは死んで流された。ということなのでしょうか。
彼はジェイミーとして、新たな人生を生き直すことはできるのでしょうか。