光の秘密 天国からのレッスン ‥ 1 | inca rose*のブログ

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第十一章     愛のパワー

愛を正確に定義しようとして、わたしは愛用の辞書をひもといた。最初の定義は、「愛とは別の人に対する非常に情熱的で優しい愛着である」。適切な状況を考えれば、まあ悪くない。しかし、言っておきたい。あちら側に行ってきて以来、わたしは愛がただの情熱や愛着よりはるかに豊かなものだと知ってしまったのだ。

愛が宇宙で最強の力であることをわたしは見た。天国では愛は個人的な心情ではない。言うまでもなく、ロマンチックな気持ちでもなければ、優しい感情でさえない。来世への旅行の間中、わたしはこの目で、愛が神聖で活き活きとした、比類のない強さとすばらしさを持つエネルギーであることを目撃した。実を言うと、人間の形をとっているわたしたちにとって、愛が真実の存在状態なのだ。

この個人的経験を手に、天国で目撃した聖なる愛にちょっとでも似ているものがないかと、わたしは辞書の中を探し回った。しかし、そうは言うものの、自分でも認めざるを得なかったのだが、愛は実に広大で、実に絶大な力を持って偏在するエネルギーなので、ほとんど定義を許さないほど強力で深い力だとしか表現できない。

いろいろ調べた結果、英語には永遠に完璧な聖なる愛を適切に表現できる言葉がないという結論に達した。さらに、愛の意味と目的について大昔から無数の書物が著わされてきてはいるものの、この無敵のパワーがどれほど遠くまで届き、無限の影響を及ぼすか、十分に書き表すことはできない。無条件の聖なる愛は、わたしたちが説明したり、真似たり、蓄えたりできるものではない。宇宙のあらゆる場所へやすやすと移動し、わたしたちが開いたチャンネルになれば、その中を通って現われる。聖霊の愛は「我らが生き、動き、存在する」(使徒言行録一七・二八)場所にあることを、わたしは見ている。

しかし、これは天国に満ちている愛の話だ。この世では、愛はさまざまに受け取られ、言い換えられ、表現される。わたしたちはみな、単にすばらしいという以上の愛を知っている。
とは言っても、それ以上のとき、愛はわたしたちの人生にその時々で異なる影響を与えてきた。たとえば、わたしたち教会を愛しているのに、聖職者が信者に乱暴をはたらく。家族に愛を捧げたあげく、いいように利用される。特別なあの人に心を捧げることにしたら、裏切られただけだった。こうしたつらいシナリオが愛の手で起きるのは、形をとったスピリットであるわたしたちが、天国に存在する完全な愛の高次な世界との整合性を保って、霊的なつながりを維持できなかったためだ。

人生の別の側から愛を眺めて、わたしはそれがパワーであることを知っている。このことを絶対に忘れてはならない。愛のパワーこそ、わたしたちがあらゆるものの霊的本性を見分ける鍵なのだ。この理解でいちばん重要なのは、誰かの中に愛するものや賞賛するものを見つけたら、あなたは実はすでに自分自身の中にあるものーあなたの愛と賞賛に深く値するものーを発見しているという点だ。
わたしたちは絶えず愛をやりとりしようとしている。それによって内なる特別な聖所と一体化し、あるいは、そこへ自分自身を移動させるのだ。愛は内なる神聖な存在で、外なる表現を求めている。それは宇宙を流れ渡ってわたしたちの体に生気を与え、地上での人生に霊的な目的を与えてくれる聖霊の尊い輝きだ。

実を言うと、愛と同じくらい大切で、もしかすると同じくらいパワフルなのは笑いだと思う。誰かと一緒に笑うことーふざけて笑うのではなく、心を通わせ合って笑うことーは、愛を共有する究極の形だ。
笑いは互いが親密につながるひとときに聖なるものを現出させる。一緒に笑うことは、調和した一体感を力強いレベルで作り出し、すでにわたしたちの内部に存在している愛を理解させてくれる。誰かと一緒に笑うとき、わたしたちは聖なるものになる。聖書では繰り返し喜んでいるようにと教えられる。笑いによって機嫌よくしていれば、聖霊の限りない喜びとのつながりを強められるのだ。それが次には霊的な扉を大きく開かせて、無限の愛の流れを招き入れる。

要は、人生の失望やつまづきにくよくよしないことだ。それよりも、そういうものをばねにして、もっと強く、もっと思いやりを持たなくてはならない。そうすればわたしたちは上昇し、失望を繰り返す必要がまったくなくなる。
したがって、最高に厳しい人生の教訓を、罰やまちがいや失敗と考えては絶対にいけない。現実に、愛と上機嫌が魂を満たし、心に注ぎ込まれていれば、混乱、疑い、心配、恐れ、それに不満は日常的な経験でなくなる。

常に心遣いをして愛と上機嫌の状態にいれば、わたしたちは実は聖なる心からものごとを行なっていることになる。この聖なる場所には、混乱、疑い、心配、恐れ、それに不満は存在しない、存在できないのだ。

陽気でいるよう努力し、人生はよいものだと愛をもって期待しながら生きれば、世界はそういう美徳の見事な反映になる。何事をするときも愛と上機嫌を全身で表していれば、人生が天国をそのままこの世に写したものになることが保証される。そのときそのときに応じて行動に移し、すべての人にとって最高の善となるように使われるお互いの愛は、まちがいなく地上における聖なる道だ。

わたしたちは一人ひとり異なる使命を持っていて、それを人生で達成する。その使命は、わたしたちが身につけることを選んだ素質や才能によって、人類のためになるよう、スピリットへの忠実な奉仕として決められている。しかしどの場合も、当面の目標や最終的な目標が何であれ、愛はその霊的達成へ向かう確かな道だ。愛は常に存在し、いつも意欲的に、わたしたちの成功への道筋で必ず起こる奇跡や説明不能なできごとを行なうパワーなのだ。

中国の偉大な神智家で『老子』を著わした老子は、二千五百年以上前に「ものごとを行なう唯一の方法はそれ自身になることだ」と言っている。だから、愛を作る唯一の方法は意識的に愛になることだと、わたしは信じている。
もしこの世に平和が訪れるとしたら、それはわたしたち一人ひとりの心に芽生える種子から始まるはずだ。わたしたちはこちらへ来たときに志願した通り、天国の調和を体現する忠実な使者にならなくてはいけない。

必要なのは、自分の本質が愛であると認め、熱心にそれを使って変化を起こすことだ。力を合わせれば、わたしたちはこの世界を恐怖の見本から安らぎの楽園に変えることができる。わたしたちは思いによって世界を変化させるパワーを持っているのだ。今、わたしたちには二通りの姿が想像できる。予測不能な時代を生き延びるため必死に努力している姿か、さもなくば勝利の時代を謳歌している姿だ。

わたしたちはみな、全人類の魂のための激しい戦いに巻き込まれた志願兵なのだ。日々の戦闘は、正義と名誉と真実の名の下に戦われている。正義とは、霊的な素質ー命と愛ーを正しく使うことだ。人生では、愛を正しく使うことがわたしたちにとって永遠の宿命なのだ。

お願いだ。信じてほしい。愛は宇宙を形成し、一つにまとめている。惑星をあるべき場所に留まらせ、地球を軸の周囲で回転させる。水晶の都市で、わたしは生い茂り、脈打ち、輝くエッセンスとなった愛を見た。
科学ではこれを暗黒物質(ダークマター)と呼んでいる。原子を考えてみるといい。宇宙を構成する基礎単位でありながら、その九十四・六パーセントは何もない空間なのだ。この何もない空間が暗黒物質で、量子物理学者は宇宙がその中で宙づりになっているのだと言う。だから、ちょっとの間だけわたしに協力して、宇宙が何億個もの恒星や惑星まですべてひっくるめて、カンヴァスに描かれていると想像してみてほしい。

さて、次にそのカンヴァスが愛と呼ばれる生きたパワーだと想像しよう。するとどうなるか。わたしたちはこの愛とまったく同じ分子構造でできているのだ。この生きているパワーにぴったり調和しているために必要なのはそれを与えることだ。愛すれば愛するほど、さらに愛せるようになる。

愛の心に自分を集中させるには、意識的な深呼吸がいちばんいい。毎日時間をとって深呼吸を練習すると、霊的な核へ意識的に同調できることが増える。さらに、わたしたちの考えの間に宿る聖なる安らぎを発見するには瞑想が欠かせない。聖なる安らぎとのつながりは、ハイアーセルフ(高次の自己)と意識的に一体化するために絶対必要だ。この一体化した状態から、わたしたちの生命力は地球を取り巻くかすかなエネルギーのグリッドをプラスに帯電できるほど強められる。グリッドは、帯電されるとさらに高次のエネルギーを受ける能力が高まり、世界的に意識の目覚めが早まるのだ。真理は常にシンプルで、愛の連鎖反応を起こすためには、意識的な深呼吸と瞑想を毎日の習慣に加えればいい。わたしでも忘れないほど簡単なことだ。

感謝の気持ちもこれに不可欠な要素だ。毎日受けた恩恵を数えるようにしよう。絶えず感謝をしながら生活すると、もっと感謝するものが現れる。愛と感謝をブレンドすると、人生のキーに合ったハーモニーが出来上がる。それは全人類の心と魂を至福の魅惑的なリズムに同調させる。感謝の祈りも日々の霊的実践に組み込みたい。こういう祈りはマイナスの変化に対する防御の第一線であって、単に最後の頼みの綱としてすがりつくものではない。宇宙は常にバランスを保つため、自己補正の状態になっている。わたしたちが毎日感謝の祈りを捧げれば、計り知れないほど宇宙がバランスを保つ助けになる。

声を大にして言おう。愛は生きている。そして、愛は未来の希望というだけでなく、わたしたちの運命なのだ。愛は聖霊に活動だ。『奇跡のコース』では、ここには、一人の人しかいないと言われている。言い換えれば、わたしたちはすべて一つということだ。これが本当だと信じれば、このパワーと存在が道と真実と光を携えてくる。地球上の人類家族みんなのため、今日この日から心を一つにして聖なる愛とともに、それを意識する聖なる責任に身を捧げようではないか。














『光の秘密     天国からのレッスン』
著 . ダニオン・ブリンクリー&キャスリン・ブリンクリー

から抜粋。