略奪、虐殺の嵐明治政府の非道 | 気になるニュースチェックします。

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富山市議会の辞職が止まりません。

この連中が辞職するのは、当然であり辞めてもらった方が

いいに決まっていますが、その後の選挙でまたお金がかかります。

 

だから、その辞職する議員の全員で、選挙費用を出してから

辞めてもらえばいい。

自分たちの不正で、こんなことになったんだから、そのくらい

責任とるのが当たり前です。

ただ辞めてもらっても、負担は来るしあとが大変です。

そういう規則になったら、不正で辞める議員もいなくなるでしょう。

不正してまた辞めるとき、金を取られるのはいやだから、、、、

 

きちっと責任を取らせなきゃ、不正議員はいなくならない、、、

今回は富山市議の不正がみつかったけど、不正をしているのは

氷山の一角、、、

富山がクローズアップされているうちに、なんとか自分たちのことが

見つからないよう必死の不正隠しをしていることでしょう、、、

 

★★★略奪、虐殺の嵐明治政府の非道

明治維新は、幕府が悪者でその幕府を倒して近代国家を作った

勤王の志士たちがヒーローとなって、今に伝わっています。

幕府って そんなに劣って、酷いものだったのでしょうか、、、

だから、勤王の志士たちが幕府を倒したのでしょうか、、、

 

江戸幕府の時代は、戦争のない平和な時代が

250年もの間、続きました。

今、私たちは戦争が終わって、71年、、、、

それよりもずっと長く戦争のない、平和な時代が続いたのが

江戸幕府の時代でした、、、、

 

その時代、オランダから仕入れた西洋技術にみがきをかけ

その技術は当時、世界のトップクラスでした。

江戸の町は清潔で、上下水道も整備され、機能的だったことも

有名です、、、

 

武士道を含む日本文化が大きく開花したのも、この時代です。

日本の繁栄を育んだのが、江戸幕府の時代です。

それでも幕府は、悪者で劣っていたといえるでしょうか、、、

 

明治維新には多くの謎があります。

明治維新にはおかしなことが、たくさんあります。

悪者である幕府を倒した勤王の志士たちは

その後、明治新政府の指導者となり、日本を戦争へと導いていきます。

 

戦争のない平和な時代から、国民を一挙に地獄に突き落とした

勤王の志士たち、のちの明治新政府の指導者たちこそ

悪者だったのではないかと思います。

 

明治維新につきまとう、多くの謎はそれを物語っています。

悪者、幕府を倒し輝かしい明治維新を成し遂げたというのなら

明治維新につきまとう多くの謎など、存在しません。

 

多くの謎があるからこそ、それを隠すためには嘘で固めた

歴史を作り上げる必要があった、、、

明治維新から延々と嘘の歴史を教えなければならなかった、、、

明治維新から今日まで、延々と隠したかった事実とは

どんなものなのでしょう、、、、

 

私たちが知っている明治維新は、その時の御用学者が書いたものです。

テレビ、映画、小説、にもなった日本の英雄といえば坂本龍馬

龍馬はさわやかで、日本中を魅了する国民的英雄です。

その国民的英雄、絶賛される坂本龍馬の化けの皮をはがしていきます。

 

〇維新のヒーローの素顔 死の商人

 

  幕末のヒーローの一人に坂本龍馬がいます。

  国民的英雄なんて、いまではそう呼ばれるほど人気があります。

  龍馬、龍馬と日本中が持ち上げるほど、坂本龍馬は立派でもなく

  功績も残していません。

  

 

  龍馬は武器商人です、他の武器商人とともに幕末のころ

  彼らと手を組んで暗躍したのが坂本龍馬という男です。

  龍馬の背後にはイギリスの武器商人トーマス グラバーがいた。

  そのグラバーなどと手を組んで、日本を戦争に導いた極悪人です。

  そんな龍馬がどうして、日本では英雄なんていってもてはやすのか、、

  龍馬を薩長を結び付けた英雄にしなければならない事情があった。

  龍馬がグラバーと手を組んだ、極悪人では非常にまずかった

  だから日本では英雄に仕立て上げておく必要があったのです。

 

  薩摩と長州を結び付け、薩長同盟を成し遂げ、明治維新がなった

  明治維新は薩長が結びつかなければ、ならなかった、、、

  その立役者は坂本龍馬、、、、

  明治維新を輝かしいものにするためには、その立役者である

  龍馬は英雄にならなければならなかった、、、

 

  巨額の金をむしり取る武器商人では、薩長同盟がうす汚れる

  

  〇いろは丸事件

    龍馬は大洲藩から5日間の航海について500両で

    賃貸契約を結び、いろは丸を借ります。

    4月23日の真夜中、そのいろは丸が紀州藩の明光丸と衝突

    重量が5分1に満たないいろは丸は、その時沈没仕掛けていた。

    

    その時、龍馬は紀州藩の明光丸に乗り込んで、乗組員に

    「甲板に士官がいなかったろう」などと誘導尋問をして

    あとの賠償責任を有利にするための工作をするのです。

    その結果、紀州藩からのちになんと7万両を分捕っています。

    こういうはったりで、巨額のもうけを企む人物でした。

 

    それでなければ、海援隊の60人もの連中を養うことなどできない。

    しょっちゅう日本全国、出張してなどいられない。

    龍馬は金のためなら、はったりもなんでもやる

    今の悪徳政治家とよくにています、、、

 

    そして儲けた金を派手に使い、当時日本一の遊郭

    「丸山」で豪遊しています。

    そしてその挙句、梅毒に感染したという。

    だらしない龍馬の姿が見えてきます。

 

    亀山社中、海援隊メンバーは武器を売って

    一山あてようとしたごろつき連中の集まりです。

    いろは丸事件は、ゆすりたかりで死ぬほど大儲けした

    金で遊興三昧、、、

    龍馬は単なる要領のいい男、、、、

 

    海援隊規約

     目的、運輸、射利、開拓、投機、藩の支援

     射利とは目的を選ばず、利益を得ること。

     それを龍馬は規約にちゃんと書いている。

 

    〇語り継がれる龍馬の手柄

 

      薩長同盟を結ばせたのも金のためです。

      明治維新、、、、この歴史に残る一大事件をとげたのは

      地方の侍、下級武士たちおもに薩摩藩、長州藩、土佐藩

 

    維新の代表的な三傑が、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允

    この両藩を結び付けたのが坂本龍馬

    そして結びつき薩長同盟の結果明治維新に至る、、、

    今でも語り継がれる龍馬の大手柄、、、

 

   しかし、龍馬の背後にはグラバーがいる。

   明治維新のころは日本は、外圧の嵐が吹きまくっていました。

  グラバーは幕末の混乱に着目し、薩摩と土佐を相手に

  武器弾薬を売り始めます。

  

  南北戦争で使われた武器を二束三文で買い取って

  薩長に高値で売りさばいていたのが、英国のグラバー商会です。

  麻薬貿易で暴利を食った連中です。

  そのパシリとなって暗躍したのが、死の商人坂本龍馬です。

 

 

  けれど幕府に敵対していた長州は、グラバーから武器を

  買うことを幕府から禁じられていました。

  そこで龍馬が登場する、龍馬はグラバーから分けてもらった

  武器を薩摩藩名義で、長州に渡し両者を和解させたのです。

  

  薩摩の五代友厚、長州の伊藤博文の二人と交流のあった

  グラバーは彼らにイギリス留学を斡旋します。

  当地では盛んに交流しました。

  このグラバーの手引きで、イギリスに密航し留学した

  長州の5人の若者たちがいます。

 

  〇長州ファイブ マゼソンボーイズ

 

   その彼らは長州ファイブまたはマゼソンボーイズと呼ばれた。

   その彼らの今の金で10億円ともいわれる巨額の留学費用を

   出したのがグラバーの勤めるマゼソン商会の社長

   ヒューマゼソンです。

 

   そのヒューマゼソンの上には世界の金融王ロスチャイルド

   がいてそのロスチャイルドに可愛がってもらったのが

   あの長州ファイブの5人の若者たちです。

   いかに長州がグラバーと深くかかわっていたかがわかります。

   伊藤博文     初代総理大臣       内閣の父

   遠藤謹助     造幣局長          造幣の父

   井上馨       初代外務大臣      外交の父

   井上勝       鉄道庁長官        鉄道の父

   山尾庸三     法制局長官         工学の父

 

  〇〇の父   なんてすごいことになってます。

 

 

  この自分たちが教育し、支援した若者たちが

  幕府を転覆し、国を乗っ取ったのです。

  明治新政府は、このようにして成立しました。

  だから、明治新政府はイギリスの傀儡政府でした。

  あの当時、世界の4分1を植民地にし、日本の国の

  鼻の先まで迫っていたイギリス、、、

  中国ではアヘンをばらまき、中毒者だらけにし

  侵略していったのに、同じ手口を日本には使わなかった。

  

  日本では攘夷、攘夷と叫び外国人追い出しに走り回って

  いた伊藤博文など長州の志士たちが、明治維新直前には

  手のひら返したように敵国イギリスに留学した、、

  あれはみせかけだけであって、裏ではちゃんとこんな

  ことが起こっていたんですね。

 

  薩摩は本土の果て、欧米との貿易で藩政をまかない

  利益をあげていました。

  薩摩は初めから英国と手を組んでいたようなものです。

  そして倒幕へと変節します。

 

  〇極悪人の代表

  薩摩も長州も日本のことなど、日本の行く末などどうでもいい

  自分たちの利益が一番大事でした。

  その極悪人の代表が、大久保利通と西郷隆盛です。

 

  そして薩摩は、長州の武器調達のため英国を紹介するのです。

  これがいわゆる、薩長同盟、、、

  龍馬が薩摩と長州を結びつけたなんて、いわれているけれど

  初めから英国と手を組んでいた薩摩がいたんだから

  別に龍馬が必死に両藩を結びつける必要はなかった。

  正しくは薩摩がお抱えの武器商人、龍馬を

  長州に紹介したというのが正しい。

 

  そのころ将軍家茂と孝明天皇が相次いで亡くなりました。

  まだ家茂は21歳、孝明天皇は36歳という若さでした。

  本当に早すぎる死、、、、相次いでなくなるという不思議、、、

 

  そして幕府は突然、不安にさらされるのです。

  このとき明治天皇はまだ15歳、、、

  海外の手先となって、倒幕を企てる勢力が膨らみ

  さらに倒幕派の公家たちまでも暗躍し始めた。

 

  討幕派が決起しようとしたその時、徳川慶喜は先手を打って

  大政奉還をするのです。

  大政奉還の上奏分

  「従来の旧習を改め政権を朝廷へ帰し奉り、広く天下の公議を尽くし

   聖断を仰ぎ、同心協力ともに皇国を保護任り候わば

   必ずや海外万国と並び立つべく慶喜、国家に尽くすところ

   これに過ぎずと存じ奏り候」

 

  慶喜は政権を朝廷に返上しました。

  そして「広く天下の公議を尽くし」とあるように

  国家に尽くす最大の誠意であると奉上しています。

  

  討幕派は「倒幕」の名目を失いました。

  戦乱を避けて平和裏に新しい体制に移行することができます。

  討幕派が何も幕府を倒す必要はなくなりました。

  幕府は終焉を迎えたのです。

 

 勤王の志士たちが、幕府を倒す名目がなくなりました。

 幕府を倒すことが目的の、勤王の志士たちは非常にまずい

 流れになり、そこで何をしたかというと尊王攘夷を掲げたのです。

 尊王攘夷とは、朝廷を守り外国を打ち払うことです。

 薩長と過激公家のテログループが、これを掲げて情報を工作する。

 

 そのころ朝廷から薩長に倒幕の密勅が下りる。

 これはあの悪人どもの、岩倉具視や、大久保利通、西郷隆盛らの

 姦計で公家に出させた公文書偽造の密勅でした。

 悪人てここまでやるんだ、、、

 

 そして慶応3年12月9日御所を包囲し、明治天皇を掌握します。

 そのころは、京都に会津藩兵、旧幕府軍、桑名藩兵など1万余りの

 大群を率いて二条城にいたが、薩長の兵も続々と入京してきて

 京都は一触即発の状態でした。

 

 西郷は、大政奉還で武力で幕府を倒す名目を失ったので

 開戦の火ぶたを切るため、薩摩のテロリストたちに

 江戸で無差別テロを繰り返させていました。

 そして幕府を挑発し続けていたのです。

 堪忍袋の尾が切れ、がまんにがまんを重ねていた慶喜も

 ついに薩摩藩邸に総攻撃をかけます。

 

 そして明治天皇を幕府の手に戻すため、京へ軍を進め

 そこで鳥羽伏見の戦いが始まってしまうのです。

 戦いは幕府が有利であったにもかかわらず、テロリスト薩長の

 陣営に錦の御旗が翻った、、、

 

 こうして政権はテロリスト側に移ります。

 維新後、明治新政府は国民の不満を抑えるため

 「年貢半減」を赤報隊に呼ばわせるが、そんなことは

 できもしないこと、、、

 新政府は赤報隊を解散させ、幹部を処刑し公約を

 なかったことにしたのです。

 

 そして市中砲撃をやめるかわりに、江戸城を開城させ

 史料捏造を開始します。

 政権交代後、外国の傀儡政府である明治新政府は

 総督府を組織し、官軍を名乗ります。

 

 〇新政府の虐殺開始

 そして戊辰戦争の侵略戦争を開始するのです。

 江戸を攻め、会津を攻め、東北函館へと蹂躙

 自国民を略奪、虐殺していきました。

 恭順を申し出ているにも関わらず、呵責なきまでに攻撃した。

 

 死んだ者の埋葬を許さず、埋葬した者を罰し、降伏した者を虐殺

 少年の首を刎ね、女は強姦の嵐、、、

 これが明治新政府の実態です。

 

 明治政府のやったことは、フランス革命の恐怖政治と酷似している。

 明治政府の行った数々の悪行は、知れば知るほど恐ろしい。

 

 明治維新がきいて呆れる、、、

 これが近代国家を目指す者のやることでしょうか、、、

 鬼畜のような新政府の非道に異議を唱え、薩長に最後まで

 奮戦した会津藩

 忠義のため誠のため武士道の誉を後世に輝かせた新選組

 この人たちこそ、尽忠報国を貫いた素晴らしき日本の誇りです。

 

 それが日本の歴史では、善悪がいつの間にか真逆になっている。

 勝てば官軍、自分たちの悪行を覆い隠すため、事実を塗り替え

 捏造した歴史を押し付け、数々の公約に違反し、偽勅を連発し

 自国民を虐殺し、弾圧政治を行った明治新政府、、、

 

 西欧列強から日本を守ろうとした幕府こそが、

 真の保守であった、、、、と思います。

 

 

 

 

 

  〇旧幕府軍をすべて葬り去ったそのあとに

   激しい東北戦争を遂行した新政府にとって、旧幕府軍が

   もし、新政府の秘密を告発すればどうなるか、、、

   旧幕府軍は東武皇帝、日光宮能久親王をたてて新政府と戦おうとした。

   それに対し、新政府軍は特に激しい戦争を遂行しました。

   

   なぜかというと、新政府軍の秘密を告発されたくなかったからです。

  旧幕府軍がこの戦争に勝てば、新政府の秘密を暴露されるからです。

  それに対し、旧勢力側の指導者の命がないと思わせるほどに

  新政府軍は旧幕府軍と戦ったのです。

  攻めに攻め虐殺しました。

 

 あの戊辰戦争で新政府軍は、会津を徹底的に打ちのめしました。

 そうしなければ、秘密を告発されるからです。

 今に伝わる歴史がヒックリ返るからです。

 新政府ができ、まず行ったのが最体制の消滅

 戊辰戦争は、徳川を叩き潰すための戦争でした。

 すべてを葬り去って、新政府の秘密を知っている者がいなくなったとき

 今に延々と続く日本の政界の形が完成しました。