動画ろんだん@松田政策研究所㉑~(特集) 本当の日本とは?日本民族の歴史<その1>~ | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

松田政策研究所チャンネルでは、史実を振り返りながら、「本来、日本とはどんな国で、日本人とはどんな民族なのか、そこから日本の未来を考える」シリーズを始めています。

今回のコロナウイルスでは、日本がつい最近まであれだけ中国の人々が入っていた国なのに、欧米に比べてみれば、死亡率なども含めて、状況がかなり抑えられてきた事実がありますが、その背景として、島国、衛生状態、国民性の三要素が指摘されています。日本には過去から形成されてきた独自の強さや、その類例のない独特の文化が世界に大きな影響を与えてきた歴史があるようです。

今回は、江戸時代に世界最先端の文化文明を築いていた日本は崇神天皇のころから感染症対策も根付いてきた国であったとする小名木善行氏、日本の始まりとされてきた古事記・日本書紀の以前から日本には世界の指導国としての超古代史があったとする家村和幸氏、今年、日本書紀編纂1,300年を迎えた日本国民の歴史意識の欠如を指摘する久野潤氏との対談、そして、東條英機や、戦時においてはユダヤ人を救い、終戦直後にソ連の侵攻から北海道を守った樋口季一郎中将のそれぞれのご子孫である東條英利氏と樋口隆一氏に歴史の真実を語っていただいた対談を、ご紹介します。

自粛措置の自宅巣籠もりで浮いたお時間、日本の歴史に思いを馳せてみていだたければと思います。

 

●<対談>小名木善行(国史啓蒙家)「日本の疫病対策は2500年前から。”和”の国ニッポンの文化と協働型コモンズ」

日本人はもともと、中国や欧米などとは違って太古から感染症対策の生活習慣が身に着いてきた民族。本当のニッポンとは、日本人はどんな民族なのか。江戸時代はすばらしい時代だった。そのとき、日本は世界一の文化文明を築いていた国だった…。

日本の歴史的事実に通暁する、ねずさん、こと小名木善行さんとニッポンを語り合いました。現代の多くの日本人が知らないことが満載。収録は3・11の日。私が東日本大震災を契機に政治理念として掲げるようになった「日本新秩序」や、最近唱えている「協働型コモンズ」をぶつけてみましたが、その正しさをサポートしていただきました。目からウロコの歴史対談になりました。

崇神天皇が義務付けた神社の手水も、握手ではなく少し距離をおいてお辞儀をする習慣も、実は、感染症対策。

以下、かいつまんで番組での小名木津さんのご発言をご紹介しますと…、

享保の改革の時代、20年間の間に小伝馬町の牢獄に留置されていた人はゼロだった。それは行政能力が極めて高かったから。家の造り方も火事への備えの知恵を尽くしたものだった。世界の金産出量の3分の1が日本、本当に「黄金の国ジパング」だった。その金が世界の歴史を動かしていた。日本は世界の文化に甚大な影響を与えていた国だった。西洋画で自分の思いを描くというのは日本から受けた衝撃によるものだった。

古事記・日本書紀・万葉集から日本の形ができた。江戸時代に徳川家康が林羅山に教育を任せた。羅山は儒学と日本独自のものを融和させた学者だった。その原点も7~8世紀だった。当時、人口の3分の1は渡来人、外国人だった。どれだけ外国人が多くても日本の国とは何かがはっはりと示されていればよかった。

日本は災害の多い国だった。それへの対策で様々な知恵を日本は生み出していた。お米の備蓄の知恵は食管法のもとで忘れられた。

いざなぎ、いざなみの神が何のために日本を創ったか。その目的は、喜びに満ちた楽しい国がなく、それを創ろうということだった。もともと災害が多い。その災害の前でお互い助け合わなければ生きていけない。みんなに、民衆に、活力がある。手を取り合って喜び楽しい国を創ろう。みんなにとって楽しい喜びのために。人の上に立つ人だけが良い思いをする国とは違う。日本で上に立つ人はみんなのために…。

欧州で14世紀にペストで人口の60%が死亡、それは中国産の疫病だったが、元から明に代わる頃、中国の人口はそれで1.2億人が2.500万人に減少、9,500万人が死んだ。当時は日本は南北朝時代、日本に伝染病が蔓延したという記述が全くない。2,500年前の崇神天皇のときからの対策が奏功した。せいぜい日本では死者は10万人で人口の1%以下。中国の8割とは大きく乖離。太古の時代に疫病で人口が25万人から8万人に減少したが、崇神天皇のおかげで67万人に回復…。それは、神社で手水を義務付けたもので、挨拶も畳一枚分1.8m空けてする。それなら飛沫から身を守れる。

日本の文化は災害対策の中で発達してきた。災害という大きな不幸から立ち上がるときに不幸を感じていてもしょうがない、みんな、大いに飲んで。それが日本。あまり自粛してばかりでは…。

これからのキーワードは「プリコラージュ」…いまこの瞬間に素晴らしいと思うことをみんながやることで結果としていいものが生まれる。予め計画するのではない。それが日本人の行き方では…?

…安倍総理が「新しい国づくり」と言ってきましたが、私が国会でその中身について質疑をしても、明確な答えはありませんでした。いまもないでしょう。日本は「みんなで力を合わせて楽しい国づくりを」、これがこの対談のメッセージです。

 

●<対談>家村和幸(日本兵法研究会会長)「生命の始まりは日本から!?本当の日本超古代史とは・・」

この3月に「歪められた古代天皇~『古事記』『日本書紀』に隠された真実」を出版された家村さんに、歴史から消された超古代の日本について語っていただきました。

宇宙の創成、地球の始まり、人類の誕生…。すべてが受け継がれてきたのが日本。古代の日本人は宇宙物理学も分かっていた…!?。そして世界の歴史は日本とともに展開されてきた。天孫降臨(てんそんこうりん)は今から179万2470年前。古事記、日本書紀の前に、今は残っていない日本独特の文字を使った数千年の日本があった。神武天皇より前に歴代の天皇が存在した。

モーセもイエスキリストも日本を訪れ、天皇の了解をとって、教えを広めた…?

生命の始まりが日本だった。霊が始まった霊(ひ)の本(もと)の国が、「ひ」が日に変えられた。それは神道と仏教がせめぎあった時代のことだった。

超古代の日本には世界一の文明があり、それは世界の模範であった。世界が学んでいた日本が歴史から消えている。

日本の経済社会の基盤を作ったのは秦氏(秦人を統括するリーダーたち)で始皇帝の末裔。その前から多数のユダヤ人が渡来したのが秦人(はたびと)。大勢のユダヤ人が二度にわたり日本に渡来、秦人たちが国づくりに貢献した。シルクで繊維業を興し、土木技術などを導入した。雄略天皇のときにできたのがいまは財務省に改名されてしまった大蔵。秦氏が最初の大蔵大臣。朝廷の財政も管理。

利他の精神を説いたのがイエスキリスト。これはその後のキリスト教とは異なるもの。日本の国土そのものが日本人を道徳的に育てる土壌がある。仲良く協力し合っていく精神的な美徳。それは他国にとっては学ぶ対象だった。モーセの十戒など、日本から学んだ徳目だった…。

大陸から仏教が入り、蘇我氏がその正式受け入れに動き、それと渡来人を自らの政治権力の基盤にし、天皇に対抗する勢力に。古代文字はそれとともに消されていった。仏教勢力から神世からの日本を守ろうとしたのが雄略天皇と武烈天皇。

焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)は過去の文字を秦の始皇帝が認める文字に統一したもの。それと同じことをやり、過去の連綿たる歴史を消した。

…こうした壮大な民族の物語に完全なる科学的な根拠を求める議論をしても、あまり意味がないと思いました。大陸からの勢力が日本古来のものを消そうとするのは今も起こっていることです。歴史を書き換えるのは、教科書検定で今も行われていること。かつて、その力学は中華思想でした。自分たちよりも古い古代文明を日本が持っていたというのは困る…。

古事記や日本書紀は、実は、バラバラに散った文書をかき集めて再構成しようとしたもの。しかし、断片的なものしかなく、神話にしたそうです。家村さんは、その歴史の再生に取り組んでいます。今は日本も国難ですが、ポスト・コロナの日本の物語をどう組み立てていくかが問われてくると思います。

 

●<対談>久野潤(大阪観光大学国際交流学部専任講師)「日本書紀編纂1300年と東京オリンピックの不思議な関係とは・・』

来年に延期になるまで、今年2020年は東京オリパラの年、と思っていた方が多いことと思います。ただ、今年は実は、「日本書紀」編纂1,300年の年。

前回の昭和39年よりも前の、今から80年前の昭和15年も、東京オリンピックが予定されていた年でした。そのときは結局、戦争で開催されませんでしたが、当時、日本がその年にこだわっていたのは、日本書紀に書かれていたように、神武天皇が建国した紀元2,600年だったから。その奉祝事業の一環としてオリンピックが開かれるはずでした。

実は、今回は、オリンピックの意味合いに日本書紀1,300年という、前回の思いを込めて迎えることができるものでした。日本書紀編纂1,200年の年(大正時代)には、あの京都帝大も、あの東京帝大も、国民全体で盛大に祝ったそうです。

日本を弱体化するために日本人から、その精神的支柱である日本書紀を奪え、というのが占領政策の方針だった。古事記とよく並び称される日本書紀とは、当時の国家プロジェクトとして当時のグローバル言語である漢語で書かれた日本の正史。世界に対して日本はこのような国だと宣したものだったともいえます。

国会議員が日本書紀に言及すると叩かれる国…「天壌無窮の国」、「神の国」と言うのがなぜ、タブーなのか?メディアの多くはなぜ、日本の神話を否定するのか。「八紘一宇」の本来の意味は?神武天皇の存在や万世一系の科学的根拠よりも大事なのは、国民が連綿とそれを信じてきたこと自体にある。

私からは大蔵省の名称問題もぶつけてみました。雄略天皇の頃から実際に存在する役所の名前が1,400年続いてきた、しかも唯一の「やまと言葉」の役所名を、いとも簡単に捨て去る近年の日本人の国家意識の薄さのことです。

今般、久野さんと対談したのは、戦後の日本人が国際社会と比べても異常なほどに失っている国家や伝統、自国のアイデンティティなどへの意識をもう一度、取り戻すためのよすがとは何なのかを考えるためでした。

 

●<対談>東條英利(国際教養振興協会代表理事)「人間・東條英機と戦後東條家の苦悩とは?日本文化の継承とともに」

東條英機といえば、日本を戦争に導いた極悪な戦争犯罪人だと思ってきた方が多いと思いますが、本当はどうだったのか…。

今般の新型コロナウィルスでも中国は早速、事実を塗り替え、歴史的に繰り返してきた自らを加害者から被害者へ、そして救済者へと転換するプロパガンダを図ろうとしていますが、常にその逆の立場に追い込まれてきたのが日本…。日本の歴史をもう一度、よく見ようじゃないか。日本人は意外と日本の歴史を知らない…。

東條家では長男を「英〇」と命名してきたそうですが、松田政策研究所チャンネルでは、東條英機のひ孫にあたる東條英利さんと、そもそも東條英機とはどんな人物だったのか…歴史の真実に迫るべく対談をいたしました。

20年前までは大極悪人。自分が幼い頃はあまり語らなかった。いまはネットを中心に少しずつ、語れる状況になってきた。東條英機は普通の日本人、実直で涙もろい人情家。イメージでいえば、サザエさんの磯野波平さん。昭和の親爺像。頑固で人情家で下々にやさしいが、直近の部下には厳しい。真面目ではあったが独裁者のイメージではない。

そもそも東条内閣は日米戦争回避のために組閣されたもの。あとで振り返ればいろいろなことが言えるが、人種差別があり、情報が限られていた中でなかなか判断は難しかった。

昭和12年生まれの父は終戦時は小学生。東條家暗殺のデマのなかで雲隠れ。戦争を讃えていた国民が東條家を叩きまくっていた。学校では担任の先生が全員拒否。校庭のポールによじ登って授業を見ていた。街をあるけば投石、殴打で血だらけに。

2015年に豪州の放送局からの誘いで、自分とトルーマンの孫とスターリンのひ孫、アウシュビッツ生き残りの子孫etc…関係者で集まり、あの戦争とは何だったのかを話し合った。

曾祖父の功績として2点を伝えた。2万人近くのユダヤ人を救ったこと。大東亜宣言のときに人種差別撤廃を人類史で初めて宣言したこと。トルーマンの孫とは機会があれば未来志向のメッセージを連名で出そう、過去から未来への転換を、と話し合った。

香港で仕事をするなど、海外に出て、自分がいかに日本のことを知らないか恥ずかしくなった。海外で質問されるのは日本の質問、なのに答えられない。「国際」という言葉は外向きのニュアンスで語られてきたが、海外に出た人は自分のアイデンティティーをちゃんと説明できるかが問われる。できないと信用されなくなる。海外ではどこまでも日本人として見られる。

そこで日本を知るためのアカデミーを開校。「しめなわ」を自分たちで実際に作ってみよう。神様を迎える実感。続けていたら、全国そして、米国にまでの広がりに。海外の人々の日本文化に対する関心は極めて高い。固有の文化を持つことのアドバンテージをそろそろ実感しないと、それを活かせなくなる。

実は、日本は国の根幹が何も定められていない。インターネットは他面で雑多な情報、50年後100年後をどうするかそろそろ考えないと、カオスとものすごい格差社会に。

…私が提唱する「日本新秩序」に向けて、日本の歴史を知り、その上に立って未来を創造していくために、東條さんのますますのご活躍を祈っています。

 

●<対談>樋口隆一 (明治学院大学名誉教授 音楽学者・指揮者) 「樋口季一郎の生涯と歴史の見直し、戦後GHQ歴史観を考え直す時」

危機にあって必要なのは、リーダーによる決断。今回のコロナウイルスに関しては、政権の初動対応が批判されましたが、歴史的にみて、日本はどうも、空気や忖度に流されてきた国であると指摘されています。

しかし、その歴史のなかでも独自の決断で国を守った先人がいた。終戦時に日本をソ連による占領から守った樋口季一郎・陸軍中将のお孫さんの樋口隆一さんとの対談をご紹介します。

日本がユダヤ人を救った美談はいろいろありますが、樋口中将は満州国に受け入れた人。対ソ、北方問題の専門家として、当時、満州国に赴任したのが樋口中将。ヒットラーが現われると日本でも朝日新聞までがユダヤ人を叩いていたそうですが、樋口中将はユダヤ人を熟知していた。当時も忖度文化が蔓延していたなかで、自ら下した独自の判断だった。ユダヤ人をカネのために利用しようとする人が大半のなかで、彼はユダヤ教の精神論を知っていた。

その後、北海道で対ソ連の防衛に当たったのが樋口中将。占守島(しゅむしゅとう)に終戦後、攻めてきたソ連を日本軍は撃退した。そのことも歴史書にはあまり書かれていない。樺太の戦いも負けっぱなしではなかった。戦車を肉弾で止めていた。日本は特攻機だけではなかった。普通の日本人が、このままソ連に負けてしまうと日本は占領される、そのときは爆弾を抱えてでも、戦車に突っこんでいった。

スターリンは、北海道、そして東北、さらには東京をベルリンの如く分割して取ろうとしていた。半生をかけてソ連と向き合ってきた樋口中将は、ロシア人は人間としては良い人々だが、国家としてのロシアはどうしようもなく、したたかな国、甘く見てはいけない…と喝破していた。

8月15日の終戦後、ソ連は撃ってきた。ロシア人がどんな人たちから知っていたから戦うことができた。樋口中将とたくさんの日本人が命をかけて戦ってくれたおかげで北海道、そして日本の半分が守られた。

いまはロシアと北方領土問題を抱えているが、歯舞・色丹は元々北海道の一部。北海道を取れなかった腹いせに、ソ連はそこを取った。ロシアはいまも、いずれ北海道を取りたいと思っている。ロシアがたった一回、負けた戦争が日露戦争だったから…。世界中であの国だけが、取れるものは取ろうとする国。それは、ピョートル大帝以来の国是。

国と国との関係とは国是であり、日本の国是とは何かがない。国是だらけのロシアとはやり合えない。樺太も元々は日本の島。日本は取られ放題の歴史。千島樺太交換条約で…。その千島列島も、サンフランシスコ講和条約とは関係なく、ソ連は実力行使で取っている。

…中国、北朝鮮、最近では韓国、それにロシアと、厄介な国々に囲まれている日本は、どうしたたかに生き抜いていくのか。これからも歴史を知るシリーズ、リアリズムの視点から次々と発信してまいります。