ソンミ、デビュー秘話... 苦しかった幼少時代 | K-POPちょっといい話

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BoAに憧れて

 

ソンミは1992年5月2日全羅北道益山市で2男1女の最初の娘として生まれ、慶尚北道慶州市に長い間居住した。そんな中、BoAを見て歌手になると決心し、13歳でソウルに上京し歌手オーディションを受けた。 ソンミは皇南小学校と徐羅伐女子中学校に通い、青潭中学校に転校して卒業し、ソウル市江南区にある青潭高等学校に転校し、以降ワンダーガールズの米国活動のために清潭高校を退学した。

 

 

父親が病気に

 

ソンミは小学校4年から弟二人と父親と一緒に住んでいたが、父親が病気になり入院した。学校の先生はこのような環境でも明るく誠実なソンミを見ながらたくさん助けた。先生方は、ソンミに先生になることを勧めたが、ソンミの考えでは先生になるには少なくとも10年以上勉強しなければならない。その間にお金を稼ぐことができない。 だから芸能人にならなければならないと思った。 幼いソンミが思うにはそれが一番お金を早く稼ぐことができる道だったと歌手になることを決心した。そして ソウルに上京してオーディションを受けた。故郷ではソンミの代わり弟二人が父親を看病した。

父親は家にいないソンミにときどき不平を言ったので、ソンミは耐えることがつらかった。 父親はソンミをたくさん頼り、 メールも頻繁に送った。 そんな父親にソンミはいつも返信した。 しかし、JYPでの練習生生活が大変になり、ストレスを受けた状態に陥った。ある日、 父親から「お父さん、先に行く」とのメールが来た。 ソンミはそのメールを見て返事をしなかった。 ところが、その翌日に父親が亡くなった。ソンミがワンダーガールズでデビューする3ヶ月前のことだった。

 

 

父親の遺書を見て

 

葬儀場に行ったら弟が常駐していた。 そして父親がソンミに書いた遺書のような手紙があった。 そこには、「また今度生まれても、私の娘に生まれて欲しい」という内容が盛り込まれていた。 まだ父親の最後のメールに返信していないこと、電話をしなかったことが心に残った。

 

 

父親へメッセージ

 

2018年2月5日放送オリーブTV「トークモン」でソンミは芸能人になった娘を見ることなく亡くなった父親に遅ればせながビデオレターを送った。「兄弟たちとうまくやっているから心配しないで。お父さんが今いるところが少し暗くて寂しいから、お父さんが住んでいた故郷に送ってあげるよ。だから寂しがらないで。お父さんが好きだった、お父さんが住んでいた海もあるから寂しがらないで。私は最後までうまくやるよ、パパ」

 

 

 

 

ワンダーガールズメンバーに抜擢

 

ソンミは公開オーディションを通じてJYPエンターテインメントの練習生となった。2005年07月15日入社はTWICEジヒョと同じ日であった。JYPで2年間練習生生活をした後、 ソネ、ヒョナ、ソヒに続き4番目のワンダーガールズメンバーに合流した。 プロデューサーパクジニョンはソンミの利点として、「安定したボーカル能力」を挙げた。ワンダーガールズのメンバーに選ばれた理由を「キュートなルックスに比べて成熟した声」を挙げた。

 

JYP練習生時代のTWICEジヒョとソンミ(二人は同じ日にJYPに入社した)

 

 

 

ワンダーガールズとしてデビュー

 

ソンミは2007年1月に女性グループワンダーガールズとしてデビューシングル「 The Wonder Begins 」を発売し、歌謡界にデビューした。 ワンダーガールズは、2007年と2008年にかけて「Tell Me」、「So Hot」、「Nobody」の3連続ヒットで多くの人気を得た。 2009年からは米国進出を試みて「Nobody」で韓国歌手としては初めてビルボードホット100 76位に進入した。 そんな中、ソンミは2010年2月学業のためにワンダーガールズの活動を中断した。


ワンダーガールズ(左からソヒ、イェウン、ヒョナ、ソネ、ソンミ)

 

 

JYPを辞めソロデビュー

 

活動休止後、学業と練習生に戻りトレーニング活動を並行しながら、2013年8月26日にシングル「24時間が足りなくて」を発売して歌謡界にカムバックした。 この歌は、Gaonデジタルチャート 2位に上がるなど大きな成果を収めた。 2014年2月17日には初のミニアルバム「Full Moon 」が発売された。 2015年6月24日、5年ぶりにソンミはワンダーガールズに再合流して正規アルバム「REBOOT」、シングル「Why So Lonely」を発売したが、ワンダーガールズはデビュー10周年を迎えた2017年に解散した。 2017年3月にメイクアスエンターテインメントに移籍し、2017年8月「ガシナ」、2018年1月に「主人公 」を発表した。

 


 

<終わり>