50を過ぎて気がついた~♪(はあ)絶対に諦めない「ひねくれじじい」の悪戦苦闘人生日記

50を過ぎて気がついた~♪(はあ)絶対に諦めない「ひねくれじじい」の悪戦苦闘人生日記

世の中の批判ばっかりしてても仕方がない!
50を過ぎてようやくそんな当たり前のことに気付いたオッサンが
なかなか思いどおりにいかない自分の人生について赤裸々に語っています。
皆さん、こんなオッサンですが仲よくしてやってください。

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MOZUの東役
イカれた悪役がハマってて、いい役者だと思った。

そして、デートの谷口巧役

MOZUの悪役から一転、今度は高等遊民を名乗るニート役

これがまた、見事にハマってる。

この役者最高にいい!


お金持ちになりたい人はいっぱいいる。
たまに、お金と幸せは関係ないと言って、お金なんてそんなにたくさんいらないって言う人もいるが。

でも、幸せになりたくないって人はいない。たまにわざとなりたくないって言う人まいますが、たいていは本音じゃない。

世のほとんどの人が幸せになりたいのだ。
そう!ほとんどの人が幸せに「なりたい」のである。

「幸せになりたい」
「幸せになりたい」
「幸せになりたい」………

幸せに「なる」?

当たり前のように幸せに「なりたい」って言ってるけど、幸せという状態・状況に「なる」ことなんてできるのだろうか?

「○○になる」っていう時、その○○という状態が明確になっているのが普通。
だから、そのなりたい状態を目標にできる。
でも、「幸せになりたい」というときの幸せの状態をイメージできてるのかなあ?

「年収いくら」とか、「理想の男性と結婚する」とか具体的なイメージを語る人はいるけど、そうなれば幸せになれると信じてるだけのことが多い。
実は何となくそうなれば幸せになれると思ってるだけで、その先の幸せのイメージはとても曖昧なんじゃなかろうか?

理屈っぽい話だけど、「幸せになりたい」っていう考え方自体がちょっと違うんじゃないか。

幸せって、「なる」もんじゃなくて、ただ「感じる」ものなんじゃないか?

幸せを感じる謙虚さと感受性を豊かにしたいと思う。


今までずっと、長い間、新年を迎えると、
「今年はどんな一年になるだろう?」と、
運勢や運命に想いを馳せていた。
誰もが、新年にはこれに近い想いを抱いたことがあると思う。
あまり深く思うのではなく、まあ、初詣に出掛けて、御神籤をひくようなものだ。
これを、他力本願と言ってしまえば、あまりに遊び心が無さすぎる。
新年ぐらい、ちょっと改まった気持ちで、新しい一年があい年であることを祈りながら、そんなことを考えるのはご愛敬ってもんだ。

私も毎年、そんなことを繰り返してきた。

ただ……
今年はちょっと異なる気分で迎えた。
「今年はどんな一年になるだろう?」ではなく、
「今年をどんな一年にするか!」だった。

なんか、心の奥にある意志が、妙に気合いを入れて、そんな想いを湧き上らせてきた。

確かに、「どんな一年にするか」は、自分次第だから、当たり前の想いなんだが、こんな気持ちになったのは恥ずかしながら今年が初めてな気がする。

それが善いことか悪いことかは、わからない。

ただ、少しばかり、自分の意識が変わってきたことを感じた新年だった。


年明けを厳かな気持ちで迎え、新しい一年が始まりました。
今年は例年以上に、新しい一年に懸ける思いが強い。
何故かは公表できませんが(^^ゞ

皆さま、今年もよろしくお願いいたしますm(__)m

歳をとると……
本当にあっという間に時間が過ぎ去ってゆく

一日は慌ただしく過ぎてゆき、
ぼやぼやしているうちに一週間も終わり、何も出来なかった、また来週となる。

ふと気がついたら、月が新たになり、もう○月かと呟いて………

そして、もう12月、一年は早いなあと言ってるうちに、明日は大晦日。

こんなに時の過ぎ去るのが早く感じられるのは、果たして歳のせいだけだろうか?

世の中も仕事も複雑になる一方で、やらなければならないことも増える一方。

しかも、デジタル化が当たり前だから、Excel、Word、上書き保存、プリントアウトと手続きが多い。

とても便利で効率的なんだが、手間が多くて意外と時間を奪っていく。

そういうこともあって、ますますますます時の過ぎ去るが早くなる。

人の寿命が延びるスピードと、複雑化して時が過ぎてゆくのを早く感じるのと、どっちが勝ってるだろう?

昭和初期以前の暮らしや高度経済成長期以前の日本人の暮らしと平成以降の暮らしと、どちらが豊かな一日を過ごしているだろうか?

豊かな一日とはなんだろう?
美味しいものを食べ、お洒落をして、高価なものを買うなんてことではないのはわかっている。

陽が高くなるのを肌で感じたり、その日の風を頬に受けて自然を感じたり、昼食や夕食を作るときに手間暇かけたり、食後には外を散歩したり……

時間が過ぎてゆくのを、ゆっくりと感じながら暮らすことが、ほとんどない毎日を過ごしているから、時の過ぎ去るが早いんだ。

生きてゆくには働かなければならないから、今の世の中のスピードに合わせて一生懸命生きているけれど、本当に命が歓ぶスピードなんだろうか?

時が過ぎてゆくのをゆっくりと肌で感じながら生きていることこそが豊か人生というのだろう。

来年からは、少しずつでいいから、肌で時の過ぎてゆくのを感じる時間を増やしていこう。