人が皆最終的に求めるのは幸せ | 50を過ぎて気がついた~♪(はあ)絶対に諦めない「ひねくれじじい」の悪戦苦闘人生日記

50を過ぎて気がついた~♪(はあ)絶対に諦めない「ひねくれじじい」の悪戦苦闘人生日記

世の中の批判ばっかりしてても仕方がない!
50を過ぎてようやくそんな当たり前のことに気付いたオッサンが
なかなか思いどおりにいかない自分の人生について赤裸々に語っています。
皆さん、こんなオッサンですが仲よくしてやってください。

お金持ちになりたい人はいっぱいいる。
たまに、お金と幸せは関係ないと言って、お金なんてそんなにたくさんいらないって言う人もいるが。

でも、幸せになりたくないって人はいない。たまにわざとなりたくないって言う人まいますが、たいていは本音じゃない。

世のほとんどの人が幸せになりたいのだ。
そう!ほとんどの人が幸せに「なりたい」のである。

「幸せになりたい」
「幸せになりたい」
「幸せになりたい」………

幸せに「なる」?

当たり前のように幸せに「なりたい」って言ってるけど、幸せという状態・状況に「なる」ことなんてできるのだろうか?

「○○になる」っていう時、その○○という状態が明確になっているのが普通。
だから、そのなりたい状態を目標にできる。
でも、「幸せになりたい」というときの幸せの状態をイメージできてるのかなあ?

「年収いくら」とか、「理想の男性と結婚する」とか具体的なイメージを語る人はいるけど、そうなれば幸せになれると信じてるだけのことが多い。
実は何となくそうなれば幸せになれると思ってるだけで、その先の幸せのイメージはとても曖昧なんじゃなかろうか?

理屈っぽい話だけど、「幸せになりたい」っていう考え方自体がちょっと違うんじゃないか。

幸せって、「なる」もんじゃなくて、ただ「感じる」ものなんじゃないか?

幸せを感じる謙虚さと感受性を豊かにしたいと思う。