デヴィッドフォスター | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

デヴィッド フォスター  (グラミー賞を15回受けている作曲家 プロデューサー   ホイットニーヒューストン セリーヌディオン)

               

                   自伝  2009年


 ある日の事、僕はまだ13歳だったが、ラジオでビートルズの曲を聴いた。それは(シーラブズユー)だったが、世の中がひっくり返ったような衝撃を受けた。僕は無我夢中になった。こんな音楽を聴いたのは生まれて初めてだった。僕はそれまでやっていた曲をすべて投げ出してこういったタイプの曲ばかり演奏したくなった。僕はその後、14歳で僕のビートルズバンドを作った。


 チャックベリーとツアーをしている時に魔法のようなひと時が訪れた。ギグを初めて一週間ぐらいたち、サヴィルシアターで演奏していた時の事だ。ふと見上げるとビートルズのメンバーが4人そろってボックス席にいたのだ。しかも(サージェントペパーズ)のジャケットそのままの出で立ちで。まるで夢のようだった。この興奮を分かち合おうとチャックベリーに何か言おうとしたが彼はまったく意に介さなかった。彼はいつものように(用意はいいか。いくぞ!)そう怒鳴るように言うだけだった。


 ある午後の事、電話が鳴ったので聞き覚えがある声が聞こえてきた。(やあ。デヴィッド。ハリスンだけどジムケルトナーとしゃべっていたら、君が良いプレイをすると聴いたものでね。)なんと声の主はジョージハリスンだった。僕は一瞬声を失ってしまったが、すぐ我に返ってこう言った。(ケルトナーが私を推薦してくれたのですか?)(こっちへ来ないか?)ハリソンは何気ない口調でそういったが、僕はもう何が何だか分からなくなっていた。ジョージハリソンと話をしてるんだ。こんなこと起こりっこない。僕はただの田舎の子供なのに。


 僕はスタジオまで行ってジョージハリソンと会った。彼は物腰の柔らかい、とてもフレンドリーな人物だった。神のようにあがめられているにもかかわらず、ごく普通にふるまっていた。しかし、あまりしゃべるタイプの人ではなかったのでこれといって面白い話を聞き出せなかった。それでも、僕の仕事は気に入ってくれたらしく、(ジョージハリソン帝国)と(33 1/3)の二枚のアルバムのアレンジを手伝ってほしいと言ってきた。私は両方のアルバムで何曲かストリングのアレンジをし、一生懸命やったがどちらのアルバムもヒットしなかった。多分、僕にも責任の一端はあったのだろうがよくわからない。


 ジョージハリソンのエピソードとしてもう一つ披露しておきたい話がある。ある夜ケルトナーと僕はキャロルウッドにあるハリソンの自宅に行き、軽く飲んで音楽を聴いていた。リンゴスターもその場にいたので、僕は突然あるアイディアをひらめいた。(ねえ。ジョンとポールに電話してここへ来てもらったらどうですか?)


 僕はロスに二人がいることを知っていたし、どういうわけだかビートルズが4人勢ぞろいするなんてことが実現しそうな気がしたのだ。ハリソンは向こう側から僕を見て言った。(うん。悪くない考えだ。)リンゴはただ、(うーん)と唸っただけだったが、別に嫌そうじゃなかった。でも誰も電話をかけようとせず、時はそのまま過ぎてしまった。考えてみれば、ビートルズを再び引き合わせた男として、歴史にその名を残せたなら、僕としても鼻が高かったのだが。
 

 



               

                 
 当時のマネージャーから電話がかかってきた。(ポールマッカートニーが一緒に仕事をしないかと言ってきているんだが。)僕は耳を疑った。ポールマッカートニーは(シーラヴズユー)で僕の人生を変えた人物だ。その彼から次回作のアルバムを手伝ってくれなんて頼まれるなんて!!僕は取るものもとりあえず、ロンドンへ飛んだ。


 ポールは実に小さい車に乗ってきた。ミニクーパーだ。ポールは僕を載せて自宅へと連れて行ってくれた。彼は車の中ではあまりしゃべらなかったし、家についてからもあまりしゃべらなかった。奥さんのリンダイーストマンと二人の子供たちを紹介してくれたが、気が付いたらみんなでジャムセッションをしていた。それはまるで(素敵なパートリッジ)から抜け出してきたような光景だった。みんながみんな手に手に楽器を取って、音楽を奏で始め、ふざけあったりして楽しく時を過ごした。それはまるで僕が昔、父と一緒にジャムに興じていた時のようだった。


 マッカートニーの自宅は寝室が5部屋のシンプルな家だった。リヴィングルームのテレビの前に一人用のソファーが置いてあったのは記憶に残っている。それと正真正銘、本物のピカソの絵が3枚部屋の隅に立てかけてあったこと。どうやらその絵はずっと壁に掛けてもらえないみたいだった。


 初日の終わりにリンダが手作りの夕食を出してくれたことも覚えている。焼いたハンバーグをフライパンから直接、食卓のお皿に盛って出してくれた。夕食の後、子供たちの一人が学校のダンスの行事に行くことになっていて、その子がポールの方に走って来るなり、(ジャケットを借りてもいい?)って尋ねた。(良いよ。)とポールは答えた。(ただし、元の所へちゃんと返してくれたらね)。それはあまりに普通すぎて、かえって現実離れして見えた。僕はもっと違うものを求めていたのだろうが、現実のポールマッカートニーはこんな風だった。


 残念ながら僕とポールとは音楽的に合わなかった。僕はロンドンへ(ザロングアンドワインディングロード パート2)を書こうと意気込んできたのだが、それは実現しなかった。多分、僕のせいだろう。僕の調子は最悪だった。しかし、ポールにもまったく非が無かったというわけではない。僕はポールの事が大好きだったし、彼に畏れにも似た思いを抱いていた。きっとそういう気持ちが強すぎたのだろう。しかし、ポールは僕がもう一度自らの素晴らしさを思い出して欲しいと思うアーティストだった。なにしろビートルズ時代のポール以上のソングライターなんてこの世には存在しないのだから。彼はかつて奇跡だった。そして、僕はその奇跡から生まれた子供の一人だった。


 僕は色々やってみたがポールは耳を貸さず、それはまるで盛り上がらないデートにも似ていた。盛り上がらないデートの連続を10回ほど重ねたと思う。僕は何か良いことが起こらないかと期待し続けた。何かしら突破口が見つからないかと思っていたのだが、自分があまりにも尊敬する相手に方向性を与えるというのはどうも上手くいかなかった。


 そしてデイヴギルモアがスタジオに現れると事態はますます悪化した。ギルモアはピンクフロイドの名ギタリストだ。僕は委縮しきってしまって、何の指示も与えることが出来なかった。僕は頭の中でずっと呟いていた。(一体、彼になんて指示を出せっていうんだ?)僕はスティーヴィーワンダーにも(シカゴの)ピーターセテラにも(こんな曲は屑だ。)って言えた人間なのに。そして結果は音に現れていた。

 

デヴィッドさん

https://www.youtube.com/watch?v=0_Juxca_XHo

 

 

 



 ある日の事、レコーディングの機材が故障してしまい、(直すまでには2時間はかかります。)と言われてしまった。ポールと僕はスタジオのキッチンに行き、向かい合わせに座った。ポールは正面からじっと僕を見つめていた。(少なくとも2時間はこうして座っていないといけないという事だ)とポールが言った。彼は僕に(何でも好きな事を聞いていいよ。)って言った。


 こんなことが起ころうとは予想もしていなかった。僕は小さな子供のように興奮した。ついにあの噂の真相を聞く事が出来るのだ。それも渦中の人物の口から直接だ。一番聞きたかったのはビートルズが解散した日の事だった。だけど、いきなり本題に入るのもどうかと思い、まずはジョージハリスンの事を聞く事にした。ジョージとは一緒に仕事をしたし、全然知らない中ではなかったからだ。

 
 (ジョージの何が知りたいんだい?)とポールは言った。(彼はものすごく良いソングライターですよね?ほらサムシングなんか本当に永遠の名曲じゃないですか?)ポールは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。(まあ 誰だって一曲ぐらいは上手くいく時もあるさ。)

 
 僕は冗談で言ったのだろうと思った。それはきっと冗談だろう。いや、やっぱり冗談じゃないかも知れない。もしかしたらマスコミは見当違いをしているのかも知れない。マスコミやみんなが思っているようにジョンレノンとポールの間に摩擦があったのではなく、ジョージとポールの間に摩擦があったのかも知れない。僕はもうちょっと突っ込んで事の真相を尋ねたかったが、ファンとしてはそれ以上知りたくないという思いもあった。


 そこでいよいよ(解散の日)について聞いてみることにした。おそらくは音楽史上、もっとも取り沙汰されてきたであろうその瞬間の事だ。ポールはこの問いにも実にざっくばらんに答えてくれた。ポールの言う所によるとこうだ。バンドのミーティングがあったのだが、ジョンはヨーコを連れて遅れてやってきた。ジョンは他のメンバーに向かって(僕はバンドを辞めるよ。)って言って、ヨーコと一緒に出て行ってしまった。

 
 (それからどうしたんです?)僕は身を乗り出して聞いた。(そうだね。)ポールは答えた。(そういう状況に立たされた時、他のバンドがする事と変わらないことをしたね。3人でお互いの顔を見合わせてこう聞いたよ。((で、誰を入れる?))ってね。そこで色々な候補を挙げはじめた。クラプトンはどうだとか、ジェフベックはどうだとか、リチャーズはどうだとかね。)


 (なるほど)と思った。若いバンドが同じような状況に立たされて、メンバーの一人が辞めると言ってきたなら、残ったメンバーの口をついて最初に出てくる言葉といったら決まっている。それは僕にも経験がある。


 (で、誰を入れる?)





 

 僕は音楽業界が好きだ。この業界の人間が不平を言っているのを聴くのには飽きあきする。エルヴィスが登場した時、(音楽は永遠に葬り去られた)と業界の人間は言った。ビートルズが現れた時も同じような事を言った。(新人類がやってきて音楽はドブに流されてしまった。)ってね。


 パンクだ。ディスコだ。ラップだ。と流行は常に変わり続けている。それは歓迎すべき事だ。音楽が悪くなったから業界を辞めるなんて言う人間は周りにも自分自身にも嘘をついている。そんな連中は音楽業界を見捨てたんではない。音楽業界に見捨てられたんだ。





◎ヒットする方法をあるいはヒット曲を作る方法を教えてください。



 そうだね。昔、クインシージョーンズは僕にいつもこういってくれたものだ。(ヒットを飛ばすために重要な要素は3つある。1に歌、2に歌、3にも歌だよ)ってね。さあ、ヒットした人たちのことを思い出してごらん。





◎若いキーヴォードプレイヤーに言っておきたい事はありますか?




 すべてのミュージシャンに共通して伝えたいことは、(気取ったミュージシャンにはなってはいけない)っていうことだ。多くのキーヴォードプレイヤー達は僕より上手くキーヴォ―ドを弾くかもしれない。それは周りの人を感心させるかもしれないが、だからといって君をその道のトップに押し上げてくれるわけではない。多くの人たちはこう考える。(僕にはテクニックがあるのに、なぜ認めてくれないのだろう?僕はたくさん練習してここまで弾けるのに。。)


 君をその道のトップに押し上げてくれるのは(演奏のテクニック)じゃあないんだよ。君をトップに押し上げるのは(音楽に対する姿勢)なんだ。そして若い君たちがこれから出会うすべての事をチャンスだと見做すことが出来るならば、自然と君たちはトップに押し上げられるだろう。


 さあキーヴォードに限らずその道のトッププレイヤーを思い出してみればいい。何故彼らはトッププレーヤーだって言われたのか。彼らはテクニックを追求したと思う?






◎貴方のフェイヴァリットビートルは誰ですか?


 ポールマッカートニーだよ。僕は彼の曲が好きなんだ。ただ彼の曲や歌が好きなんだけど、ミュージシャンやプロデューサーの立場から客観的に見ても素晴らしいと思う。ロックンローラーが(イエスタデイ)や(エリナリグビー)を書いたんだ。

 

 

ビートルズやポールについて

https://www.youtube.com/watch?v=3euBZtOYlfA

 




◎貴方のビートルズの一曲は?


  (ロングアンドワインディングロード)だよ。

 

 

 

◎今までで一番いい曲は何だと思いますか?

 

  ビートルズの(イエスタデイ)だよ。僕はビートルズが好きだった。ポールマッカートニーはファンタジーの国の住人じゃあないよ。彼は実際家なんだ。僕は彼からソングライティングを実際に学んだよ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=CUCLNPOjPZw

 

https://www.youtube.com/watch?v=kNlVIMrUU6w

 

https://www.youtube.com/watch?v=H9nPf7w7pDI

 

https://www.youtube.com/watch?v=kVLzWqITfMs

 

https://www.youtube.com/watch?v=FxYw0XPEoKE

 

https://www.youtube.com/watch?v=m3-hY-hlhBg

 

https://www.youtube.com/watch?v=ymuWb8xtCsc