ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

追記しました。

アンディーパートリッジ  

 

 

     

    

  ジョンレノンの歌詞はとても面白くて残酷でもあった。そこが面白かった。彼はかつての非道徳的で差別的な表現を広く切り取って採用していた。彼のユーモアが例えば『妻を連れて行ってくれ』だけだったら、私はただ寝落ちしていただけだろう。ユーモアがあって、しかも衝撃的だからいいんだよ。ユーモアの中で人の顔を叩く感じがあるから、より深く印象に残ったんだよ。



  彼のコメディとシュールレアリズムは、彼の最も得意とするところだったと思う。それは彼が話すこと、歌うこと、書くことのすべてにあった。会話の中でもそれが感じられる。それは岩の棒のように焼印が押されているんだ。岩の棒にレノンという文字がある。どこを切ってもレノンと書いてある。それが彼の考えるシュールなユーモアなんだよ。

 

 

 ジョンはメロディーを見つけると、わざわざそのメロディーを変えるよりも、その下のコードを変えて同じメロディーを維持するんだ 。そして新鮮な空気を求めて、『We Can Work it Out』や『Happiness is a Warm Gun』のようなワルツ タイムの曲を思いつくんだ。

 

 

  私は時々、彼と会話している夢を見るんだ 。彼のユーモアや奇妙さ、テレビ番組でインタビューされる姿を見ていた。『ハード デイズ ナイト』や『ヘルプ!』を見たり、彼の本を読んだりそういうことが大好きだった。彼は私にスマートであることを教えてくれた。彼に感謝しているよ。

 

 

 

      mojo誌  2003

 

 

  ポールマッカートニーはとても魅力的だった。なぜならば彼はありえないほどメロディックだし、甘い曲を作ることを恐れていないからだ。それをするにはたくさんのガッツがいるんだよ。

 

 

  私の好きな歌?  『Getting Better』は非常に幻想的で楽観的な作品で、複雑に曲がりくねった構造をもっている。そして、彼のベース演奏はまるで彼の歌みたいだし、パイプ楽器やフルートみたいなものなんだよ。そして『Hello/Goodbye』のオープニングコードは一筋の太陽の光のように伸びてくる。繰り返しになるけど、この曲も恐ろしく楽観的だ。君はこの曲からいい経験ができることを期待できるよね。この曲には今の音楽にある偽りのシリアスさなんか無いよ。

 

 

  彼は1つのジャンルに自分自身を制限するってことで問題を抱えたことがないんだ。。。。。なぜなら彼はロックをやりきる事ができるし、前衛的(アヴァンギャルド)な曲が作れるし、子供向けの音楽を作れるし、ティーンエイジャーのためにポップも作れる。。。。彼を2番目のビートルとして見ている人間がいるなら、そいつは馬鹿だよ。

 

 

  ジョンとポールの二人の間でやっていたのは、(同等の才能を持つ人間同士がやる愛のある宝石のような綱引き)がすべてなんじゃないかって私は思っているんだ。





◎(ゲットバック)の映像はあなたにはどう見えましたか?

 

 真新しい感じはしなかったね。思った通りだった。

 

◎それはどのような感じですか?

 

 ポールマッカートニーの創造性は天才的だなあと。。でも音楽を通して知っていたことだったから真新しさはなかったんだ。




                      英 モジョ誌  2013


ビートルズ (レイン)解説


〇リンゴの偉大なるドラミングが引き起こす反体制サウンドの豪雨


   (レイン)について話し出したら無限に話すことが出来る。僕にとって(レイン)が象徴するものは、2本のギター、ベース、ドラムで作りえる限りの音楽をやりつくしてエベレストの頂点に辿り着いた(当時の古いビートルズ)が成し遂げた壮大なる大爆死だ。


  (古いビートルズの死後)彼らは外の世界に目を向け次の方向としてサイケデリックを考えた。必然的に彼らは破滅の一途をたどる。僕が、(レイン)を初めて聴いたのは13歳のとき。スウィンドンのユースクラブのラジオで。曲が終わらないうちに既に一緒に歌ってた。逆回転のボーカルに戸惑った。


  僕は共感覚な所があって、この曲を聞くたびにブロンズ色が見えてくる。ギターはまるで2枚の古代ギリシャの盾が閃光を放ち、お互いに激しくぶつかり合ってるようだ。ベースは素晴らしく誇示されている。かつて他にこのような優れたベースサウンドを出すことが出来た唯一のレコードはタムラモータウンだけだよ。


  ビートルズは(レイン)で録音速度に手を加え始めた。ドラムサウンドはこれまでにないくらいに大きく、強く打つようになった。これより凄いスネア音って聴いたことある?

 
  (レイン)はイギリス人の精神を示唆してる。アメリカンサイケデリカはドロドロしていてA級ドラッグにうんざりする程の濃い政治色。イギリスサイケデリカはもっと穏やかでコミカル。アリスとハーマイオニーという二人の女の子がテムズ川の辺で、ばかでかい水仙と紫の煙の爆弾に囲まれピクニックしてるイメージ。


  ジョンレノンが死んだ日、XTCはリバプールでギグをした。(レイン)と歌の形が似ているタワーズオブロンドンの終結部でレインの曲へと移行した。悲しみで心が引き裂かれそうで、涙が頬を伝って流れたんだ。すごく変な感覚だった。

 

 

 

 

 




                 ツイッター   

◎ヘルタースケルターのジョンレノンのひどいベースプレイに文句言う人っていないの?


 まったくその通り。聴こえない。レノンがベーシストになれるワケがないよ。だって誰かに服従するような人間じゃなかったから。




  ジョージの(オールシングスマストパス)があのようなビートルズ風サウンドになったのはレノンとポールがビートルズのアルバムには入れてくれなかった曲ばかりだからなんだ。

 
  バンド内部にはそれぞれの世界の常識があって、ビートルズとはある意味、ジョンとポールのバンドだったんだよ。例えばXTCにはバリー アンドリューズというキーボードが居た。彼は僕に色々提案してくるんだよね。でもXTCは僕とコリンのバンドだった。彼が言うのは正論だったけど、結局、彼はバンドから出て行くことになった。つまり、ジョージ ハリスンがバンドに対してアルバムにもっと彼の曲を入れる様に言ったとしても、それが通らないというのはビートルズのバンドの常識であった訳だ。ビートルズアンソロジーのジョンを抜いた三人がいた場面での彼らの関係でもそれがわかると思うんだけどね。分かるよね。それがバンドというわけなんだよ。




◎好きなポールのソロアルバムは何ですか?


  (ラム)だけど、ポールは時にはレノンに (僕はもっとすごい曲作ったぞ。) と言われないと駄目なんだ。彼には刺激が必要なんだよ。






 オリジナリティー(独創性)とは自分が影響を受けた音楽をめった切りにするってことだよ。自分の音楽のヒーローを間違ったやり方で肉挽き機に押し込むことなんだ。その機械から出てくるものは独自の個性的なサウンドの様に聴こえるけど、実はそれは常に多大な影響を与えたヒーローの生の肉から作られたものなんだよ。




◎新しいバンドに、音楽業界についてアドバイスはありますか?


  こういう時代だから全部自分でやること。でも、今では誰も音楽なんかにお金を出していないから生活していけないだろうけどね。だから、音楽は趣味としてやること。キャリアとしてではなく。それが出来た時代はもう消えた。



◎もし、昔に戻れたら、また同じことをするでしょうか?


  いいえ、やりませんね。画家になっているでしょうね。



◎この質問は使い古されていますが、どうしても聞きたいんです。ビートルズ派か?ストーンズ派か?


 両方。 でも。。。。もしかしたら。。。もしかしたら、むしろ、キンクス派かも

 

 

 全部簡単なコードばかり。 だって、知ってるでしょ、僕は世界一怠慢なギタープレーヤーだって。ジョンレノンのギタープレイが怠慢だって?僕のギタープレイを観た事ないんでしょうね     

 

 

      ツイッター 2011 2012


◎ あなたはビートルズを褒めてばかりいますよね。もう明らかに過去のバンドなのに。。過大評価だとは思いませんか?僕はそう思っています。  

 

 

  ああ それはつまり僕らがブッダから産まれたんだって言ってるだけなんですよ。  すぐに僕の家にマッカ、レノン、ボウイ、コステロを連れてきてくれ。曲を作るから。すぐにだよ。今アコースティックギターを膝に抱えてるんだ。  

 

 

テリー チェンバース(ドラム)はパンク版のリンゴスターだよ。

 


 

 

コリン モールディング(ベース)はジョン ディーコン(クイーン)とアンディ フレーザー(フリー)を足した様ないわゆるマッカ―トニー派の中でも非常にメロディックなベースプレイヤーだよ。 だけど彼は消極的なんだ。ピンクフロイドからロジャー ウォータースが抜けた時に誘われたのに断ったんだよ。信じられないよ。 

 

 

 デイヴ グレゴリーはジョンレノンが好きだった。非常に現実的なダメなやつだった。

 

 XTCにはポールマッカートニーが二人。才能が足りないポールと消極的なポール。それからダメなジョンレノンとパンクなリンゴスター。

 

◎僕はHMVで働いている者です。現在みんなでイギリスのトップ10アルバム投票をしています。個人的にはXTCのアップルヴィーナスがビートルズのリボルバーとクラッシュのファーストアルバムの間にあると思ってます。

 

 有りがたいけど、おそらく月曜日出勤したら君は解雇されているだろうね。

 

 ビートルズ風と言われるのには飽き飽きする時があるね、だからってどうする事も出来ないし。まあ、「コールドプレイ風」と言われるよりましかな。

 



 1973,74年ごろ僕はコリンとテリーでまったく冴えないバンドをやってたんだ。生まれ変わる必要があり、音楽性とバンド名を変えた。XTCという名前はジミーデュランテ(俳優)が忘れてしまったコードを思い出して(これだ!僕は今エック スティーシーを感じてる!)という台詞から取ったんだ。省略名はポスターや印刷文字でも目に飛び込んでくるし
 

 


◎マッカートニーのトリビュートアルバムに 参加するとしたらどの曲を選びますか。大抵はみんな、まず最初に決めるべきは、ポールのソロの歌か、ビートルズ時代のポールの歌か、どちらを選ぼうかということですよね。

 


 たぶんビートルズ時代のポールの歌ですね。というのは、ビートルズにいた当時のポールは自分の力を証明しなければならなかったんです。あのバンドには彼に対抗して(いや、君のより僕の歌の方がもっと良いよ、この歌聴いてみろよ)なんて言ってくる奴がいたわけですから。だから、僕が思うにポールの最高に良く出来た歌の中でも選び抜かれた最上の作品だけがレコードにされたわけです。しかし、彼のソロの作品では、そのような最上の作品と共に聞くに堪えない出来損ないの作品も混ざってしまっているんです。

 

 

 僕は夢を見るんですよね。彼から電話がかかってきて(もう曲が出来ないから、助けてくれ)って言われるのを。僕が落伍者だということはもちろんわかって言っています。僕は道を間違えたのかも知れない。彼の様に他人の心を動かして自分の財産を使うようにさせる音楽とそうでない音楽には大きな差がある事を知っています。でも、そういった事実もかつては僕が音楽をやり続ける情熱になってきた訳です。

 
 ビートルズの音楽が与えてくれた喜びほど大きな意義のあるものは無い。何もかもが彼らと比較してしまう人間もいるくらいで、彼らは音楽という形で遺産を残してくれた。それにのめり込んで人生を送っている人間にとっては、ビートルズがもはやこの世に存在しないという事はつらい事だと思う。
 

 


        インタビュー



 僕らはみんなが思っているほどビートルズのことを強く意識しているわけではない。でもビートルズの話をする場合、二人のミュージシャンのことを話さなければならない。



 ジョンレノンの音楽は自由で乱暴とまでいえるかもしれなかった。音楽的要素以外のジョンの存在がそこにはあるんだ。ジョンはロックスターであるとともに芸術家で思想家であり、彼の孤高の音楽は参考にするのは難しいものだった。ジョンレノンの音楽は彼独自のものだった。


 対してポールマッカートニーの音楽は非常に完成されている音楽理論に沿った物だった。だから彼の特徴は解明され、ビートルズを参考にしたいミュージシャンにとっては、彼の曲こそが教科書になった。(サージェントペパーズ)からの彼はシンフォニックになっていく過程だったが、それを参考にする事がビートルズっぽい要素を出す事の近道だった。そのようにすると、いくつでもポールの様な曲は作れたが、不思議な事にそのどれもがポールが作る曲の水準には及ばなかった。


 サージェントペパーズは傑作だけどみんな勘違いしてると思う。4トラックっていうけど1つのトラックにいくつも重ねて結局40トラックぐらいあるんじゃないかな? ア デイ イン ザ ライフは本当に素晴らしい。ジョージマーティンは5人目のビートルズと言えると思う。
 


 僕が好きな詩人は、キンクスのレイデイビス、ジョンレノン&ポールマッカートニー、バートバカラックの相方のハルデイヴィッドだよ。ただの描写で歌詞を作るより、言葉遊びで凝るほうが好きだね。

 


 僕らはビートルズの様なスタジアムのショーバンドではないんだ。レコーディングミュージシャンなんだ。



2012  ポッドキャストのインタビュー

 


 音楽の上達にはあんな風になりたいと願う音楽の歴史に名前を残した達人たちを目標に定め、その人たちの演奏をそっくり真似が出来るようになり、横たわる達人達の死体の山よりも、少し自分を高みに置けるようになるまでコピーしまくるんです。それは画家になりたいとか、サイクリストになりたいとか、レスラーになりたいとか、それが何であろうが上達するには同じことが言える。達人の連中と同じくらい腕が上がるまで真似をしなくてはならないんです。願わくばいくらかは自分の方がそういう達人より上手になったと感じられて自分を高みに到達させることが出来れば良いですよね。
 

 


◎XTCはさかんにビートルズと比べられて来ました。その中であなたはレノンの役割を果たしていたんですか?

 

 
 その例えは何度も聞きましたが、いいえ、まったく違いますね。レノンはちょっとlazyな人でしたよね。つまり、レノンの曲って、こんな感じですよね、(ギターを弾いて抑揚のない単調なメロディーを歌いだす)これがメロディーさ、ララ、ララ、ラララ、これもメロディーさ、ララ、ララ、ラララ、コードは進行するのにメロディーが一向に変わらない。彼はlazyな男です(笑)でも、まあ、それが彼のトレードマークだったんですけどね。だから、君には悪いけど僕はレノンよりもずっとマッカートニーの方から影響を受けましたね。

 


 僕らのバンドは他の多くのビートルズフォロワーと同じ様にマッカートニーメロディーズの深い森の中で彷徨ってきたとでも言えばいいんでしょうか。(The Dukes Of Stratosphear)の(Brainiac's daughter)を聴いてみて下さい。そこには二人のマッカートニーがいますよ。でも、ジョンが素晴らしくないといっているんじゃないですよ。ジョンレノンは不世出の芸術家ですよ。彼は音楽以外の部分を含めて説明されるべきですよね。

 

 

 

     ギターワールド  2024 

 

◎XTCをギター バンドだとは思っていないのですか? 

 

  XTCは派手じゃないから、多くの人は "ああ、彼らはポップな曲をやっているんだ "と思う。そう、そうなんだ。僕たちはソロを伸ばしたりしないし、ギターの限界に挑戦したりもしない。必要なのは「その曲には何が必要なのか」という古典的なものだ。ギターは弾くけど、眠くなるまでずっと弾き続けることはない。 「ビートルズ、キンクス、スモール フェイセス、ローリング ストーンズのようにね。これらのバンドには、確かに適当なプレーヤーがいた。派手さはあっても、曲の必要性に集中する。それができなくて、不必要に派手なバンドが多すぎる。

 

◎ 現代のギターシーンは、テクニカルな技巧を過大評価していると感じますか? 

 

  本当に偉大なプレイヤーは、作曲家ではない傾向がある。曲のために働くか、楽器の音のために働くかのどちらかだ。この2つを両立させるのはほとんど不可能だ。ソングライターでもある素晴らしいプレイヤーはあまり思いつかない。 私のお気に入りの一人は、70年代初頭にいたオリー ハルソールだ。彼は本当にギターを焼き尽くし、灰を吹き飛ばすことができた。彼はその両方ができる稀有なプレーヤーだった。彼を知る人が少ないのは残念だ。

 

◎ 他に近い選手はいましたか? 

 

  現在では、マッテオ マンキューソが近い。私はジミヘンドリックスが大好きで、ロリーギャラガーから多くを学んだ。テイストの頃ね。彼らはブルース、ジャズ、ロックをうまくブレンドしていた。ロリーが彼らをクビにして別のバンドを結成し、ベーシックなパブ ロックを演奏するまでは、彼らは素晴らしかったんだ。その後、アランホールズワースに出会った、彼はまるで火星人のようなギタリストだった。 これらのプレイヤーはみな素晴らしいギタリストだったが、ソングライターとしてはそれほどでもなかった。偉大なソングライターのほとんどは、技術的な基準から言えば、ギターをほとんど弾けない人たちだということがわかったよ。その完璧な例がジョンレノンで、彼は偉大なソングライターだったが、ギターの演奏はせいぜい不器用なものだった。

 

 

 ◎ビートルズの気持ちが理解される場面はあなたのバンドでありましたか?
 

 ええ。ぼくのバンドにもソングライターが二人もいましたから。つまりテープを置いて行くんですよ。(ちょっと曲を作ったから聞いてみてよ)って。そして曲を聴いた後の背筋がぞっとする感覚なんてみなさんにはなかなか想像出来ないでしょうね。でもそれだけじゃなくて、熱いやる気がみなぎってくる感じがあるんですよね。つまり、レノン=マッカートニーの楽曲の本質っていうのは二人の協力体制というよりも二人がライバル関係だったという事の方が重要だと思うんですよね。



◎キンクスやフーは好きでした?

 



 ええ もちろん。彼らは素晴らしいシングルをたくさん出した。だけどビートルズみたいにアルバムのほとんどが良いというわけではなかった。

 

 

 

◎あなたにとってギターが作曲のメインの楽器ですか?



 いや、僕自身がメインの楽器ですと言いたいですが、まあこの首からぶら下がっているこのラブリーなギター。そう、ギターです。というのは、自分はピアノが弾けないもので。キーボードを叩くのがすごい下手なんです。僕に出来るのはちょっとマッカートニーっぽいどんくさいピアノ。だからこんな感じ、タン、トン、タン、トン。



◎ポールマッカートニーはそろそろ音楽活動をやめた方がいい?

 まあ。そうですね。でもその前に僕に声をかけて欲しいです。

 ビートルズのメンバーは誰も音符に詳しくなかったし、楽譜をかけず、音楽理論など知らなかった。彼らはただ自分たちの耳だけに頼った。僕はレイデイヴィス、ポールマッカートニーと肩を並べるソングライターなんて風に言われたかった。でも僕では人々との心のつながりを持てなかった。僕らの音楽的才能なんて実際お見せしたら、恥ずかしい程度のものですよ。僕らの音楽はミュージシャンばかりが聞いてたんじゃないでしょうか。

 

 

 ビートルズが嫌いな奴とは話しもしたくない。人間じゃないよ、何か別の生き物だ

 



         ツイッタ― 2012

 いまだに僕らのバンドが作る楽曲の事を変態メロディーだとかひねくれたメロディーなんて言われるのには失望してしまう。僕はそんな曲を目指してメロディーを作ったことはないのに。


 だって一方でポールマッカートニーは僕よりも奇抜なコードを使っているのに素晴らしいメロディーメーカーって言われるんだ。落ち込んでしまうよ。もちろんビートルズの楽曲は素晴らしいってわかってるよ。才能の違いについてもわかっているんだ。
 


◎最近XTC&ビートルズばかり聞いています。僕は頭がおかしくなったんでしょうか?

 


 まず最初に、レノン=マッカートニーと僕らとは明らかに音楽上似てる点があります。願わくばあなたにも同意していただきたいのですが、趣味の良い音のアレンジメント。無駄のない曲の構成。初期のひどい歌詞作りからより興味深い歌詞へと成熟。メロディーと予期しないコードが大好きなところ。それに育った環境が似ていますね。イギリス人の労働者階級、メンバーは同じ学校に通ったし、地理的な近さ、お互いへのサポートなどです。



 しかし、子供の頃、森の中でも最も臭いお尻がわかったように、(つまり隠そうとしても隠せない事は)ビートルズこそがXTCというバンドが存在する理由なんです。でも私たちだけばかりではなくて。彼らこそがみんなに影響を与えたんです。あの(ビッグバン)こそがこの世の99%のグループが存在する理由なんです。もちろん、僕らとビートルズの間にはいくつかの非常に大きい違いがあり、それは明らかです。例えば彼らにあったのは多大な名声と経済的な成功、先着順の地位(つまりみんなより先に始めたバンドという地位)、求められていたものを求められていたタイミングで世に出すことが出来た運の良さなどです。

 

 

 でも、自分の好きな二つのバンドをくっつけて考えるのは簡単なものですよ。いろんなつなげ方ができますよ。それでは、ゲームを始めるにあたり、まず僕から。自分がずっと昔から好きなキャプテンビーフハートとモンキーズの二つのバンド。それからキンクスとトニーウィリアムスの組み合わせ。では、生徒たち、このバンドたちにどのようなつながりがあるのか議論して下さい。君たちが思っているよりずっと似ている点があるはずなんですよ。


 
          2011 彼のホームページ

◎ポールマッカートニーに会ったことはありますか?


 エアースタジオで、恐らくXTCのママ―というアルバムをレコーディングしていた時に、すぐ隣のスタジオでマッカートニーがリンゴスターとヤアブロードストリートのレコーディングをしていたんだ。そうだとはっきりとは言えないけどね。

 

 

 ある時、マッカートニーがリンダと廊下を歩いて来て僕とすれ違いそうになった。でも僕には自己紹介する勇気が無くて、思わず横のスタジオに逃げ込んだら、そこでレコーディングしていた(ジャパン)のメンバーがビックリしてたよ。次の日、マッカ―トニーがスタジオの食堂でジョージマーティンと小さな声で意見をぶつけ合っているのを立ち聞きしてた。

 


 マッカートニーがレコーディングを終えて帰った後に僕はコリンモールディング(ベース)と彼らのスタジオにこっそり入り込んで二人共にマッカートニーのギターのピックを一枚づつ、それから僕はリンゴのドラムスティック2本取ってきたんだ。

 


 リンゴにはレコーディングセッションでそのことを告白した。サー ジョージマーティンはワンダーランドで使ったオクターブジェネレータを貸してくれてどうやって操作するか見せてくれた。ジョージマーティンとの仕事はそれだけだね。

 


 でも盗むことは良くないことだよ。マッカートニーから直接ギターのピックをもらった(ディープパープルの)リッチーブラックモアはマッカートニー型のピックを使えたけど僕はそういう理由で使えないんだ。ファンとして少し寂しいね。

 

 



        2011

◎トッドラングレンとの仕事はどうでしたか。
 


 あれは失敗だったよ。まるで想像しない結末だったね。僕らは簡単に想像したよ。アンディ―マッカートニーとコリンマッカートニーならトッドマッカートニーとは全て上手く出来ると思ったんだ。でも気付いた時にはもう手遅れさ。

 ちょうどジョージハリソンがエレクトリックライトオーケストラのジェフマッカートニーと上手くやっていたね。どうやら僕らは選択肢を間違えたみたいだった。

 

 

 お気に入りのビートルズのメンバーはジョンじゃない。。たぶん、ポールだね。ごめん パパ。

 

 

 

 

 

  60年代半ばにたくさんの名曲が耳に入って来たのは来たんだけど、それがどれほどの深い影響を与えたのかとか、僕は分かっていなかったと思う。やがて、13とか14歳になる頃、僕の頭は突如として覚醒した。ホルモンの影響だろうね。突如として幼いガキではなくなってしまう。体も心も同様にだ。(やったー!覚醒したぞー!探索に出発だ!)

 

 

 僕はたくさんの曲を聴き始め、(これはすごい―――。 一体どうやってやるんだろう?)と思う様になった。とはいえソングライティングの側面は避けて通っていたと思う。僕にとって、より興味があったのは、テクニックの側面だ。例えばまさにギターはどうやって弾くのかという様な。僕は数年に渡ってテクニカル面に集中しながらレコードを聴きこんで、ギターでやっていることをコピーしようとしていた。

 

 

 僕の腕前はどんどん上達し、たくさんのレコードを知るようになった。コードは誰かが教えてくれたり、いつの間にか自分で発見したり、本に載っていた図を見たりして知ったのかな。或いはレコードでリードラインを聴いて(何をやっているんだろう?この音程は何だろう?)と考えてみたりして次第にパターンがわかるようになっていた、と言った次第だね。

 

 

 正直に言えば青春時代に耳にしたソングライターが自分に与えた、とてつもないインパクトが分かるようになったのは、自分達でレコードを作るようになってからだった。例えば(3D-EP)の作業でアビーロードに行った時に、周りのたくさんの人たちが僕のところに来て(すごいな!――アビーロードかよ!大変な場所だな!数々の名曲が生まれた場所だぞ!)とか言って来たんだけど僕にはよく分からなかった。僕は自分たちの音楽を作ることで手一杯で(うわあ。あの曲のピアノがこれで、あの歌はこのマイクで歌ったのか!)というような考えが浮かばなかったわけだ。

 

 

 でもアルバム(ママー)の作業中に(レイディーバード)のミドルセクションをやる段になった時、僕はプロデューサーのスティーブ ナイにこう言った。(うーん。こんな具合になって、ちょっと変な感じだよ。スティーブ!僕にはこれはちょっとビートルズっぽく聴こえるんだけど、僕がビートルズをコピーしているなんて思われたくないな。)するとスティーブはこう言った。『そ・う・や・っ・た・のは一体、誰なんだよ?君がそういう風に曲を作ったから、そ・の・ま・ま・やったんだよ!』

 

 

 僕は思った。(そうか!多分、あの曲のミドルセクションには本・当・に・ビートルズが影響を与えているんだ。だったらそのままやって何が悪い?)とね。影響されていたのは、他ならぬ【僕】だったわけだ。僕は別にビートルズのトリビュートバンドをやろうとしていたわけじゃない。自分が受けた本物の影響というものが表に出始めていたというわけだ!僕はスティーブ ナイにこう言った。(もちろん、そのままやるよ。―—このミドルセクションをボツにするつもりはない。作った通りにやるつもりだ!)あれはちょっとエピファニーの瞬間だったね。(ああそうなのか。―—あの歌たちは本当に僕に影響を与えていたんだな。)とその時はっきりわかったんだよ。

 

 

◎そして、その次に作ったのがデュークス オブ ストラスフィアだった。

 

 

 (軽く笑って)そうだね。他のみんながあのしょうもないペイズリーシャツをまた引っ張り出すより前に、僕たちはデュークスをやっていた。その時からずっと考えているのは、あのソングライター達――レイディヴィス、レノン=マッカートニー、ブライアンウィルソン、そしてその仲間たち――が僕の頭の本当に深いところに入り込んでいる、とようやく僕は認め始めたということだ。彼らは僕にたくさんのお手本を提供してくれていた。

 

 

 (こういうソングライター達からの影響を掘り起こして、誤解を通してであれ、自分のお手本として利用することを恥じるべきではない。)―—僕にはそれが分かってきた。それもまた、「クリエイティヴィティ―の一つの側面だからだ。自分の受けた影響を取り出して、誤解してしっちゃかめっちゃかにして、あっちのかけらとこっちのかけらをくっつけたりして、当人たちなら、まずやらない様な僕なりの仕方をやってみる。そうすると出来上がるのは、いくらかはその人達のもの、いくらかは自分のものという感じで、まったく間違った結果になる。――でもそれは新しいものを作ったという事なんだよ!

 

 

 

 

◎心底そう思います。クリエイター達は、自分が巨人の両肩に足をのせて立っている(stand on the shoulders of giants)ことを知っています。(ニュートンの言葉)

 

 

 もしくはオアシス流には(巨人の片肩shoulder of giants)かな。肩が片方しかない巨人だ!(オアシスの曲名の文法上の間違い)

 

 

 

◎自分がソングライターになりレコーディングアーティストになったことで自分にとっての音楽を台無しにしてしまったことはありますか?

 

 

 たとえば(マジカルミステリーツアー)はほんの数回聴いただけで大好きになった。こんな歌をどうすれば作れるのか、こんな歌をどうすればかけるのか。こんなコードやメロディーをどうすれば組み立てられるのか、想像も出来なかったからだよ。でも今では、何もかもがうんざりするほど明らかだ。ビートルズがどうやったのか。今の僕には全部わかる!まあ、彼らが最初にやったというのは事実で、今でもそのパワーは感じるけどね。かつて聴いた時には完璧に打ちのめされたんだけど、今ではもう、アルバムを通して聴くことは出来なくなったんだよ。

 

 

 

 (レイディーバード)を聴いた音楽評論家がこういった。(ポールマッカートニーの音楽をひねった音楽みたいですね。変わった感じですね。)僕は反論しなかったよ。でも、本当は変わった感じの音楽は僕の音楽じゃない。ポールマッカートニーの音楽なんだよ。なぜなら、彼は60年代に力づくで自分の音楽を標準の音楽に変えてしまったんだから。そして、僕が反論しなかったのはそんなこと素人には到底分からないことだからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コリンモールディング    ( ソングライター ヴォーカル ベース)

 

 

 

      シャークヒルオルグ  2004

 


◎あなたは私の大好きなベーシストの一人で、私の演奏に影響を与えてくれた一人でもあります。いつ、どのように演奏を始め、誰に影響を受けましたか?



   14歳か15歳の頃にロックにのめり込んで、音楽への道を探して、家の家具からギターまで何でも揃う中古ショップを巡ったんだ。当時、私は「フリー」というバンドに魅了され、そのベーシストの音はとても変わっていて、ある時はゴムバンドのようで、またある時はとてもメロディックだと思った。フリーは今でもこの時代のバンドの中で最も好きなバンドのひとつで、彼らの「隙間のあるのスタイル」が大好きだ。彼らの "エンプティースタイル "が大好きだ。
 

 

◎ 独特のメロディックなスタイルはどのようにして確立されたのですか?
 

 

   さっきも言ったように、フリーのアンディ フレイザーの影響は大きかった。ブラック サバスやディープ パープルなどのグループにもね。ギーザー バトラーには、僕をかなり引き込んでくれたことに感謝している。ジョン ポール ジョーンズの「Ramble On」(レッド ツェッペリン)のベース ラインもお気に入りだった。


   他に影響を受けたのは、フェイセズの「Plonk Lane」と、そしてもちろんポール マッカートニーだ。今日の私のサウンドとスタイルは、アンディ フレイザーとポール マッカートニーの不肖の息子とでもいうものだろうな。

 

 

 

◎アンディ パートリッジとはいつ出会い、どのようにしてXTCが結成されたのですか?


   地元の楽器店、ケンプスターズでお互いの存在を認め合ったんだと思う。71年か72年頃のある日、ギターとベースを試奏しているときに出会ったんだけど、同じ学校に通っていたから、たぶん何年も前からお互いのことは知っていたと思う。私がベースを弾いていることを知っていたアンディは、ある日私の家に電話をかけてきて、裏通りのガレージで彼のグループ「スター パーク」のリハーサルの代役を頼まれた。



  当時、私は地元のドラマー、テリー チェンバースと一緒にリハーサルをしていて、自分たちではかなりいいと思っていたんだけど、アンディのグループでやっていることはあまり好きじゃなかったんだ。私たちは "ジャジー "すぎると思っていたし、自分たちのやっていることの方が好きだった。数週間後、アンディがリハーサルに来て、同じことを思ったんだと思う。その後すぐに、もう一人のギタリストと一緒に永久加入してくれた。私たちは、より良い名前を求めてスター パークを名乗り続け、スネイクスになり、ヘリウム キッズになり、そして75年にXTCになった。


 

◎私は49歳ですが、ロマンチックというか、何というか、アメリカのロックとポップスの黄金時代を経験する幸運に恵まれたと感じています。その時代は永遠に過ぎ去ってしまった。イギリス音楽にも黄金時代があったと思いますか?


  私たちが以前より才能が劣っているとは思えないけど、今の業界のあり方では、誰かが本当に新しいことに挑戦するための機会がないんだと思う。最近、ルー リードがアルバム『トランスフォーマー』の成功について語ったインタビューを読んだ。私が知らなかったのは、彼がそのアルバムの前にソロ アルバムを作っていたということだ。ヴェルヴェット アンダーグラウンドを脱退する際、彼は本当に死にそうなアルバムを作った。彼のコメントは、「そうそう、『トランスフォーマー』は僕の2枚目のソロアルバムだったんだ」・・・「あの頃は、セカンドチャンスをくれたんだよ」・・・。


  今は2度目のチャンスは与えてくれないよね?
 

 

◎XTCの音楽にはあまり妥協がありません。このような妥協の多い業界に自分たちの音楽を関連づけるにあたって、何か具体的な哲学があるのでしょうか?


   自分の中にあるものに従わなければならない。オリジネーターでなければ 何をやっても記憶されることはない。あなたが吸収した影響は確かに後になって出てくるけれど、出てきたときには、あなたの想像力によって変化し、付け加えられている。最終的な結果とは素晴らしい君自身なのだ。これが身につけば、注目されるようになる。

 

 


◎あなたとアンディはXTCのために作曲をしています。メロディやベース パートなど、それぞれのアイデアには自主性があるのですか?アレンジはどのように実現するのですか?



  基本的には、曲を書いた人がパートについて最終決定権を持つ。事実上、作曲家がその曲のプロデューサーなんだ。提案には事欠かないし、アレンジについて議論することもある。私はエゴは後回しにして、曲が一番になると思いたいし、ほとんどの場合、そうだと思う。


◎あなたの "無人島 "レコードベスト5は何ですか?

 

 準備はいいかな?それではいくよ。

リボルバー - ビートルズ


ザ キンクス クロニクルズ - ザ・キンクス
 

ウエスト サイド ストーリー - オリジナル サウンドトラック


ベスト オブ ビーチ ボーイズ(またはフレンズ) - ビーチ ボーイズ
(どっちでもいいけど、コンピレーション盤を選ぶかな。)


The Lark Ascending - ヴォーン ウィリアムズ

 


◎ お気に入りのXTCのレコードは何ですか?バンドの次の作品は?

 

   SkylarkingかNonsuchかな。XTCの次がどうなるのか見当がつかない...。結婚?



◎今バンドを始めようとしている若いベーシストやミュージシャンにアドバイスをお願いします。

 

  信念を持つこと。

 

 

 

           プリーズ キル ミー 2021

 

 

   私はスウィンドンで生まれ育って、10代のときにバンドを結成したんだ。21歳のときにレコード会社と契約して、それ以来ずっと音楽を作っている。とても大雑把でオープンな答えだけど、話すことはあまりないんだ。この業界でみんながやっているような苦学を経て、自分の仕事がうまくなっていった。つまり、最初の頃は、ただ楽器の演奏がうまくなりたいと思うものだ。それから曲作りを考え、アレンジをし、歌詞を書くのがうまくなる。こうして45年経った今でも音楽を作り続けているのだから、神に感謝したい。

 

 

◎あなたは独学のベーシストですね。ベースを始めたのは何歳の時ですか?

 

  ベースを弾き始めたのは14歳頃。僕の子供時代は60年代が中心で、その時代のヒット曲ばかりを聴いて育った。1970年に15歳になったとき、当時アンダーグラウンド ミュージックと呼ばれていたものにハマり始めた。フリー、ジェスロ タル、プログレッシブ ミュージックと呼ばれるようなバンドだ。私はフリーに夢中で、そのバンドのベーシスト、アンディフレイザーが大好きだった。彼のベースはまるで伸縮性のあるゴムバンドのようで、とても斬新だった。それがきっかけでベースを手にし、ミュージシャンになりたいと思うようになった。ポール マッカートニーやアンディ フレイザーのようなメロディとメロディアスなベーシストが好きだったから、自分に合っているかもしれないと思ったんだ。キーボードやギターも弾くけど、自分の歌を進行させるのに十分な知識しかない。キーボード奏者ともギタープレイヤーとも言えないけど、ベース奏者なんだ。そうやって始めたんだ。そして、よく言われるように、僕は愛人に忠実でありたいと思っている!


 

◎60年代のグループに傾倒していったとおっしゃっていましたね。他に影響を受けた音楽はありますか?

 

   最初に音楽が好きになったのは、学校の集会で賛美歌を歌ったときかな。『エルサレム』や『わが祖国を汝に誓う』といった賛美歌のメロディが好きだったので、そこから好きなメロディをたくさん選んだ。それからもちろん、60年代のポップ ヒットもあった。ザ キンクスやビートルズが大好きだった。私はいつもメロディーが好きだった。それが私の原点なんだ。


◎アンディ パートリッジとはどのようにして一緒になったのですか?お二人ともスウィンドン出身ということですが、彼とは街で知り合ったのでしょうか?

 

   アンディ パートリッジは僕と同じ学校に通っていて、彼が辞めた後、僕は2、3年留年したんだ。数年後、私たちはスウィンドンの楽器店で知り合った。アンディが楽器屋でギターを弾いていて、私も壁からギターを選んで演奏を始めたんだ。やがて、アンディは自分のバンドのベーシストを失い、私にその代わりをやってくれないかと頼んできた。僕は人里離れた粗末なガレージに行って、その夜、ちょっとしたジャム セッションをやったんだ。当時、私はテリー チェンバースと一緒に演奏していて、それがXTCの核となった。テリー、私、アンディの3人が初期のXTCで、それが始まりだった。

 

 

       ベースギター 2018

 

 

◎ベースを始めたきっかけは?


  6弦より4弦の方が簡単だと思い込んでいた?もしかしたら...。 ディープ パープルのレコードを聴くと、リフが簡単に弾けて、ある程度の達成感が得られるから。1970年のFreeのFire And Waterは、私が最初にこの楽器に魅了されたレコードだろう。

 アンディ フレイザーのベース演奏には穴が空いていて、あんなにまばらなベースは初めて聴いた。彼のサウンドも好きで、彼のベースは伸縮性のあるゴムバンドのようだと思ったものだ。彼の演奏がきっかけだったのかもしれない。そして1966年頃のポール マッカートニーの「ボールズ オブ ベース」サウンドもかなり好きだった。彼はリッケンバッカーをフェアチャイルドのコンプレッサーに通して、トップをロールオフして使っていたと思う。

 

 

 

 

 

         マイスペース  2009

◎この曲(Frivolous Tonight )で弾いたベースを覚えていますか?


  ああ、ヴォックスだよ。昔ながらのVox Apollo。

 

◎それはあなたがT-ボーン バーネットからもらったベースですか?


  そうだよ。大好きなんだ。昔ながらのベースって感じだね。


◎この曲ではいいパンチが効いていますね。

 

  「パンチ」という言葉が適切かどうかわからないけど、僕にとっては「ベースのボール」なんだ。アクティブ サーキットのベースやモダン ベースの多くがそうであるように、吠えるようなところがないんだ。


◎「パンチ」というのはそういう意味なのかも。



  ああ、マッカートニーっぽい "Rain "のサウンドとか、"Paperback Writer "のサウンドが好きなんだ。あれは史上最高のベース サウンドのひとつだと思う。あの演奏を超える人はまだいないよ。そう、この楽器を持つ人はみんなこう言っていたよ! 『ポール マッカートニーのように!彼が演奏するすべては完全に適切で、たいてい素晴らしい!彼は決して曲を圧倒しないが、曲に圧倒されることもない。彼の演奏はシンプルに素晴らしい。』ってね。


◎そう考えると、あなたはリッケンバッカーを買おうと思ったことはありますか?あるいは持ったことは?

 


 誰か私にくれないかなあ! 息子はグラウンドホッグス(バンド名)のファンなんだ。彼はそのバンドのドラマーとよく話をするんだけど、私はいつもそのバンドのリッケンバッカーを持っているベーシストの音が好きだった。彼の名前はピート クルイックシャンクだったと思う。私は息子に言ったんだ。「ピートがまだリッケンバッカーのベースを持っているかどうか、そして売りたいのかどうか、ドラマーに聞いてみろ 。」ってね(笑)。だから、その件についてはまだ返事を待っているところなんだ。

 

  リッケンバッカーのベースには、もちろん色々なタイプがある。ポール マッカートニーは初期の4001を持っていたと思う。もちろん、後に出たものには微妙な違いがあるから、そんなに単純な話ではないんだけどね。

 

◎イエスのクリス スクワイアももちろんリッケンバッカーを使っていることで有名ですよね。

 

  確かにね!彼は誰よりもリッケンバッカーのベースを売ったんだよ!70年代には、"Roundabout "を聴いて誰もが欲しがったものだからね。

 


◎特徴的なサウンドといえば...。


 もう一人はパイロットというバンドのデイヴ ペイトン。パイロットは知らないだろ?


◎はい、聞いたことがないです。


  彼らはイギリスのグループで、70年代にとてもいいポップスのシングルを何枚か出している。『Magic』は聴いたことある?[オー、オー、オー、マジック」...。

 

◎もちろん!もちろん。

 

  あれはパイロットだ。たしか「January」という後続曲があった。とてもいいベースプレーヤーだった。デイヴ ペイトンのベースの音はいつも気に入っていて、彼もリッケンバッカーを持っていた。もちろん、モーリス ギブもディスコのヒット曲でそのベースを弾いていた。そのサウンドも素晴らしかった。

 

 

 

 

〇以前のXTCのように、オアシスはビートルズから多大な影響を受けていたが、ノエル ギャラガーの曲の中には、モールディングがラジオ アンセムの "Dear God "や "King For A Day "に加えたような器用なベースはなかった。



  私もXTCではポール マッカートニーみたいに、ベースをスタジオで最後に演奏した。ビートルズは4トラックという制約があったが、マルチトラックの設備さえあれば、本来そうする必要はないんだが、私は大抵そうしている。ベースがより簡潔に収まるようになったと思う。

 

 私はギター プレイヤーじゃないし、キーボード プレイヤーでもない。でも、私はベーシストなんだ。ベースから演奏を始めたからには、愛人に忠実でありたいんだ(笑)。ベース、特にメロディックなベースを弾くのが好きなんだ。ベースから発せられるマッカートニーのようなフックのあるサウンドが好きなんだ。

 

 




 僕は畏まってポールマッカートニーのベース演奏から影響を受けたというより、好きだから似てしまったって言う方がより適切だと思う。そしてベースプレイヤーとしての考え方もおそらく似ているんだ。例えばマッカートニーはレノン=マッカートニーの楽曲とは違いジョージハリスンの楽曲ではハリスンのヴォーカルの線の細さを補う演奏をした。これはベーシストにとってとても大事な考え方なんだ。

 


 マッカートニーやジョンポールジョーンズ、そしてジャックブルースといったベースの名手たちの演奏が時代遅れになることはないんだ。なぜなら未だに彼らの演奏の遺伝子が現代のベーシストの演奏の中に生かされているからだ。だからラジオで音楽を聴けば未だにマッカートニーの演奏に会うことができる。

 


    ベースプレイヤー

 僕が影響を受けたソングライターはキンクスのレイデイヴィスとビートルズのポールマッカートニーだね。キンクスは父親が好きで僕も好きになった。その後にビートルズに出会ったという訳だ。僕はポールの不肖の息子なんだよ。ポールから教えられたことはオリジナリティーこそが一番大事でオリジナリティーこそが前に進めるということ。僕とマッカートニーの最大の違いは僕は積極的な性格ではないという事。だから僕は(目立たない)ベースを持ったんだ。僕が自分を不肖だっていうのは才能の違いもあるし、そういう性格の違いもあるっていう事だよ。

 

 

    2000年 nme
 
 僕のベースプレイヤーとしてのルーツはまず最初にポールマッカートニー。これは絶対だね。当時のベーシストにとってはそれは普通のことだった。それからフリーのベーシストだったアンディフレイザーっていう人。彼らからは多大な影響を受けたね。彼らのベースサウンドはまるでゴムみたいに弾力があるって感じてた。マッカートニーとアンディフレイザーからの影響が最も大きいんだろうと思う。彼らのベースは独立してメロディを奏でると共に、曲全体を融合させるボンドみたいな役割を同時にこなしていたからね。そして彼らからは同時に曲作りも学んだ。ベースとは関係無いけどキンクスのようなバンドからも影響を受けた。

 

  最初に、そして何よりも大事なのは、曲に貢献して曲を引き立てるベースラインを書くってこと。ベーシストにとって何より重要なのは、自身のベストを尽くして曲を完成形に導くラインを奏でることなんだ。これは絶対にやらなきゃならないことで、これを忘れてしまうと、自分1人のサーカスみたいになってしまう。つまり、自己満足のジャグリングパーティしか出来ない状態になってしまうんだ。だからこそ常に曲そのものの事を念頭に入れてなきゃならない。僕はその事について非常にセンシティヴなんだと思う。僕は自分自身で曲を書くから良く解るんだけど、他の人の曲の中でベースが引き立て役に徹してないのを見ると非常にイライラしてしまう。それってすぐに分かってしまうんだよね。だからこそ僕は自分で曲を作る時はあくまでも曲に沿ったベースラインを書くようにしてるんだ。


  Making Plans For Nigelのヒットによって、良い意味でアンディもそれまでとは違うモードに切り替わったと思うんだ。今でも2人の間には常に多少の競争心があって、これはバンドにとってヘルシーな環境だと思う。あのヒット以来、アンディの曲に変化が訪れたのは一目瞭然だしね。例えば(ブラックシー)の中の曲はそれまでのようなひねくれた曲が減ってダイレクトなポップスタイルが取られているだろ? もちろん嫉妬もあったんだろうけど、それはバンドにとっても非常に建設的な結果に繋がったんだ。2人ともダイレクトなポップソングを書くようになったんだからね。そういう意味でも(ブラックシー)はXTCのベストアルバムという事が出来るんじゃないかな? 全体に統一感があるし、自然の流れに沿って曲が進んでいく。これは2人とも同じようにダイレクトなポップソングを書くようになった結果なんだよ。