公務員からの起業その1 | 札幌のNPO サポートシステム研究会 高橋 潤のブログ

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札幌の非営利団体のサポートシステム研究会代表理事の独り言です。
ソーシャルビジネス支援のNPOです。

公務員を辞めてから、非常に苦労した。

発作的であり、まったくノープランであった。

悲惨な人生が待ち受けていることは当然覚悟した。

 

なんとか、非正規のコールセンター勤務をねらい、かなりの会社に応募したが、面接までいったものは1社だけで、ほぼ書類選考すら通ることはなかった。

ハローワークやネットでさがして、可能性のある会社をかなり応募した。たしか50社は応募したと思う。

 

一次選考が通ったのが、あのアマゾンの札幌拠点のコンタクトセンターだった。二次試験をすごい立派な会場で受けて手ごたえがあった。

人事部長の若い人の話もよく、非正規から優秀であれば正社員にも登用されて、役員待遇までいった人がいたと聞いた。

きている人は主婦やいわゆるフリーターの人がほとんどだった。

手当や無料での飲み物の提供など、福利厚生もよかった。

 

試験も非常に難しい検索を個人に与えられたパソコンでやるという実践的なものだった。

あとはグループ討議だった。

自分の感触だといい感じだったが、だめだった。

がっくりきた。

このあと、地場の大手のコールセンターの採用試験の面接までいったが、これも年齢的なものと、深夜のシフトに入れないことで不採用だった。

 

やはり、当時でも北海道は不景気で、まず正規社員の求人はなかった。あらためて、中高年の求人の厳ししさを知り、暗澹たる気持ちになった。

 

そして一年以上経過後、偶然新聞で大手の損害保険グループの傘下の損害保険調査会社の嘱託調査員の仕事に採用された。

面接には100名以上来ていたが、採用されたのは3名だった。

仕事は損害保険会社から委託された調査案件を歩合給与で行い、最初は交通事故の保険調査で、私にはゆくゆくは本社の火災保険の調査をまかせて、正社員にするという口頭での約束があった。

 

東京で1週間専門的な保険調査の研修をうけた。

数名の警察の交通部門の定年退職者と多くは生保の営業所長クラスでリストラされた人達だった。

消防は私一人だった。

 

やはり、やってみると、自家用車の運転ができないと、厳しいし、ノルマはないが、一定の件数をこなさないといけないので、楽な仕事ではなかった。東京ではほぼペーパードライバーであったのと、家族からの反対もあり、長期勤務することはなかった。

ただ、研修の内容は非常に専門的で、その後の仕事に役立つものであった。

 

そして、またひたすら求人サイトやハローワーク通いの日々が続いた。

だんだんメンタルも限界にきて、今にして思うと危ない状態であった。

 

次回は独立への道その2です。

おつきあいください。